6・心躍る異世界グルメ(チキンのシュニッツェルと秋の食肉)
サトルを窮地から掬ったのは、意外なことにお兄ちゃん(仮)だった。
モーさんの存在を前に固まるサトルの視界に、さっと手を差し入れる。
「あ……」
「どうしましたか?」
「ああ……いや、あの、モーさんみたいな妖精が……」
ルーに答えようとしてモーさんの方へと視線を向けると、いつの間にかお兄ちゃん(仮)がモーさんを抱え上げていた。
お兄ちゃん(仮)の目が、サトルを憐れむように見ている。
アンジェリカが「虫にたかられる気持ちは分かる」と言っていたことをサトルは思い出いだす。きっと過去に何かあったのだろう。
「いたんですか?」
モーさんと聞いて顔が輝くルー。しかし残念ながらルーには今の状態のモーさんは見えていないらしい。
「今はアンジェリカのお兄ちゃんが確保していてくれてる」
「お兄ちゃんが? そう……妖精同士って触れられる物なのね。でも残念だわ、見えないみたい」
アンジェリカもお兄ちゃん(仮)とモーさんが一緒なら見てみたいと興味津々だ。
「ああ、小さいからな、モーさん。もう少し集まって大きくならないと見えないのかも」
「そう。だったら家に帰ったら見てみるわ」
「お兄ちゃん次第だな」
お兄ちゃん(仮)が自分からモーさんに触らなければ、見ることはかなわないだろう。
先ほどの家での様子から、それが絶対に可能だとは言えないサトルは、適当に誤魔化す。
「ふふ、そうね」
サトルの態度に感じるものがあったのだろう、アンジェリカの耳が悲し気に後ろへと伏せた。
実はウサギの耳は前に伏せることはないんだなと、何となくどうでもいいことをサトルは思った。
恐怖も去ったのだし、せっかくなので料理をいただこうと、改めて皿に目をやるサトル。
気になる物がそこにはあった。
「ジャムが……ついているんだな」
古今東西肉料理に果物のソースやジャムを合わせる、というのは実は多い。
日本では敬遠されがちではあるものの、ジビエ肉や癖の強い肉の匂い消し、肉質を柔らかくするため、ソースの甘味や酸味のために果物を使うと言うのは実に効率的だ。
実際本場のシュニッツェルにもジャムが添えてあることが多い。
問題は、そのジャムが何なのか分からないことだ。
見た目は半身に割ったサクランボのような物体を煮込んだジャムに見える。色は鮮烈な赤。少しフォークで崩すと、酸味の強い匂いが立ち上る。
少しワインに似た発酵臭もあった。
「ええ、シュニッツェルですもの」
「なるほどなるほど」
シュニッツェルにはこのジャムを添えるのが定番という事か。
サトルの世界のシュニッツェルとあまり変わりはないらしい。
しかしシュニッツェルは油で泳がすように揚げるよりも、たっぷりの油で揚げ焼きにする調理法なので、ステーキにパン粉をまぶしたような見た目の物も多いのだが、これは日本のカツのような均一なきつね色。揚げ物然とした見た目だ。
フォークを入れるとサクリと軽快な音がする。パン粉はかなり細かいようだ。サワークリームとジャムを付けて口に運ぶ。
「甘酸っぱい」
日本人が好きな「米に合う塩気」という物はなく、酸味で食べさせるような味に、サトルは少しがっかりする。
鶏肉は臭みがなく、薄く叩いて伸ばしてあるので歯切れよく柔らか。細かい衣がしっかりと密着させてあるので中の水分は逃げずにジューシーな味わい。
しかし肉の下味は薄く、香ばしい匂いと甘酸っぱいジャムの匂いだけでは、なかなか主菜として食べるには苦しいように感じた。
焼いている油はバターかと思ったが違うようだ。癖のないさっぱりとした味わい。植物性の油のようだがサトルにはこれが何油かまでは分からない。
そこそこ美味しいのだけど物足りない。それが分かりやすいほど顔に出ていたようで、アンジェリカが肩を震わせ笑う。
「本当にグルメなのねえ」
「ですよね!」
「え、何でそうなる」
「だってあなた、普通にしゃべっている時より食べている時の方が、ものすごく雄弁な表情をしているわよ」
見ればお兄ちゃん(仮)も笑っていた。
自覚が全くなかったと、サトルは自分の顔を触る。
「塩気が欲しければそこのオニオンソテーを一緒に食べなさいな」
「ん、分かった」
アンジェリカに言われた通りオニオンソテーとサワークリームと一緒に食べてみる。すると強めに塩を振ってあったらしいオニオンソテーの塩気で、シュニッツェルは食べやすさが増し、オニオンの甘味とサワークリームの酸味が口の中で混じり合い、うま味の強いソースのようになった。
「これはいいな」
海外のポテトクリスプなどで、サワークリームオニオン味が人気になるのも分かる気がすると、サトルは上機嫌でフォークを進める。
ジャムとオニオンソテーを一緒にすると、今度は上質なワインを使ったソースのような、深みのあるソースになる。
サワークリーム、ジャム、オニオンソテーの三つを同量混ぜると味のまとまりがなくなたった。どれも主張が強すぎて鳥の味やパン粉の香ばしさが死んでしまうようだ。
少しジャムを減らすくらいがいいように感じる。
サトルは一番美味しい分量を見極めようと、無言で料理を食べ進める。
そのあまりの真剣さに、ルーとアンジェリカが笑いをこらえきれず吹き出してしまったのは、仕方ない事だったといえよう。
「美味しい物は人生の伴侶だ。美味しい物と出会える人生に感謝してるんだよ。笑うなって」
「ごめんなさいな。でも伴侶はちゃんと女性を選んだ方がいいと思うわよ」
似たようなことをルーにも言われたなと、サトルは渋く思う。
「いいんだよ、俺はこれで」
結婚なんてしたいと思える相手がもういない。
言い返す言葉もないまま、サトルはシュニッツェルを口に運ぶ。
ふと思い、聞いてみる。
「そう言えば、牛肉ってここでは食べる?」
シュニッツェルと言えば牛肉だが、アンジェリカは少し困ったように笑う。
「ええ、でも滅多に食べることはないわね。乳を搾るくらいよ。サトルは牛肉がお好きなのかしら? ここではあまり食べられないわよ」
考えるまでもなかった。近代化されたの畜産の技術が無いのなら、牛一頭を育てる年月を考えたら、肉を取るよりも乳を取るこのと方が多いだろう。
「鹿肉は?」
牛肉や鹿肉が食べたいと言うよりも、これは好奇心で聞いていた。
「私鹿肉好きです。狩猟の時期しか食べられないので、秋が楽しみです」
ルーは鹿肉と聞いて、ぱっと顔を明るくする。日本でも鹿肉には一定のファンがいるので、それは不思議はなかったが、秋が楽しみという言葉にサトルは少し驚く。
「狩猟は秋なんだ? 年中獲れると思っていた」
「春は身が痩せてる、夏は他に食べる物が有るし、木の実食べた秋の鹿が一番美味しいから、市場に出回るのは秋が多いのよ」
「ああ、そういう事なんだ。じゃあ豚肉は? 豚も秋?」
「そうね、冬の前よね」
「やっぱり」
春に子供を産ませ、夏はその辺りの草の根をを食ませ、秋にどんぐりなどを食べて脂肪が付いた頃に肉にし、加工した肉で冬備えをし、冬の家畜の餌代を必要としないようにする。
豚肉食の文化でよく見るあれだとサトルは納得する。
ならば肉を食べたければ秋。
半年以上このガランガルダンジョン下町に滞在しなくてはいけないとなったとしても、十分に希望はあると、サトルは目を輝かせる。
油物に合う美味しい酒。食肉加工が根付いた文化気候風土。そして美味しい酒や料理を出す店がある。
長くなるかもしれない異世界生活に光を見出し、サトルは内心ガッツポーズを決めていた。