1.言ってはいけないこと
今日は朝から、藍川ひとみはイラついていた。最初は些細な事だった。でも、それが積み重なっていき、だんだんとガマンできなくなっていた。だから、いつもなら、なんとも思わない養父母──藍川隆史と藍川春子との会話にイラつき反射的にこう言っていた。
「本当の親じゃないくせに……! 何──」
(あっ……!)
言い終わってから、直ぐ様謝ればいいのに、謝れなかった。そして、直ぐにそれを後悔していた。そして、その言葉がしっかりと耳に届いているだろう隆史と春子が次に発する言葉が怖くて、逃げたしたい気持ちになっていた。でも、ひとみは動く事ができなかった。そして、隆史が座っている椅子のガタッという音に、ひとみは肩をビクつかせた。
「確かに、私達は本当の親じゃない。でも、ひとみの事を誰よりも愛している」
その言葉を聞いても、ひとみはその言葉をそのまま受け取れない。そして、空気を悪くしてしまったのは自分自身だが、その空気に耐えられず、席を立つ。そして、自室用に与えられた部屋へ行こうとするひとみに春子が声をかける。だが、それを無視して、部屋へ向かうひとみ。そして、部屋の扉にもたれかかり、しゃがみ込む。
(はぁ……)
一番言ってはいけない言葉を言ってしまった。そして、自分の左手の親指を見る。そこにはひとみにだけ見えている親との繋がりを示す藍色の糸が在る。それは本来親との繋がりを示す為、父親と母親との繋がりを示す為2本在るが、ひとみには、それが5本在る。それを見る度に、ひとみはこう思っていた。
(なんで、5本も在るのよ。2本でいいじゃない……)
学校の友達だって、だいたいの子達が2本だ。中にはひとみと同じ様に5本の子もいるが、自らその事を言う事はない。だから、ひとみは幼い頃から、2本の子達が羨ましかった。でも、これは誰にも言えない事。だから、ひとみも自ら言った事はない。
(はぁ……)
ふと、カレンダーを見る。それには1人暮らしを始める日が赤丸で印がついている。
(予定より、少し早いけど……)
ひとみは立ち上がり、ボストンバックやスーツケースをクローゼットから取り出しその中に荷物を入れ始めた。
既に住む家は契約してある。ひとみは荷物を入れ終えた後、隆史と春子に謝り、直ぐに家を出る事を伝えた。
「えっ……もう少し、先──」
春子の言葉にかぶせる様に隆史がこう言った。
「ひとみが決めたのなら、私達は何も言わない。気をつけるんだよ」
「はい……。いままでありがとうございました。そして、本当にごめんなさい……」
ひとみの言葉に、隆史も春子も「私達も悪かった」と言って、ひとみを抱きしめてくれた。だが、ひとみは隆史と春子の背中に手を回す事ができなかった。
(遂に、腕を回せなかった、な……。わたし……)
幼い頃から、親子が抱擁し合う姿を見て羨ましく思っていたが、遂に出来ぬまま、社会人としての1歩を踏み出そうとしている。
(わたしにもできる時がくるのかなぁ……)
「さぁ、出発は今週の土曜日。残りの日々を楽しもう」
「そうね、出発の前日はご馳走よ、楽しみにしててね」
「……うん」
今日は木曜日。土曜日まであと、今日を入れて、後2日。大切に過ごそうと心に決めたひとみだった。




