第四話 後編
駅前の商店街で三人は合流した。槙は以前会ったときと同じジャージ姿だが大きめのリュックを背負っていて、ヘッドホンではなくワイヤレスイヤホンを身につけていた。ジャージは所々うっすらと土に汚れていて、ボサボサの髪はクリップで雑に留められている。前髪を上げたせいでよく見えるようになった顔は、やはり十代のそれだった。
「ずいぶん汚くなってんな。…そこまでしなきゃなんねえのか」
「何も覚えてない人は能天気でいいですね。徹底的に準備して、ようやく対話に持ち込めるかどうかってところです。いいですか、鈴鹿さんは今回僕のサポートに徹底してください。間違っても遠野さん相手に言霊をとばさないように。わかってますか」
「はいはいわかってるって。くどいぞ」
はあ、とわざとらしいため息を吐いた槙はやっと帰蝶を見て、「先日はどうも」と軽く頭を下げた。
「…こんにちは、槙さん。よろしく、お願いします」
躊躇いがちに挨拶を返すと、鈴鹿が「何で槙にだけ敬語だよ!俺のこともさん付けで呼べや!」と声を上げた。すると槙が「あれ、仲良くなったんですか。僕が汗水流してる間に」と死んだ目で鈴鹿を見て、またひとつ大きなため息を吐いた。
「歩きながら説明します。行きましょう」
槙が迷いなく歩き出し、帰蝶と鈴鹿がそれに続く。帰蝶に心当たりはないが、鈴鹿はどこに向かっているのかわかっているような様子だ。
「どこに行くんですか」
「芦川院」
槙は四つ折にされた紙を帰蝶に手渡す。歩きながらでは見づらいと思いながら帰蝶は紙を広げる。それは佐鷺町の地図だった。赤いマーカーで印と線が書きこまれている。
「心当たりがありますか」
「………人が、死んだ場所」
「この二年で自殺があった場所です。近年この町は自宅での自殺がほとんどないみたいです。どうしてでしょうね」
「………」
槙は帰蝶を見ない。帰蝶は黙って地図に書き込まれた印を辿る。
「芦川院を中心に行われています。あなたたちは直近の自殺幇助の場所に逢己橋を選んでいますね。なぜですか?」
「…私、は」
「槙。説教は頭数がそろってからだ。二度手間になるぞ」
わかっています、と言ってから、槙は話を続ける。
「神社仏閣は神が御座します場所として、この世ならざる世界へ繋がりやすい。人々が詣で、己が願いと業を託していきます。実際、お賽銭は扱いがとても難しいものなんですよ。人の業がこめられたお金ですからね」
「……霊的なものが、集まりやすい」
「はい。呪いに適した場所にはいくつか条件があります。歴史があり、人々が留まり、その想いの風通しが悪い…学校や病院などがそうですね。神社仏閣も、そのひとつです。…芦川院に何か思い入れが?」
帰蝶はやや躊躇ってから、重い口を開く。
「…春樹が育った場所、らしいです。三年前まで養護施設の体で人が住んでいたみたいですが、廃止されてからは人は常駐してません」
「なぜ廃止に?」
帰蝶は首を振る。槙は「そうですか」とだけ言って、それ以上言及しなかった。
「……涼平が芦川院にいるんですか」
一番気になっていたことを口にした。芦川院には帰蝶もこの一週間で何度か足を運んでいるが、人の気配も「声」もなかった。
槙がちら、と帰蝶を見る。
「…いいえ。ですが、現れると思います。彼は僕と鈴鹿さんを放っておかないでしょうから。仕込みは終わらせました」
帰蝶は何の話なのか見当がつかず、黙って槙の言葉を待つ。
「妹さん。あなたの今日の役割は人質です。本当は戦力的にあなたにこそ彼を捕まえて欲しいんですが、あなた、寝返りかねないので。彼もどうやらまだあなたには危害を加えたくないようですし、鈴鹿さんの傍で大人しくしていてください」
信用していないとはっきり突きつけられ、帰蝶はとっさに言葉が出ない。寝返りかねないと言われ、確かに涼平と争う確固たる自信はないかもしれないと思う。それと同時に、どうやって槙が涼平と対峙するのか疑問がわいた。鈴鹿の言霊が通用しないことは先週明らかになっている。
「それと、草木の側にはなるべく近寄らないように。とにかく僕か鈴鹿さんのすぐ近くにいてください。安全の保証が出来かねます」
「………」
帰蝶は驚いて槙を見る。危険な事態になるようなことがあるんだろうか。槙は先週、涼平とは歴然とした力の差があると話していたはず。
戸惑っている帰蝶に、鈴鹿が助け舟を出す。
「槙の力は植物との親和性が高い。まあ見てろ」
帰蝶の肩をぽんと叩いてみせた鈴鹿に、槙は冷ややかな視線を送る。
「…鈴鹿さん、彼女は人質です。必要以上に遠野さんを刺激したくありませんけど、それらしく振舞ってくださいね」
「はぁ、わかってるっつってんだろ。たしかに現実味ねえっちゃねえけど。お前が前線立つなんてもう一生ねえもんだと思ってたし」
「…まあ、それぐらい腑抜けてるぐらいが調度いいですかね。先週みたいに勝手に飛び出していかれると困るので」
話は終わりと言わんばかりに、槙は前を向いて歩調を速めた。帰蝶はそれについていきながら、二人から漂う緊張感に身を固くした。鈴鹿は決して腑抜けていない。帰蝶もいくつか修羅場をくぐってきたつもりだが、おそらくこの二人はそれ以上なのだと察する。
頼もしい、と思うのと同時に、それでも涼平が屈する姿は想像出来なかった。
三人が芦川院に到着すると、そこにはいつも通りの景色があった。涼しくて、少し寂しい。日は傾き始め、夕方と呼べる時間にさしかかろうとしていた。
「ここで待ちましょう。「目」がいい人がいると助かるんですが、こればっかりはどうしようもないですからね。各々神経尖らせてください」
他に誰もいない境内で三人は手持ち無沙汰になる。帰蝶が桜の木を見ていると、槙がそっと声をかけてきた。
「先程は意地悪してしまってすみません。久々に労働したので気が立っていました」
緊張しているんです、と槙がこぼす。その両手は祈るように固く組まれている。
「人質、なんて表現になりましたが、まあそれは実際そうなんですが、結局僕たちはあなた頼りです。僕たちが時間を作るので、妹さんは彼を説得してください。今わかっているだけでこの町の行方不明者は五人ですが、実際はもっと多いかもしれない。陰の気は伝播します。死を望んでいない人まで巻き込まれる前に、どうか彼をとめてあげてください」
「……どうして、ここまでしてくれるんですか」
帰蝶は改めて問う。槙は「愁さんに頼まれたからですよ」と仕方なさそうに肩を落とす。
「…ですが、そうですね。僕はもう鈴鹿さんと愁さんと自分のこと以外はどうでもいいんですが、たしかにそう思っているんですが、それでも目に余るぐらいには、あなたたちが不憫なんです」
槙はほんの僅か寂しそうに微笑む。祈りを捧げているかのような姿に夕日が射して、どこか神聖な空気すら感じさせた。
「僕が鈴鹿さんに救われたように、鈴鹿さんが愁さんに救われたように、あなたたちにも手が差し伸べられて欲しいのかもしれません。僕たちはどうしたって呪われていて、だからこそ、生きなければならない」
理由は今度お話しますね、と言って槙は地面に座り込んだ。鈴鹿がその頭をわしゃわしゃとかき乱し、槙は「ちょっと何ですか!」と嫌そうにクリップを留め直している。帰蝶はまた桜の木に視線を戻した。
…この気持ちを、何と呼ぶのだろうか。涼平は知っているだろうか。帰蝶たちの世界はあまりに閉じていて、自分たちはきっと知らない感情だらけなのだと、早く涼平に伝えたい。
そんなことを考えていると、ふと桜の木の後ろから少女が現れた。小学生ぐらいだろうか。秋の夕方はもうだいぶ涼しいというのに、ノースリーブのワンピースしか着ていない。くるくると踊るように桜の木の周りを回っている。
「一人かな。もうすぐ日が暮れるけど」
帰蝶が言うと、「だからじゃないですか。足元を見てください」と槙が呟いた。少女の足元を見る。裸足の足はたしかに地面を蹴れど、その足に影がない。桜の木の影だけが、かすかに風に揺れている。
「全員見えてるのか。…どうする」
「…少し様子を見ましょう」
緊張を張り巡らせる二人の横で、帰蝶は急激に胸騒ぎに襲われた。嫌な予感に心臓が音をたて、手のひらに汗が滲む。見たくないものを見ることになる予感。会いたいのに、ここに来て欲しくないと思った矢先、少女が「涼平!」と可愛らしい声を上げた。
「………」
三人が固唾を飲んで見つめる中、桜の陰から学ランの少年が姿を見せた。間違いなく、涼平だ。涼平は少女に歩み寄るとその頭を撫で、何か声をかけている。少女は「嫌!まだ遊ぶ!」と言って涼平の手からするりと抜け出した。
涼平は少女に微笑んでから、その視線をゆっくりと帰蝶たち三人へ向けた。表情はなく、ただ淡々と言葉を紡ぐ。
「帰ってください。俺たちに何もしないで」
「何かしてるのは君たちの方では。行方不明の人達はどこです」
「知りません。誰も彼も、勝手にいなくなる。俺もそうです」
「その少女は誰ですか。人間ではないですね」
槙の言葉に沈黙が訪れる。木の葉が風に揺れる音だけがざあざあと流れる。
「……病院を脅迫したのは、あんたか」
「脅迫なんてとんでもない。芦川春樹くんの容態をお尋ねしただけです。君も気になりますよね?」
「………」
西日が射し、影が濃くなっていく。涼平の表情はもうほとんど見えない。
「先程の質問に答えてもらえますか。その少女は、一体何です」
「…ここに人間なんて、一人もいないだろ」
ざあああと風の音が強くなる。辺りが急激に暗くなり、涼平の気配が変わる。暗くなっているというのに、涼平の足元にあった影はさらに濃くなり、不自然に広がっていく。
「誰も死なせないで済むやり方はねえのか!」
鈴鹿が声をはり上げる。涼平の足元は真っ黒に塗り潰されたかのようになり、その暗闇が涼平の身体に這い上がっていく。
「…彼の呪いじゃないですね。取り込んだか、取り込まれたか」
「涼平!」
帰蝶が叫ぶが、涼平は反応しなかった。涼平が「アヤ。もう少し遊ぼうか」と呟いた。
「…っ!」
槙が両手を地面に叩きつけた刹那、涼平の足元から無数の枝が突き出した。それは涼平の足を絡め取ろうと伸びていく。
【加速!】
鈴鹿の声が響く。木の枝や植物が爆発するようにその量と勢いを増し、次の瞬間には涼平の全身が締め上げられ拘束されていた。
その光景に唖然としていた帰蝶は突如車に轢かれたかのごとく身体が真横に吹き飛んだ。すぐさま起き上がろうとするが、何かが身体に乗り上がり首を絞めてきて動けない。首を絞める何かを掴むが、帰蝶の全力をもってしても拮抗するだけで、なかなか引き剥がせない。
<あははっ>
頭に笑い声が響く。春樹の病室で何度も聞いた声。帰蝶の首を絞める何かは先程の少女の姿になっていた。
「妹さん!」
「何とか耐えてくれ!槙、こっち集中しろ!」
涼平を拘束する植物がみるみるうちに枯れていき、黒い地面にはらはらと散っていく。涼平が一歩動き出そうした瞬間、鈴鹿が叫んだ。
【響け!】
刹那、頭が割れるような金属音が鳴り響く。涼平が頭を抱えてその歩みを止めると、すかさず槙が手を地面に打ち付け、「加減はなしです!」と叫ぶ。
【加速】
再び鈴鹿の声が響くと、ばきばきと音を立て地面から質量の多い何かが瞬く間に縦に横に成長し、涼平の身体ごと上へ上へと伸びていく。ものの数秒で直径三メートルはあろうかという巨大な樹が、涼平の身体を飲み込んだまま二十メートル程の高さに到達していた。
「槙!」
地面に崩折れた槙に鈴鹿が駆け寄るが、小柄だったその身体はさらに薄くなり、ジャージの袖と裾を余らせている。
「妹さんの援護を。言霊は駄目です、返される」
鈴鹿が帰蝶を振り返ると、少女の指がまだ帰蝶の首を絞めつけていた。
帰蝶は先程の爆発するかのような金属音に頭ががんがんと痛み、耳も聞こえなくなっていた。ぐらぐらと揺らぐ視界の中で必死に少女を睨みつける。何とか引き剥がそうと少女の手首を掴んで対抗するが、均衡が崩れない。
「こ、の……」
【打ち抜け】
バシャリと水風船が割れるように黒い液体が散った瞬間、首が開放された。帰蝶は即座に立ち上がり、そ勢いのまま少女の頭を蹴り飛ばす。少女の頭はバシャリと墨汁のように飛び散り、眼前には腕と首をなくした少女の身体だけが残っている。
鈴鹿を見ると、その手にはゴム製のパチンコが構えられている。帰蝶を助けたのは彼なのだろうとようやく悟る。
「遅い!」
「悪い、それよりも」
「聞こえない!」
耳を指さして怒っている帰蝶の腕を鈴鹿が掴み、何とか自分の足で立っている槙のところへ引きずっていく。槙が帰蝶の頭に手を触れると、帰蝶の世界に音が戻った。頭痛も跡形もなく消えている。
「あ、ありがとうございます」
「おい、助けた俺には礼はなしか」
「槙さんがイヤホンつけてる理由がわかった。教えてくれなかったの恨むから。それに、その武器なに」
「職質的にギリギリ所持出来る最大火力だ!有難く思え!」
「二人とも、それぐらいで。遠野さんを下ろします」
槙が涼平を飲み込んでいる樹に触れようとしたそのとき、槙の身体に黒い何かが一瞬で取り付いた。黒い物体はたちまち少女の姿になり、槙の首を腕で絞め上げている。
帰蝶がすぐさま少女の頭を拳で打ち抜いたが、水を殴ったようにバシャリと散るだけでまたすぐに少女の形を取り戻し、槙を絞める力は緩まない。少女から伸びた黒い影が槙の身体を覆い尽くしていく。帰蝶が少女に掴みかかろうとするが、液体のように捉えることが出来ない。槙の顔が青ざめていく。
「……っ」
鈴鹿が何か言おうとして、すぐに歯噛みする。明らかに己より強力な呪いに対して、安易に言霊は使えない。
【目を覚ませ!!】
鈴鹿の声が響く。槙は瞬時に何に対して言霊を使ったのかを察してさらに顔を青くしたが、鈴鹿の様子に変化はなかった。
「聞こえるか!?聞いてくれ!!この呪いをとめてくれ!!」
鈴鹿の叫びに返事はない。帰蝶の耳に少女の笑い声が響き、槙の身体が完全に黒い影に包まれる。
帰蝶は全力で地面を蹴って巨大な樹にしがみついた。涼平を自分の手で下ろす。手と足で刺すようにして樹を登り始めたそのとき、下から「離れてなさい」と馴染みのある声が聞こえた。
次の瞬間、全身に焼けるような熱を感じ、思わず樹から手を離す。十メートルほど落下して足から綺麗に着地する。上を見上げると、二十メートルもある巨大な樹が内側から静かに燃えるように、赤く赤く染まっていた。黒くなって剥がれ落ちた葉が火の粉となって空を舞っている。
<いやあああああああああああ>
甲高い悲鳴が耳をつんざき思わず頭を抱える。その腕を誰かに引っ張られ、自分を掴む腕の持ち主に視線を上げる。
「……芽依子」
「離れてって聞こえなかった!?ほら、早く!」
芽依子が帰蝶の腕を引いて走り出す。どうしてここに。槙さんは。涼平は。聞きたいことが溢れて、言葉になっていかない。
「槙は無事だ!」
帰蝶の心を読んだかのように鈴鹿が叫ぶ。目の前に槙を背負った鈴鹿の姿が見えた。燃えている樹から三十メートル程離れたところで帰蝶は足をとめる。
「涼平を、連れてくる」
「……その必要はなさそうだ」
鈴鹿が低い声で呟いて、槙を地面に下ろす。振り返れば、静かに燃え尽き、溶けるかのようにみるみる質量を失くしていく樹の前に、黒い塊がある。中を守るように覆っていた黒い影がほどけると、そこには涼平が立っていた。黒い影はゆらゆらと炎のように涼平を取り囲んでいる。
帰蝶が涼平に駆け寄ろうと足を踏み出したそのとき、「息をとめて」と槙の声がした。
【舞え】という声と同時に、ぶわりと風が吹いたように大量の何かが押し寄せ、全く前が見えなくなってしまう。目が開けられない。身体中がこそばゆい。
何が何だかわからないまま、空中に漂うそれらがちらちらと燃え始める。徐々に辺りが明るくなり、帰蝶はようやく事態を把握した。
途方もない数のたんぽぽの綿毛が空を覆い尽くすように舞っている。小さな炎がすぐ近くの綿毛を燃やし、炎が広がっていく。
「…あ」
帰蝶の耳がかろうじて、ぽつりと落としたように小さな涼平の声を拾った。涼平が呆然と桜の樹を見ている。
芦川院で唯一の、枝垂桜。その桜の樹に、綿毛の炎がちらちらと舞い落ちていく。
【逃げろ!】
鈴鹿の声と同時に、帰蝶の足は勝手に動き出す。嫌だと叫びそうになり、それでも身体は芦川院の外へと駆け出していた。長い階段を一足で飛び降りる。下には槙を背負った鈴鹿と芽依子が待っていた。全員が走り出す。
「悪いが出直すぞ。俺と槙が限界だ」
走りながら、鈴鹿は何とか声を絞り出した。帰蝶は何か言おうとして、しかし黙って鈴鹿に追いつき、鈴鹿から槙を奪い取るようにして背中に抱えて走った。芽衣子も何とかついて来ている。しばらく走ると急に現実に戻ったかのように辺りが明るくなった。日が沈んだ直後のようだが先程までの異様な暗さはどこにもない。
「……戻ったか」
鈴鹿がどさりと道路に倒れこんだ。芽依子はスマホで通話をしている。背負った槙の身体が異様に小さく軽い事に、帰蝶はようやく気がついた。
桜を見つめる涼平の姿が目に焼きついて離れない。取り戻せなかったのだと痛感し、しかし果たしてこの手が涼平を留めておけたことがあっただろうかと考えて、もうわからなかった。
細々続きます




