うつうつおばけ2~十二月~
うつうつおばけ うつおばけ
ぼくとわたしはゆめのなか
いすにすわるきみをながめる
あしたのきみにあえるかわからないけど
とうめいなからだになってみまもるよ
みみをふさぎ くちをとじて
かなしい かなしい
うつうつおばけの話をすると、うつうつおばけが、一ヶ月以内に君の夢の中へ現れる。
一ヶ月って、随分と期間が長いのね。だって、うつうつおばけは、私と同じくらい気が長いもの。首を長くして、君に会う日数を今か今かと、指を折って待っているのよ。
――田鋤咲子
「…………はぁはぁはぁはぁ――」
苦しい、苦しい、苦しい。
ひとまず、落ち着かせる為に、掌を胸に置く。
そして、意識して息を吸う。意識して息を吐く――余計なことを一切考えず、何度もそれを繰り返していく。
「――はぁはぁはぁはぁ…………」
まだ、息が苦しい。まだ、呼吸が乱れる。
朝の冷たい空気を胸にいっぱい詰め込んでも、全然楽にならない。
苦痛で、苦痛で、仕方がない。
「……すうぅ、はあぁーー……」
手を置いたところから、心臓の鼓動を感じる。
私が生きている音。私が生きている証拠。死ぬまで止まらない、命の心音。
「ふーー…………」
どうやら、私の身体は漸く落ち着いてきたみたいだ。
ゆっくり先程と、同じように深呼吸をする。余裕な気持ちの状態でする方が、身体と心が安らぐ。
そういえば、なんだか顔が寒いような気がする。風邪でも引いたのだろうか。
急に寒さを感じ、布団にもぐって、目を閉じる。
すると、今まで気にもしなかった音。廊下からパタパタと、スリッパの足音がするのに気が付いた。
「○○、朝よ、いつまで寝てるの、学校に遅れるわよっ!」
苛立ちを声に滲ませた母が、私の部屋に乱入した。
ああ、そうだ、今日は平日。当たり前のように学校がある。
チラリと布団の中、枕元にある目覚まし時計を見ると、起床時間は疾っくに過ぎていた。アラームはONになっているので、私が気が付かなかっただけだろう、はぁ。
今日は動きたくないんだけどなぁ。
ベットから渋々起き上がると、
「……泣いていたの?」
「えっ……?」
不審そうな顔をした母に、そう指摘される。
頬を触ってみると、僅かに湿っていた。
顔面がやけに冷たいと思っていたら、これが原因だったのか。
「体調でも悪いの、あんた? 今日は学校をお休みする?」
「…………う~ん、うん」
正直、学校に行かなくていいのなら、今日は行きたくない。そんな気分で、そんな気持ち。
「そう……っなら、学校はお母さんが連絡してあげるけど、☆☆ちゃんには自分で言いなさいよ」
「うん」
今、電話はしたくないから、コミュニケーションアプリを使って☆☆に欠席を伝えよう。
「あと一時間したら、お母さんは仕事に行くからね。朝ごはんはダイニングテーブルに置いてあるから、食べられるなら下りてきなさい」
「うん」
「『うん、うん』と返事は良いけど、ちゃんと聞いているの? まぁいいけど……」
母は用件が終わったからか、部屋から出ていった。
「――うつうつおばけの噂は、本当だった」
前髪をグシャグシャに握りながら、私はベッドに再び寝転んだ。
電灯を点けず、ダイニングテーブルに顔を置く。頬に当たるテーブルはヒンヤリと冷たい。
遮光カーテンを開けず、天気も曇り空のため、リビングに光が入らず薄暗い。
そのため、家の中も、多分外も寒い。
なんていうか、雪でも降りそうな天気だね。嫌だな。
「ふー、怠い」
母が用意してくれた朝食を食べにきたが、どうにも、口にする気がおきない。
私の身体は空腹を訴えているのだが、私の精神は望んでいないようだ。
身体と精神の衝突。
身体の調子が、ちぐはぐして嫌になる。
「うつうつおばけか……」
羽織った上着のポケットから、連続して鳴るスマートフォンの音をBGMにして、今朝見た夢を思い出す。
夢の中、学校で使っている椅子に私は座っている。
私の周りは闇に覆われて、まるで日影を霧に変化させたように薄暗い。
私の背後も、墨を溢したような黒色。光を遮断された洞窟のように、どこまでも真っ黒な世界は続く。
夢の中、白い空間に私は立っている。
私の周りは光に包まれて、まるで照明を集中的に当てているように眩しい。
私の背後も、筆で認める前の半紙のような白色。吹雪いている冬山のように、どこまでも真っ白な世界は続く。
そんな闇に覆われた暗い場所にいる私と光に包まれた明るい場所にいる私の間に、それはいた――うつうつおばけだ。
うつうつおばけは、透明な老若男女の集団だ。
ゆらゆらと、蜃気楼のように存在がぼやけているうつうつおばけは、初めは独りでいる。
それが瞬く間に、わらわらと、砂糖に集る蟻のように、いつの間にか数を増やしていくのだ。
そして、集ったうつうつおばけは、椅子に座る私を論い始める。
初めは些細なことから始まる。
――鼻に散った雀斑。提出が遅れたアンケート用紙。石に転んで出来た擦り傷。
次に悔いた過去の出来事をあげられる。
――親しくなれなかった憧れの同級生。告白しなかった初恋の先輩。喧嘩別れをした友達。
それが終われば、今度は不安を煽っていく。
――点数が悪い数学のテスト。決まらない将来の夢。ダイエットしても減らない体重。
とにかく、責める、責める、責める。
そして、否定、否定、否定。
終わりのない責苦。時間の感覚などなかった。
嗤いながら、憤って。哀しそうなふりをして、娯しむ。あれは、途轍もなく恐ろしい化け物だ。
お前はなぜできない! お前はなぜやれない! お前はなぜ動けない!
お前にできるはずがない! お前にやれるはずがない! お前は動けるはずがない!
うつうつおばけは、入れ換わり、入れ換わり……私という存在を否定する。
あああ、頭がおかしくなる。
……その時は恰も、うつうつおばけが私の記憶を読み取り、心の奥に仕舞っていたことを引き摺り出している感覚だった。
うつうつおばけが透明な指を差して、私を痛め付けるとき、意識は引っ張られて、椅子に座る私へ移動する。
そこに居たくない。椅子に座る私になりたくない。あそこに戻りたい。
手で耳を塞いでも、伝えてくるうつうつおばけの巨大な意思を拒絶したい私は、立っている私へ意識を逃がしたかった。
そう、傍観者のように、ただ立っているだけの私になりたかった。
私は、強く強く願った為か、それはすぐに叶った。
光に照らされながら、立っている私に意識が移ったのである。
うつうつおばけの後ろに居る私になったのだ。
うつうつおばけの方を見ると、椅子に座る私を只管夢中になって詰っている。意識が入れ換わったのを、気付いていないのだろう。
安全圏に移動ができて、ほっとした。
しかし、喜びも束の間、一人のうつうつおばけが、突然立っている私の方へ振り向いたのだ。
ぼやけている、透明な体の、うつうつおばけは私の知っている人物であった。
なぜだか、その時、私はそう確信したのである。
今まで私を否定していたうつうつおばけに、知り合いは唯の一人もいなかったのに、なぜ。
なぜ、なぜ、そこに、うつうつおばけになっているのだ。
――振り向いたうつうつおばけは、✕✕さんだった。
――✕✕さんは、自分の言葉で、私を……
さっきまで鳴り響いていたアプリの音は、いつの間にか聞こえなくなっていた。
そうだ、一緒に登校している☆☆に、明日は学校へ行くことを連絡しないと……
私は何も食べず、二階の自室に戻った。