第四話 前編
星に願いを この想いに名前を
これが恋でないなら
好きの代わりに さよならを
祈るだけなら赦されるだろうか
ああ なんておこがましい
あなたの声が遠い
音楽室に歌声が響く。伴奏のない独唱は開いた窓から秋晴れの空へと流れていく。
束の間の余韻の後、控えめな拍手が鳴った。音楽室の一番後ろに真紘が立っている。
「前に作ってた曲だよね。すごくいい」
「まだ途中だけど。それに、私は作ってない。涼平のかわりに歌うだけだから」
「それでも、二人の曲だよ」
帰蝶は微かに微笑んで、帰り支度を始める。真紘はこれから部活に行く装いだ。二人で音楽室を出て旧校舎を歩く。
「もう一週間か。涼平くん、大丈夫かな。俺には返信なくて」
「少しへばってるみたい。軟弱者め」
「…涼平くんによろしく。帰蝶ちゃんも、あまり気を落とさないで」
心配そうな真紘と別れて、帰蝶は一人正門へ向かう。正門には金髪の男が誰かを待つように立っていて、周囲の注目を集めていた。
「ちょっと。目立ってる。迷惑だから」
「連絡はついたか」
挨拶もなく用件を話し出す鈴鹿に帰蝶はため息を吐く。かぶりを振ると、鈴鹿は「そうか」とだけ言った。二人で並んで歩き出す。
「足取りが辿れない。完全に行方不明だ。愁さんがそう言うんだから、近代的な方法じゃ追えない。病院には一度も現れてないのか」
「わからない。春樹は意識が戻ってない。ただ、「声」が消えてた」
「声?」と鈴鹿が訝しむ。帰蝶が頷く。
「今までずっと、春樹の病室には女の子の笑い声がした。無邪気なようで、人を嘲けるような。それが嫌で、あまり近寄りたくなかった。だけど涼平がいなくなってから、その声がしない。それまで春樹が入院してた部屋も確認したけど、特に何も感じなかった」
鈴鹿たちと衝突した日から一週間が過ぎていた。ホテルからひとり姿を消した涼平の行方がわからず、翌日から佐鷺町で行方不明者が相次いだ。愁は東京に帰り本来の仕事に戻ったが、今日、鈴鹿と槙を帰蝶の元へ寄越した。三人で涼平を含む行方不明者を探すつもりだが、手がかりがない。
「何か心あたりは」
帰蝶は躊躇うように口を噤んだが、しかし覚悟を決めたように話し出す。
「…三年前に恋人が死んでる。私は会ったことがないからわからない。涼平には、何か視えていたはず」
鈴鹿が顎で喫茶店を指した。帰蝶が気が進まなかったが、積もる話があるのかもしれない。大人しく喫茶店に入り、鈴鹿は珈琲を、帰蝶はクリームソーダを注文した。
頼んだ物がくると、鈴鹿は慣れたように角砂糖を五つ珈琲に放り込んだ。帰蝶はぎょっとする。
「…甘党にしても、入れすぎじゃない。身体に悪い」
鈴鹿は珈琲を適当に混ぜ、熱さを冷ます素振りもなくそのまま一息に喉に流し込んだ。
「こんぐらいしなきゃ味がわかんねえ。熱さも、冷たさも」
「………」
帰蝶は何と言っていいかわからず黙り込んだ。メロンソーダの上のアイスがじわりと緑に溶けていく。
「言霊の反動は脳にくることが多い。視覚と聴覚、触覚はまだ残ってるが、味覚と嗅覚はそろそろ駄目だ。愁さんが聞かせてくてる紅茶の香りがわかんねえのは、結構堪える」
愁さんには話すなよ、ばれてるかもしんねえけど、と鈴鹿が付け足す。帰蝶は話の内容に言葉を失う。言霊の反動は脳に…。ならば、涼平は。
「遠野とやらに、この三年で変化はなかったか。お前たちが自死代行とやらを始めたのはここ二、三年の話なんだろう」
「涼平は…」
考えることを放棄しそうになって、それでも思い当たる節が勝手に浮かんできてしまう。
急激に落ちた成績、抜け落ちる記憶。涼平は勉強しなくなった理由を調理師になるから必要なくなったと言っていた。病院に勤めたいからだと。それは本気であるようだったし、記憶障害は過度のストレスによるものだと帰蝶は思っていた。
「……勉強が出来なくなったり、物忘れがひどくなったり、する…?」
こりゃまた直球だな、と鈴鹿が苦笑する。しかしすぐに真顔に戻って答える。
「俺はもともと学がねえから学問に関しては何とも言えねえ。記憶力は、すこぶる悪くなったな」
鈴鹿はおもむろに使い古した手帳をこちらに放った。帰蝶が鈴鹿を見ると、「見てみろ」と顎で促される。
簡単に他人に見せていいものなのだろうかと、帰蝶は少々気を揉みながら手帳を開いた。
「…………これ、は」
鈴鹿の詳細なプロフィール、愁と槙の写真、スマホの使い方、日々のささやかな出来事、会話の内容まで。鈴鹿という人間を形作るための情報が、手帳に余すことなく詰まっている。帰蝶はすぐに手帳を閉じた。
唇をきつく噛み締める帰蝶に、鈴鹿は凪いだ声で語りかける。
「アルツハイマーはわかるか。まだそこまで深刻じゃねえけど、今から備えてる。槙もいるし、当分は何とかなると踏んでるが、明日どうなってるかは正直わかんねえな」
「……槙さんの力を借りて、大丈夫なの」
お、さすがに愁さんの妹か、と鈴鹿はなぜか嬉しそうだ。どうして平常心でいられるのか、帰蝶は暗い視線を送る。
「たしかに槙の力は進行性の病気と相性が悪いが、なぜか俺の症状は悪化してない。気持ち程度だが、進行を遅らせてる」
何故、と帰蝶が目で訴えると、俺にもよくわかんねえんだけどな、と鈴鹿が続ける。
「「呪い」は…ごく親しいものにだけ、本来とは違った効果を発揮することが稀にある、らしい。大昔に聞いたことがあるだけで信じてないけどな。俺は厳密にはアルツハイマー病じゃねえし、記憶は「退行する」とか言うだろ。概念として、「時間経過」と相性が良いんじゃねえかって考えてる」
親しいものにだけ、口の中で帰蝶が呟く。鈴鹿は唐突に、「槙さ、あいついくつに見えるよ?」と聞いた。
「…?十代…私と同じくらいか、少し下?」
「はずれ。槙はもう四十だ」
帰蝶が目を剥いて驚く。愁さんより一回り年上なんだ、見えねえだろ、と鈴鹿が言う。若く見えるにしても限度がある。槙は間違いなく生き物として「若い」と、帰蝶の感覚は確信している。
「呪いの…反動」
そうだ、と鈴鹿が答える。
「あいつは自分の力が自分に還らない、なんて言ったかもしれないが、実際この通りだ。他者の時間を進めた分だけ、あいつの時間は巻き戻る。吐き気を催す邪悪な宗教はあいつを「巻神」と呼んでた。初めてあいつと会ったとき、俺はまだ十かそこらのガキで、そっから十五年の付き合いだ。俺にとっちゃ唯一の家族だな」
帰蝶は鈴鹿に違和感を感じ始めていた。彼はこんなに内情を話してくれるほど自分に気を許していなかった。先程の嬉しそうな反応も、まるで初対面のような…。
「私のこと、覚えてないの」
鈴鹿はにっと笑って、「正解」と言った。
「一週間前に会ったことは知ってる。けど、この手帳に書き残した範囲でしか、あんたを知らねえ」
「…全部覚えてたら、きっと私に手なんか貸さない」
帰蝶の言葉に、そうかもな、と鈴鹿が呟く。
「俺はその遠野とやらも覚えてない。どうやら相当に規格外らしいな。俺ならきっとそいつを生かしておけねえと思っただろうよ」
その通りだ。あの日の鈴鹿は、涼平に対して敵対の姿勢を崩さなかった。どうして、という思いをこめて鈴鹿を見る。鈴鹿は少々居心地が悪そうに頭をかいた。
「…でもな。それでも、その日の俺は手帳に、そいつは死ぬべきだとは書いていない。何があってどんな心境の変化があったかは、もう知る由がねえけど」
「何て書いてあったの」
「本当に手遅れかどうか、もう一度見極めろ」
「………」
何も言わない帰蝶に、「だからよ」と鈴鹿は続ける。
「もう一度この目で確かめるまでは、力を貸してやる。確かめた結果、結論は変わらねえかもだけど」
「………涼平が」
うつむいて表情が見えなくなってしまった帰蝶が声を震わせた。
「……次、会ったとき、私のことが、わからなかったら、」
拳を強く握り締める帰蝶に、鈴鹿が「大丈夫だ」と言い聞かせるようにゆっくりと言葉を紡ぐ。
「長期記憶はそんな簡単に忘れられるもんじゃねえ。もしお前のことがわからなくても、お前がちゃんと覚えててやれ。そうしたら、大丈夫だ」
顔を上げた帰蝶に、俺が言っても説得力ないけどな、と鈴鹿は肩をすくめる。
「安心しろよ。呪い頼りで生きてきて散々ダメージが蓄積してる俺だって、こんなにまるっと記憶がとんだのは初めてなんだ。十中八九言霊が失敗したせいだ。普通にしてりゃ問題ない。多分」
「多分…」
帰蝶はじとりと鈴鹿を見たが、鈴鹿は笑うだけだった。
この人は、自分が大事な人を忘れてしまうかもしれないことが怖くないのだろうか。…きっとそんな人はいない。帰蝶は少し冷静になって、ようやくぬるくなってしまったクリームソーダを口にした。
「それで、本題は」
鈴鹿はそうだったな、と改まった。
「ひとつ確認しておきたいんだが、どうしておまえらは自死代行なんて危なっかしいことを始めたんだ。遠野とやらを探すためにも、もう理由を知らないわけにいかねえだろ」
「………」
帰蝶はそれを聞かれるとわかっていても、いざ話そうと思うとうまく言葉にならなかった。鈴鹿は帰蝶の戸惑いを躊躇だと感じたのか、言葉を重ねた。
「俺だって他人の生き方にケチつけられるほど立派じゃねえ。それどころか、多分、おまえらよりよっぽど罪を犯してきてる。愁さんに出会わなかったらきっとそのままだった。おまえらを一方的に非難したりしねえし、する資格もない。それに、」
鈴鹿はテーブルの上に置かれたままの手帳をとん、と指で叩いた。
「聞かなくていい話だったらそのときは忘れてやるよ。これに書かなきゃ大丈夫だ」
幼子を安心させるかのような鈴鹿の態度は、どこか愁に似ていた。一緒に過ごすと人は似てくるのだろうか。そんなことを考えて、帰蝶はようやく口を開いた。
「きっかけは偶然だったし、春樹と涼平がどうして自死代行をしようと思ったのかは知らない。私は二人に誘われただけだから」
「どうしてそれに乗ったんだ」
「…私にも、彼らの力が必要だから」
「話せるか」
自死代行とは関係ないと帰蝶は言ったが、鈴鹿は「聞いてから判断する」と言って聞かなかった。愁兄さんには言わないでとの念押しにも、同じ返答が返ってくる。帰蝶は諦めて大きく息を吐いた。
「…人を探してる」
「誰を」
「兄を。愁兄さんじゃない。…血の繋がった、兄がいる」
「普通には探せないのか」
「私は多分、兄に呪われた」
帰蝶の言葉に沈黙が流れる。鈴鹿が静かに、「探してどうする」と言った。帰蝶はそれには答えない。
「……呪いが強くなるぞ」
鈴鹿は苦虫を噛み潰したような表情だ。帰蝶は「構わない」と即答した。
「涼平と約束したの。……涼平はもしかしたら、忘れちゃったのかもしれないけど」
帰蝶の目が哀しげに伏せる。しかしすぐにクリームソーダを飲みきって、話が戻るけど、と空気を切り替えた。
「二人が自死代行する動機は知らない。だけど、これだけはわかる。涼平は春樹の願いを叶えるために動いてる。自死代行は正義のためでも救済のためでもなく、春樹の目的のために行われてきた」
「…それが何かはわからないが、その春樹とやらは恋人が死んでから自死代行を始めたってことか」
帰蝶は頷く。
「春樹の容態が悪化して追い詰められてるところに、あんたが追い討ちをかけたから、涼平は…」
整理すると恨めしい感情が蘇ってきて、思わず鈴鹿を睨みつける。鈴鹿は「悪かったよ。覚えてないけどな」と悪びれることなく言った。時間の問題だったと、帰蝶も頭ではわかっている。
「その春樹とやらは、呪われてるのか」
「…わからない。それらしい力を使ってるのは見たことない。異常にパソコンに強かったけど」
「例えば」
「他人のパソコン乗っ取ったり、個人情報吸い出したり」
「それは…出来すぎっちゃ出来すぎだが…クラッカーの範囲内か…。愁さんみたいな人もいるしな…」
愁の名前が出て、帰蝶はいよいよ気になっていたことを口にする。
「二年前に愁兄さんの事務所に行ったときは、アルバイトを一人雇ってるだけだったし、それはあんたじゃなかった。どうして愁兄さんのところに」
それ、いま関係なくないか?と鈴鹿は言ったが、帰蝶は「聞いてから判断する」と言い返した。鈴鹿は鼻のあたまをかいて、「あー」と言い淀む。
「もう一年半経ったか。俺が生き倒れてるのを愁さんに助けてもらって、何と言うか、そのまま槙と一緒に置いてもらった」
「……あんたたち、本名は」
「俺も槙も名前がなかった。愁さんのとこで働くようになってようやく体裁的に必要になって、愁さんのおかげで戸籍が作れた。だから名前は形式上のもんで、俺たちにとっちゃ馴染みがない。「スズカ」と「マキ」に漢字を当ててくれたのは愁さんだから、それは大事にしてんだが」
鈴鹿はなぜか顔を赤らめている。帰蝶はなぜか聞きたくない惚気を聞かされたときのように感情が死んだ。
帰蝶が無言を貫いていると、鈴鹿は「俺も少し聞きたいんだが」と切り出した。
「……あんたは愁さんの「妹」でいいんだよな?」
「……………」
帰蝶の中で改めて鈴鹿が敵として認識された。
「…私は司法試験受けるから。私が愁兄さんのところに就職したら、あんたはお払い箱」
「はあ!?」
鈴鹿はすっとんきょうな声を上げて前のめりになった。
「どう見ても弁舌たくましいタイプじゃねえだろ!法律なめんな!刑法民法で口プロレス出来んのかよ!?」
「勉強してる」
ツンと顔を背ける帰蝶を鈴鹿はしばらく口を開けて見ていたが、やがて声を出して笑った。
「…将来の夢が語れるんなら大丈夫だな。曲りなりにも法に携ろうって奴が犯罪紛いに手ぇ染めてんのはいただけねえが、俺にそれを言う資格はねえ」
愁さんが何て言うかはわかんねえけど、と鈴鹿は意地の悪い笑みを浮かべた。そして呟くようにこぼす。
「あんたは、人の社会の中で生きていたいんだな」
「………」
鈴鹿の表情は真剣だった。「少しは気分が紛れたか」と問われ、帰蝶はだいぶクリアになった頭で「今」やるべきことを思い出す。
「涼平を、絶対に見つけ出す」
帰蝶が静かに決意を新たにしたとき、鈴鹿のスマホが鳴った。スマホを確認した鈴鹿が立ち上がる。
「行くぞ。槙と合流する」
細々続きます




