12・運命にして衝撃の出会いそして
ここ数日、見知らぬ天井の下で目を覚ますのは二度目だった。
サトルは古い木で作られた天井をぼんやりと見上げながら唸る。
体が痛い。どうやら自分は床で寝ているらしい。
キンちゃんたちの治癒も、冷たく硬い床でずっと圧迫され続ける筋肉や血管には効かないらしい。
酷い肩こりのような痛みがあり、サトルはちくしょうと呻いた。
連日悩まされていた胃痛や、二日酔いのような感覚が無いのが救いか。
「あ、起きた!」
嬉しそうにそう言うのは、昨晩酒場で出会ったばかりのはずの少年、黒猫耳のヒース。本当に嬉しいと思っているのだろう、シャツの裾からこぼれる猫の尾が上機嫌に持ち上がっている。
「良かったな、死んでなくて」
はははと嘘くさい笑い声をあげるのは、ヒースの冒険者パーティーメンバーで、腹黒と評された青毛狼耳の眼鏡のマレイン。
顔は笑顔なのに目が笑っていないのが嫌な雰囲気だ。
「ああ、そうだな」
口数少ないが、とても頼りがいのありそうな声で、彼らのリーダー、赤い獅子の鬣のセイボリーが頷く。こちらは口角がしっかりと上がり、本当に安どしているのが分かる。
「私が看ていたんですから、当たり前でしょうに」
と、苦笑する髭と眼鏡の初老ほどの紳士、長いたれ耳のルイボス。
「まったく、酒を飲みつけないと言っている人間に、無理やり飲ませるからですよ」
わがことのように怒ってくれるロシアンブルーの猫耳バレリアン。怒っているというのは、ぴるぴると震える耳と、床を叩く長い尾がこれでもかと分かりやすく主張してくれている。
サトルの一人暮らしの家の部屋よりやや広い部屋に、男ばかり、サトルも合わせて七人。
直接床に腰掛けたり、窓枠に腰を預けたり、思い思いの格好でくつろいでいるようにも見える。
「うわ、むさ苦しい」
思わずサトルが呻いてしまったとしても、仕方のなかったことだろう。
ちなみに、もう一人こと赤狐耳のクレソンは、サトルの横で大の字になって眠っていた。
「悪いけど、もう一人むさ苦しくなるよ。おいで、下にみんな揃ってる」
そう言って室外から声をかけてきたのは、ひょろりとした黒い影のような若い男性。
サトルは誰だったろうかと思いだそうと首をひねる。
昨晩は一気にいろんな人間の紹介を受けた。しかもその直後にアルコールだ。そのせいで名前を覚えきれなかった人間も多い。
例えばルーが信頼しているだろう冒険者パーティー、オリーブ、アロエ、アンジェリカまでは分かるが、覆面の女性と、短い耳の巻き毛の女性は名前を憶えていない。
人の名前どころか、自分がなぜこんな状況になっているのかも覚えていない。
室外の男性はワームウッドだとヒースが教えてくれた。
「あの……ここはどこでしょう?」
だからとりあえず聞いてみる。
「あー、あー、やっぱり覚えてないよこの人!」
「当たり前ですよ。明らかに酩酊状態だったじゃないですか」
やっちまったと頭を抱えるヒースに、呆れたように返すバレリアン。
「クレ兄のせいだ、全部」
「まったくこの人は本当にろくなことをしない」
そんな風に言いながら、二人でクレソンをげしげしと蹴りつける。クレソンはまだ起きない。図太い男である。
「あ、ちょ、人をそんな乱暴に」
「ほらあこの人良い人だよ、サトルさん良い人。何がもっと飲ませて裏を吐かせてやるだよ! 吐くもの無いよたぶん」
ヒースの憤る声と言葉で、サトルは何となく昨晩何があったのかを思い出す。
サトルが一度酒で昏倒した後、キンちゃんたちが解毒をしてくれたのか意外と早くに回復した。
それからせめて何か食べてからではないと酒は無理だったなと反省し、茹でただけの芋を油と塩で食べたのだが、もう帰ろうとしたところで、クレソンがサトルに絡みだしたのだ。
瓶に入った酒を持って、サトルに飲むように勧めるクレソン。
ヒースとバレリアンは必死に止めようとしたが、結局口に瓶を突っ込まれ、そのまま酒を流し込まれてしまった。
後はもう記憶が無い。
「あの、本当にここはどこなんでしょうか?」
もう一度ヒースに聞けば、ヒースは耳をぺしゃりと伏せて、ごめんなさいと頭を下げる。
「ここはルーの家だよ。クレ兄のせいだし、責任もってサトルさん運べってマレインさんに言われて」
「それで、そのまま皆でここに泊まらせてもらったんですよ」
バレリアンが補足する。
「床に?」
「寝具が無かったそうなので」
どうやら廊下の男性も合わせて八人で、床の上にごろ寝をしたらしい。屋根がある分ましなのかもしれないが、それでも雑な扱いだろう。
しかしその雑な扱いが、ルーの家だと聞けば、なるほど寝具が無いのも頷けた。
「……ありがとうございます」
酒場から此処までどれくらいの距離があるかはわからないが、人一人を運んでくるのは大変だっただろうとサトルが礼を言えば、ヒースもバレリアンもとんでもないと首を振る。
その間同じパーティーの仲間だろうセイボリー達は、サトルたちのやり取りを黙って見ていた。
ああ、これは観察をされているなと、サトルはあえて見られるまま話を続ける。
「そんな! 俺たち謝るべきなのに」
「いや、得体のしれない俺をルーやアンジェリカと三人きりにするよりも、よほど二人も安心したと思うし」
マレインが小さく息を吐くような苦笑をした。
サトルが視線を向ければ、わざとらしく肩をすくめる。
例えば国籍のわかっている旅行者であったとしても、男一人をうら若い女性一人暮らしの家に泊めるという事は、正常な危機感がある者ならまずしないだろう。
クレソンがサトルを酔い潰したのも、ルーたちの事を心配してという可能性すらあると、サトルは考えていた。
ヒースは慌ててそれは誤解だと言いかけるが、実際誤解ではなく、その意図があったと白状してしまう。
「違う! 違うって……あの、いや、違わなくはないんだけど」
「身分の保証は、一応ローゼルさんがしてくれることになってるけどね、俺は今の段階ではまだ自分が不審人物だって理解してるよ」
「うー……」
ヒースはサトルの事を悪く思っていないのだろう。それでも疑わざる得ないことに、不満があるようだった。
「ヒースは良い奴だなあ」
「じゃあ、そろそろいい?」
ひとしきり話は済んだかとマレインに問われ、サトルは状況は分かったから大丈夫だと答える。
「下に行こうか」
サトルを前後で挟み込むように、ぞろぞろと階段を降りて下階へ。
もう少し余裕があれば、サトルとしては室内の様子をしっかり見たかったのだが、残念なことにその余裕は与えてもらえないらしい。
建物は基本木造りのような音の響き。内装は古びた壁紙。床は磨かれた木材。光は窓を完全に閉ざしているので、マレインが掲げるランタンの明かり。
そう言えば、キンちゃんやテカちゃんたちはどこに行ってしまったのだろうか。
いつの間にかいなくなってる妖精たちに、サトルは不安な気持ちを覚えた。
「実はね、オリーブ嬢たちにも昨日はこの家に泊まってもらっていたんだ。ついでに、全員がそろっているのだから、今日はここで、君のことについて話をしようという事になっている。昼前にローゼル先生もいらっしゃるだろう」
マレインは先頭を歩きながらそう告げる。
サトルの身の振りを決めるまで、外を出歩かせる気はないという所だろう。
それを提案したのはルーではあるまいとサトルは思った。
何だったらこの腹黒と評されていた男が、サトルを警戒しそうし向けた可能性も有る。
ルーの家、というよりも先々代師から受け継いでいるらしい家は随分と広いようだった。
小学校の校舎くらいはあるんじゃないかとすら思える距離の廊下。
サトルが寝かされていた部屋の埃っぽさから考えるに、本当にかなりの警戒で、一番ルーたちから遠い部屋に寝かされていたのだろうことが分かった。
「ああそうだ、君精霊との契約をしているんだろう? もしよかったら、ローゼル先生がいらっしゃる前に、少し見せてもらえないだろうか?」
「え? でも俺は……」
「何、少しでいいんだ」
マレインの言葉は提案のように聞こえる命令だと分かった。
セイボリーがほんのわずかに、心配するような目を向けてきたので、サトルは大丈夫だと示すように片手をあげる。
「分かりました。じゃあ……お茶を淹れましょう。できるのはそれ位だ」
そんなことを言ったからだろう。サトルは流れるように炊事場迄連れて来られた。
ワームウッドが一人、ルーやオリーブたちの待つ部屋へと、連絡のために行くよう頼まれる。
他の者達は炊事場の外で待機だ。
床と四方の壁が石で出来ている、それなりに広い部屋。ぽつねんと置いてある作業用の広い机が、物悲しくすら見える炊事場だった。
調理器具が見える場所にはほとんどなく、薪が申し訳程度に隅に積んであるが、しばらく使われていないと分かる埃っぽさ。
炊事場の一番大きな壁に作り付けてある竈は、もうずいぶん使われていないようで、灰のひとかけらも残さず掃除されている。
炊事場なのに空気は乾いて、煤や水の匂いもしない。
「うわ……」
「これは……」
「うへ、廃墟じゃねえだけましか」
ヒース、バレリアン、クレソンがそれぞれ感想を漏らす。
ニヤニヤと、さあやってみろとマレインが手で指して促す。
どこの意地悪な継母だろうか。
サトルはこの世界に来た時のまま、シャツにベスト、ストライプのスラックスといういで立ち。どう考えても自分で火を起こして水仕事をするような人間には見えない事だろう。
「まあそんなことだろうと思ってました。使ってないわけじゃないみたいだ。薬缶は綺麗だし、この棚付近は埃積もっていない。えっと……窯? コンロ、ストーブ、あ、これがストーブオーブンか。これなら使えそうだ」
廊下を歩いている時から、人のいなくなった家特有の、埃とカビの匂いがしていた。空気の循環が途切れた場所に放置された、時間が死んだような匂いだ。
この空間も、ルー一人が使うにはあまりにも広く、持て余していたのだろう。
それでも一つだけ申し訳程度に置いてある薬缶。薬缶の下にあるのは古びたストーブオーブン。
金属でできた足の高いチェストのように見えるが、側面に付いている扉を開けばそこは薪をくべる竈になっており、金属の天板に開いた穴から熱を薬缶に伝えることが出来る。穴には蓋が付いているので、そのまま閉めてておくこともできる。
使い方は実に単純。だからこそ上手く火を点け、燃やし続けるのが難しいのだが。
「はは、これはターシャ・テューダーかビアトリクス・ポーターの世界だな」
思い出すのは「彼女」が愛読していた絵本たち。柔らかく繊細な水彩画の、可愛らしい世界が描かれた絵本を、何度彼女に贈っただろうか。
誕生日、クリスマス、そして彼女の両親の命日の日は、一緒に絵本を読んで心を慰めたものだ。
「って、そうじゃないだろ俺」
押し寄せてくる感傷の波を、サトルは頭を振って払う。
「よし、やれるだけやる。できるか分からんが……」
マレインを見れば、やはりずっとニヤニヤと笑ったまま。どうせノーブルのお坊ちゃんにはこんなことはできまいと、そう言わんばかりの顔だ。
家名持ちヒュムス、というのがどうにも気に食わないのだろう。マレインのレンズ越しの目が全く笑っていないのは、早々に気が付いていたが、ここまで露骨な意地悪をされるとは思わなかったと、サトルは苦笑してしまう。
「とりあえず、お茶を入れるには茶葉が無いといけないと思うんだ。それ位はどこにあるか教えてくれないだろうか?」
「ああ、問題ないよ。そこの、上の作り付けの棚の中だ」
何故マレインはルーの家の事を知っているのだろうか。家人でもないのに茶のありかを知っているとは。どうやらマレインにも何か話していないことがあるらしいとサトルは気が付く。
とりあえずマレインの言う通り、ストーブの左上にある壁に作り付けてある棚を開いていてみることに。
サトルは何のためらいもなくその棚を開いた。
そこにはいくつもの種類の茶葉が入った陶器やガラスの瓶。ガラスの瓶はまだある程度透明なのでいいが、陶器の瓶は完全に中身が見えない。
「ここから飲める茶葉を探せと」
またも意地悪だった。
呆れてため息を吐くサトルの耳に、モーと牛のような鳴き声が聞こえた。
「え?」
顔を上げてみると、白い妖精の姿。
というか、パッと見白いゴキブリに似た何かがいた。
「ぎゃあ!」
「サトル! どうしたの!」
ヒースが驚き炊事場に駆け込んでくる。
サトルが妖精を見ることが出来ることをまだ説明をしていないので、サトルが何に驚いたかわからなかったのだろう。
「いや、大丈夫、大丈夫だから」
こちらに来なくてもいいと言い終わらぬうちに、サトルは棚の中に、さらに複数の白い妖精のような何かがいるのに気が付いた。
「ひ……」
ワラワラカサカサと白い何かが、サトルめがけて集まってくる。
思わず棚から距離を取るサトル。
棚からあふれた数十の白い「┌(┌^o^)┐」がサトルに詰め寄る。
ダンジョンの祠で見たテカちゃんの仲間たち以上の恐怖に、サトルは腰を抜かしへたり込んでいた。
ワラワラカサカサとサトルに群がる白い「┌(┌^o^)┐」たち。
「やだ……もう、俺ここ嫌いかもしんない……」
本当にこういう心臓に悪いのやめて欲しいと呟き、サトルは意識を失った。