うつうつおばけ1.5~十二月~
――✕✕さんは自家用車の助手席で亡くなったようだ。
――なんでも、晩御飯を食べた帰り、車が電柱に衝突したらしい。
彼女と同じ部活のクラスメイトが、ぐちゃぐちゃになった泣き顔でそれを話していたのを、私は盗み聞きして知った。
というか教室の中で、あんな馬鹿でかい声でしくしくと喋っていれば、誰の耳にも届くか。
「〇〇ちゃんも見に行く?」
「えっ、ごめん、ちゃんと聞いていなかった。何を見に行くの?」
ざわめきが減って居心地の良い教室で、スマートフォンを弄っていると、仲の良いクラスメイトに誘われた。
やけに静かだけど、今日、何か大きい行事なんてあったっけ……?
不審に思い、軽くパッと周りを見回すと、次の授業は移動教室でもないのに、教室内の生徒数は何故か少なくなっている。
「ほらっ、✕✕さんて美術部だったでしょう。彼女の最後の作品を見に行こうって話だよ。明日の朝方、親御さんが持ち帰るみたいだから、今のうちにね~」
「ああ、それなら見に行くよ」
✕✕さんは高校生ながら、イラストレーターとしてもネット上で活躍をしていたようで、絵が本当に上手いと校内の噂話で耳にしたことがある。
一体どんなジャンルの絵を描いていた人だったのか、今とても気になっている。
「最近描いていたラフ画は、夢に出てくるものをモチーフにしたらしいよ。◇◇ちゃんが言ってた~」
「へえー、そうなんだ」
休み時間より長い休憩時間とはいえ、昼休みは半分以上過ぎているから急がないと。
廊下を早歩きで移動する。
目的地の美術室へは、もうすぐ到着する。
どうやら、私たちのようなミーハーな生徒が美術室へ乗り込んでいるようだ。
学年関係なく、美術室に人が集まっている。
美術室には初めて入ったが、やはり教室よりは広々としている。
私たちは生徒が群がっている箇所へ狙いを定め、足を進めていく。
音楽室の壁のように穴が空いているキャスター付きのパネルに、部員の作品が飾っており、彼女の遺作も同じように展示されていた。
その有孔ボートの展示パネルは、生徒たちに悪戯をされないように、周りをぐるりと黄色いテープで囲ってあった。
また、上級生の美術部員が目を光らせて警備に当たっており、あまり作品に近付きすると注意されるみたいだ。
仕方がないので、他の生徒と同じように立ち入り禁止のテープから離れた位置で、彼女の絵を眺めることにした。
「おー、凄くプロっぽい作品だ。さすが! とても上手だね~」
「うん、なんていうか、配色が独特で迫力のある絵だね。威圧感がズシンと来る……」
今まで絵画を真面目に鑑賞したことは一度もなかったけど、私の目には確たる名作に映るほど、彼女の作品は大変素晴らしかった。
……そういえば、私は彼女と別クラスだから会話をしたことはないし、選択授業で重なったこともない。
また、入っている委員会も全く違うし、体育の授業も一緒ではない。
それに、掃除の場所も美術室ではなくて一階の廊下だったから、これまでここに入室したことはない。
――私は✕✕さんとは、一度も関わったことはないのだ。損したな。
――そんなに凄い人なら、一回でもいいから話し掛けてみれば良かった。そう、友達になれば最高だったな。
彼女の描いた力強い絵画を見て、私はそんな風に残念に思ってしまった。
なんとまあ、烏滸がましい考えなんだろう、私は。
胸に宿った傲慢な想いを恥じて、私は自分の指を爪で、ぐりぐりと傷付ける。
沸き上がる自己嫌悪。気持ち悪い。
どこでもいいから、今は独りになりたい。
だんだん気持ちが暗く沈んでいく。
正面を向いていられず、身体が俯く。
「〇〇ちゃん、ラフ画の方も見に行く? ラフは動物の絵だって~」
「……あっ、ごめん、急にトイレに行きたくなっちゃった。多分、時間ぎりぎりになるから、ラフは見れないっぽい」
「あちゃー、しょうがないね。じゃあ、私は見に行って来るね~」
「ごめんね。私、トイレに行ったら、そのまま教室に戻るからさ」
「了解~」
自分に吐き気がして、私は急いでトイレに駆け込んだ。幸運にも、トイレには誰もいなかった。
ふらつきながら、手洗い場の前に立つ。
鏡に映っていたのは、暗く硬い表情をした私であった。それは、愛想笑いすら上手く作れない証拠でもある。
ああ、醜い自分を誰にも見られなくて良かった……
引きつった笑顔になっている、鏡の中の私を見てうんざりした気持ちになる。
ああ、先程生まれたばかりの不愉快なこの感情を、窓から放り投げて楽になりたい……
辛くなって鏡から逃れようと、両手を使って顔を隠す。
後ろ向きになって、私の顔を映さないように鏡から逃げる。
今は鏡を見つめているだけで、嫌な気持ちがどんどん吹き出てくる。疎ましくて、疎ましくて、どうすれば……
駄目だ。駄目だ。このままでは、駄目だ。
休み時間の間に立ち直らないと……
その後、何回も何回も溜め息をついては、冷水で顔を洗う。
そうして、悍ましい自分の姿を必死に覆い隠してから、教室に私は帰っていった。