第五話 中編
日曜の夜更けにアイスを食べるのは明日からの一週間を乗り切るために必要不可欠だ。真紘はそう自分に言い聞かせながら、DVDレコーダーで昨日の練習試合の映像を見ていた。バスケは来年が最後になるな、とささやかな感傷に浸っていると、携帯が鳴った。帰蝶からの着信だ。彼女は普段、二十二時以降には連絡がつかない昼型人間だ。涼平が学校を休んで一週間が経ち、町では不穏なニュースがちらほらと、しかし確実に増えている。何かあったのだろうかとアイスを置き、急いで通話に出る。
「もしもし、帰蝶ちゃん?どうしたの?」
しかし通話先の声の主は、帰蝶ではなかった。
「帰蝶がいなくなった。和泉、助けて」
聞き覚えのあるハスキーな声が、切羽詰ったように震えている。
真紘は即座に部屋着を着替えて、家を飛び出した。
最寄のコンビニまで自転車を走らせると、そこにはサングラスにジーンズ、ライダースジャケット姿でバイクに寄りかかる橘芽依子がいた。
「うそ…かっこいい…」
思わず口を手で覆う真紘に、芽依子はヘルメットを投げつけた。バスケットボールをキャッチする要領で易々と受け取める。
「時間がもったいない。とりあえず走らせるわよ」
芽依子は再会の挨拶も、取り付く島もない。喜んでいる場合ではないので、真紘もすぐに真剣な表情を取り戻す。
「どこか当てがあるの?」
「ない。わからないから、あんたを呼んだの」
「え、ええ?俺だって心あたりなんかないよ!」
訳がわからない上に荷が重い話に、真紘は動揺した。自分が役に立つとは思えない。
「そもそも何で帰蝶ちゃんがいなくなったの?涼平くんとは連絡ついた?」
せめて最低限の情報共有ぐらいはしておきたい、と真紘が尋ねる。芽依子は息を吐いて肩を落とし、眉間に手を当てた。どうやらようやく冷静になったようだ。
「…帰蝶とは、ちょっと前まで一緒にいたの。遠野は当てにならないわ」
「そんなに慌てて探さなきゃいけないような別れ方したの?確かに最近物騒だけど…。それに、探すなら涼平くんにも協力を仰ぐべきだ。体調不良でも、連絡ぐらい…」
「遠野も行方がわからない。音信不通よ」
「……それ、本当なの」
予想外の情報に一瞬思考が止まりそうになって、真紘は自分が思っているより事態は悪いようだと察した。
「それが本当なら、涼平くんだって深刻だ。すぐに警察に届け出た方がいい」
「警察なんて役に立たないわ。それに、遠野は絶対に無事よ」
「どうして言い切れるの」
「遠野が死んだら、芦川春樹の医療費を負担する人間がいなくなる。だけど帰蝶は…もう戻らないかもしれない」
「………」
話についていけない。点と点が全く結びつかない情報に混乱する。
「あんたはきっと、「勘」か「運」が良い。お願いだから、帰蝶を探すのに力を貸して」
芽依子の話の半分も理解出来ないが、彼女が真剣なのは切に伝わってくる。何も出来ることがなくとも、一緒にいることは出来る。真紘がヘルメットを被ると、芽依子がバイクに跨った。その後ろに乗りながら尋ねる。
「それで、どこに」
「…逢己橋」
二人を乗せたバイクがエンジン音と共に暗闇を走り出した。
眠らない街といえど、夜中は車通りが少なくなる。駅前のロータリーにグレーのメルセデスが入ってきて、二人の若者の前で止まった。金髪の青年とジャージの少年がメルセデスに乗り込む。
「大丈夫っすか、愁さん」
鈴鹿が運転席に座る愁に声をかける。愁は振り返らない。
「私は大丈夫だから、二人は降りなさい。君たちには休息が必要だ」
「新幹線の中で休んだから平気っす。本当に連れてく気がないなら、どうしてここに寄ったんですか」
「脅迫まがいのメールを送ってきておいて、よく言うね…」
愁がアクセルを踏んで、車が走り出す。
「置いていく方が心配だから連れて行くけれど、どうか休んでいてくれ。家の問題なんだ」
声に苦渋が滲む愁に、槙が淡々と言葉を返す。
「そうとも限りません。報告した通り、あの町は今、危険です。こんな言い方したくないですけど、妹さんは自ら望んでその渦中にいます。たとえ何も起きていなくても、愁さんだけに任せられません」
「………」
返事をしない愁に、槙が「すみません」と呟く。
「こんな見た目ですけど、僕なら平気です。少なくとも鈴鹿さんよりは」
「おい槙、余計なこと言うな」
愁は深いため息を吐いて、「すまない」とだけ言った。鈴鹿は申し訳なさそうに口を開く。
「謝らなきゃいけないのは俺らの方です。…さっき別れたときは落ち着いてるように見えたんすけど…。俺らが頼りにならなくて逆に追い詰めた、とか」
「君たちのせいじゃない。遠野涼平のせいでもない。断言出来る」
「心当たりがあるんすか」
「心当たりしかない」
迷いなく言い切る愁に、俺らは知らない方がいいすか、と鈴鹿が問う。愁は少し躊躇うように沈黙してから、軽くかぶりを振った。
「いや、こうして巻き込んだ上に、君たちの力を借りる可能性もある。何も事情を話さないわけにいかない。聞いてもらえるかな」
鈴鹿と槙が頷く。愁は「どこから話そうか」と呟いて、自分の頭の中を整理するかのように話し始める。
「帰蝶が養子なのは知っているね。私とは血が繋がっていない。南の家に迎え入れたのは五年前で、それ以前は施設にいた。生まれはマレーシアだ」
「日本人じゃないんすか」
「母親は日本人だ。父親は不明、ということになっている」
「その言い方だと、まるで父親が誰かわかってるみたいに聞こえますけど」
鈴鹿の言葉に間が生まれる。愁はあえて無視するように話を続けた。
「十年前、マレーシアで邦人が犠牲になった殺人事件があった。その被害者が帰蝶だ。母親が死に、帰蝶自身も、首の骨を折る大怪我をした。犯人は見つかっていない」
「首の骨…よく無事でしたね」
「生きているのも後遺症が残らなかったのも、奇跡的だったそうだ。そのときには今のようにもう「特別」だったのかもしれない」
「呪い…血の繋がった、兄」
鈴鹿がはっとした顔をして、すぐにしまったとでも言うように口を噤んだが、もう遅い。愁が苦笑する。
「気にしなくていい。あの子は隠しているみたいだけど、知っている」
僕は初耳ですね、と槙が鈴鹿を睨む。
「帰蝶をうちに養子にもらった頃は、家族も東京に住んでいてね。父の仕事と母が病気になった兼ね合いで、母の実家の佐鷺町に引っ越した。私も生まれてから高校卒業まで育った町だ。母は佐鷺町の病院に入院して、帰蝶は中学校を転校した。これが三年前だ。私だけが東京に残った」
「お父さんって、左遷になった刑事さんっすよね。だから愁さんとこにやたらと事件が…」
鈴鹿は口を閉じ、またやってしまったとばかりに額に手を当てた。「情報量が多くてすまないね」と愁が笑う。
「ちなみに母は私が高校を卒業するまでシングルで、父と再婚を機に東京に越したんだ。だからうちで血が繋がってるのは、私と母だけだね」
「ちょっと本当に情報量が多いっす…。色々気になりますけど、そのうち酒の席で聞かせてください」
鈴鹿は好奇心を押し殺して、それで本題は、と先を促す。
「家族が佐鷺町に越してすぐ、父から連絡がきた。帰蝶に悪質ないたずらが始まったと。帰蝶は両親に隠しているつもりのようだけれど、父が気づいた」
「具体的に、どんな内容です」
「帰蝶宛に郵便が届く。明らかに中身が手紙でないようなものもあったそうだ。消印は佐鷺町のものもあれば、消印がないものもあって、消印の仕組みを理解していなかった帰蝶が東京の友達からだと言い張って決して中身を見せなかったから、怪しんだ父がばれないように先に中身を確認した」
犯罪行為だけどね、元刑事のくせに、と愁が付け足す。
「中身は写真で、その写真は日本家屋や庭園、雪景色といった一見普通のものだったそうだが、それを見た帰蝶は青ざめて、やはり父と母には決して見せようとしなかった」
「妹さんにしかわからない何か…だったんでしょうか」
槙の言葉に、おそらくね、と愁が頷く。
「そういう日々がしばらく続いて、帰蝶は一人で過ごす時間が増えたそうだ。何をしているのか尋ねても、勉強しているだけだと。実際あの子はよく勉強していたし、良い子に振舞っていても反抗期もあるかもしれない。母が入院していたこともあって、血の繋がらない父親は気を遣ってお手上げだった」
「それで、愁さんの出番ですか」
「そうだね。それでさっそくあの子の部屋に隠しカメラを設置したんだけど、なんとあの子は夜中に家を抜け出していた。あの子は「特別」だから、二階の窓からこっそり抜け出して帰ってくるぐらい何ともなかったんだろう。可愛い妹が夜な夜な出歩いてるとなったら、こちらも全力で引き止めたくなるだろう?GPSと盗聴器を使って行動を追ってみて、人探しをしているんじゃないかと見当をつけた。可愛い妹が人を探しているとなったら、そいつの素性は洗いたくなるだろう?それで話が最初のマレーシアの事件に戻るのだけど」
「……………」
つらつらと何てことのないように話し続ける愁に、鈴鹿と槙は恐怖した。引いてしまって言葉が出ない。父親の犯罪行為を指摘していたのは何だったのか。
「十年前の事件を出来る限り洗ったんだ。事件に関して大した情報は手に入らなかったけれど、あるゴシップが気になった。殺された帰蝶の母親は、ある有名人の愛人だったと」
愁はある人物の名を口にする。槙は無反応だったが、鈴鹿は絶句した。
「それって……もしかして世界長者番付で聞いたことのある人で合ってます…?」
「そう。それでその人物のことも、徹底して洗ってみた。アメリカにインターンに行っていた頃の人脈が役に立った」
「愁さん…俺たちに黙って何か別の商売始めてたりしませんよね…?」
「まさか。そのときはちゃんと君たちに相談するよ。今の生活が気に入っているしね」
愁は淡々とハンドルを切り続ける。鈴鹿は話の内容に気を取られてそれどころではなかったが、槙は100キロを優に超えていく車の速度に怯えていた。
「どうやら世界中に愛人がいるようでね。これだけの富豪なら甲斐性なしにならずに済むんだろうけれど…。気になったのは、その愛人と噂されている女性たちが、ここ十年ひっそりと亡くなり続けているらしいということ。そして何より、彼と正妻との間の子が、行方不明だということ」
「そんな情報、どうやって手に入れたんすか…」
「人生で一番危ない橋を渡ったね。あの国にはもう行けないし、あの手はもう使えないな」
さらりと言ってのける愁に、鈴鹿は自分が惚れ込んだ人間の恐ろしさをようやく理解し始めていた。
「正妻との子も、世間には公表されていない。人知れず生まれて、人知れず行方不明の子供。死んでいく愛人たち…。その子供の情報を追うのに一年かかった。君たちに出会ったのは、ちょうどその作業に一区切りついた頃だ」
「妹さんの件と無関係の可能性もあるのに、よくそこまでしましたね」
「それは自分の直感を信じて、さ」
愁がスーツの胸元から何かを取り出し、後部座席の二人に渡す。人の写真のようだ。
「これって…」
鈴鹿と槙は揃って同じように固まった。そこに写っている人物は、どう見ても帰蝶に瓜二つとしか言い様がない。体格や格好から帰蝶より年上の男であろうということは察するが、その顔はあまりにも似すぎていた。
「発端はゴシップでしかないから、確証はない。けれど、これを見てしまうとね。あの子もひどいものだ。家族は南のお家だけ、なんて可愛いことを言いながら、男を捜し続けてるなんて」
「……それでこいつが、嫌がらせの犯人だと?」
「おそらく、ただの嫌がらせじゃない。もっと具体的な脅迫だ。帰蝶が高校に入学してから一年半、郵便物も届かず音沙汰がなかったから、油断して後手に回った。最近は遠野くんという、より身近な実害に気をとられていたし」
「実害…」
「まったく、あの子は悪い男を引き寄せる力でもあるのかな」
無表情のままぼやく愁に、後部座席の二人はちらと顔を見合わせて一瞬で通じ合い、突っ込みを入れるのをやめた。
「あいつは…愁さんの妹は、無事だと思いますよ。あいつは、何も諦めてませんでしたから」
昼間の喫茶店での様子を思い出して、鈴鹿が言う。愁はそれを聞いてふっと微笑んだ。
「わかっているよ。私は、あの子が自分の力で解決すると信じてる。だから今までも直接干渉はせずに来た」
自死代行とやらはさすがに放っておけなかったのだけど、と苦笑する。
「だけど、今回は迎えに行かなければいけない。迎えがなければあの子はきっと、帰ってこれない」
帰蝶の帰る場所にならなければ。愁が呟いてアクセルを踏む。
深夜の高速道路を、メルセデスが真っ直ぐに走り抜けて行った。
細々続きます




