9・勇者の隠匿
改めてサトルたちはボスこと、ローゼルの執務室へと案内される。
執務室には応接用だろうテーブルと椅子が置いてあったが、椅子は座面にのみ布を張った、サトルからしてみれば質素な物だった。
客をもてなしたり、ゆったりと座らせるための応接セットという事ではなく、報告を聞いたり作業をするための平らな机と椅子なのだろう。
室内調度もあまりなく、幾つかある棚や机には見たこともない草や虫の瓶詰め、鉱石、トカゲのような謎の生き物が蠢く鳥籠のような物、見知らぬ文字の本、羊皮紙だと思われる物の紙束。
もし時間があるならじっくり見せてもらいたいような、厨二心に刺さるようなあれこれがあった。
部屋の明かりは、やはり天井につるされた籠の中の猫。
猫はサトルと目が合うと、ニャーンと嬉しそうに鳴いた。
実はそれが実態を持った猫ではなく、光霊と呼ばれる精霊の一種だと言うのは、先ほどローゼルに聞いたばかりだ。
「これは……なかなか凄いよなあ」
サトルの感嘆をどう受け取ったか、ローゼルは「そうだろう?」と誇らしげに笑う。
ローゼルはあえて、今から話すことは個人の話だからと、サトルに自分をボスではなく、名で呼ぶように言った。
「けじめなのよ」
とはアンジェリカの言。
「なんとなくわかるな。社長もプライベートでは名前で呼ぶように言うし」
また社長ですねとルーが笑う。
「本当社長さんのこと好きですよね、サトルさん」
「恩人を嫌う理由がない」
アンジェリカやローゼルを置きっぱなしに二人で言葉を交わしていると、ローゼルがわざとらしく咳払いをした。
本題に入ろうという事だろう。サトルたちは改めて、机を挟んで対面に座るローゼに向き合う。
「それでなんだけど、ダンジョンが呼ぶ英雄、勇者の話は知っているだろう?」
「はい」
それはすでに、サトルがルーから聞いていたことだった。
「アンジェリカは?」
「ええ、もちろん、知っています」
アンジェリカも知っていて当たり前と言った様子。
この町の英雄の話が、すでにダンジョン関係なのだから、知らないはずがないと、馬鹿にしているのかと言いたげだ。
キンちゃんたちもフォンフォンキュムンと同意し、お兄ちゃん(仮)も頷いているのがご愛敬。
「だったら分かるはずだ。彼はその、勇者だよ。異論は?」
「私もそう思います」
むしろその可能性があると先に指摘していたのはルーだったのだが、ルーはあえてそれを隠そうとしていたので、ここはローゼルの発言に同意する形をとるらしい。
「まさか……と言いたいですけど、そうですよね。有り得ないことを成し遂げる力があるのでしたら」
その有り得ない事とというのは、精霊との対話の事だろう。
精霊との対話は、本来霊的な存在との交信に長けたシャーマンが、儀式と時間をかけて行う物だという。
しかしサトルはその儀式もなく、時間もかけず、その場で精霊との交信を行った。
「成し遂げると言ってもなあ……」
サトルが見た精霊は、獣の姿をしていた。火の精霊はライオンの仔、水の精霊は巨大な蛇、明かりをともす光霊は猫で、その行動もその動物そのままだった。
だからライオンの仔を撫で、蛇を触ったに過ぎなかった。
それで精霊に気に入られたと言われても、サトルとしては動物を上手く手懐けることが出来た以上の感慨はなかった。
むしろ蛇に至っては、絞殺されなくてラッキーだった、程度にしか感じていなかった。
サトルは少しだけ思う。ムツゴロウさんとかこの世界に来たら最強なんではなかろうか、と。
閑話休題。
「それでね、君達に私からの提案だ」
提案と口にした瞬間のローゼルのいかにも悪巧みをしていそうな笑みに、サトルは眉間に皺を寄せる。
それを見てローゼルはわざとらしく唇を尖らせる。
「君、私を何だと思っているんだい?」
「ご自分の行動を振り返ってください」
サトルの言葉にさもありなんとアンジェリカが頷く。
「アンジェリカ、君も苦労してるんだな」
「そういう人なのよ、ボスは」
ルーだけは困ったように耳を伏せているだけなので、もしかしたらこの人にあまり迷惑をかけられたことが無いのかもしれない。
「いいじゃないか。少しくらい君と遊びたかったんだよ。確かに殺そうとはしたけどね、半分は冗談さ。それよりもだ、彼が勇者であることは秘密にしよう。そして、彼がどのように召喚されたかについての報告書を、うちで捏造したい。君たちはどう思う?」
冗談半分で殺されたのではたまったものではない。ゾッとすると同時に、それに対してルーもアンジェリカも不快そうな表情をする程度にとどまることに、サトルは頭痛を覚えた。
この世界、特に冒険者という家業の人間は、もしかしたら人の命の価値が、サトルの感じている人の命の価値よりも軽いのかもしれない。
可能性は十分あった。命知らずにダンジョンに入っていき、その成果を金に換えている者達が、自分の命と金を天秤にかけているとしたら、ならば他人の命はどうだろうか。
自分も尊重しないのだから、他人を尊重する意識がさらに希薄になってやしないだろうか。
それともこの性格破綻者に対して、これ以上は何も言えることはないと諦めているだけだろうか。
サトルは今日何度目になるか分からないため息を吐いた。
「俺には分かりません。その報告書にどのような意味や価値があるのか。意味を理解しているルーとアンジェリカに聞きたい」
話を振ると、アンジェリカはすぐに首を縦に振る。ルーは少し考えて横に振った。
「賛成です」
「後世の記録に残るようでしたら反対です」
「なあに、彼が勇者としての使命を果たしたら、しっかり記録は修正するさ。サトル君のためにもね」
それならばとルーも首を縦に振る。
「あ、いや、別に記録には残らなくていいんで」
名誉は必要ないとサトルが言えば、ローゼルは少しだけ苦笑する。
「君はタチバナみたいなことを言うね。いいから、そこはただの名誉ではなく、権利として受け取りたまえよ?」
「はあ……」
タチバナ、という名前がたびたび出てくるが、それが誰だか分からないので、サトルは適当に返事を返す。
「さて、その辺りの事は明日……君の存在は、オリーブたちにも見られたのだったかね」
「はい」
「分かった、だったら彼女たちにも明日、サトル君のことを話すとしよう。彼女たちにも口裏を合わせてもらわなくてはね」
口裏を合わせる、という事は、サトルがダンジョンに召還された者であると、オリーブたちに話すという事だろう。
あえて「どうしてサトルが召喚されたかは分からない」という事にしていたが、それでも彼女たちがサトルの存在に疑いを持っていたのは確かだ。
サトルは問題ないと頷き、アンジェリカもそれに同意する。しかし、ルーは一人渋るように首を横に振る。
「秘密の共有は少ない人数の方がいい、だが、協力者は多い方がいい。ルー、君が信用できるかどうかだ。どう思うね?」
「私は……」
サトルはルーが彼女たちを信用していないとは思っていなかった。暮れ行く陽の下、城門の前でオリーブたちの姿を見たルーは、間違いなく安心しきっていたのだから。
「俺は彼女たちに頼りたいと思ってるけど」
「私もそうした方がいいと思うわ」
「……でも」
ここで彼女たちに頼ってしまっては、ダンジョンの研究が個人の物でなくなってしまうという危惧があるのだろう。
ずっと葛藤をして、今までも頼り過ぎないようにとやってきたのだから、今更もっと頼ってくれという言葉が通じないのも仕方ない。
だからサトルは言う。
「あー、これは俺の事であって、ルーの事じゃあなかったな」
オリーブたちを頼るのは、ルーではなくてサトルだと。
「あらそう言えばそうかもしれないわ」
アンジェリカもそれもそうだわと乗っかる。
いきなり自分を蚊帳の外に押し出そうとする二人に、ルーの瞳孔が大きく開き、産毛が逆立つ。
「ええ、そんなあ! 狡いです! どうしてそうなるんですか! サトルさんは私に協力してくれるって! 研究どうするんですか! それにここでのサトルさん行動には私が責任を取るって言いました! 身分の保証だって私がします!」
責任を取ると言ったからには、サトルの身の振り方だって口をはさむ権利があるはずだとルーは言うが、サトルはそれを否定する。
「いや、俺が君に協力することと、俺が彼女たちを頼る事は別だよ。君には世話になる、けどそれにはそれできちんとお礼を返していく。君に頼り切りにはならない。だから君は、俺に責任を持たなくていい。ここでの身分の保証は、ローゼルさんがしてくれるだろ?」
「そうだね、ここまで提案しているのだから、そうなるね」
サトルの身の振り方、ダンジョンに召還された存在だという事を隠す、その代わりの身分の保証は、もちろんローゼルが請け負うと答える。
「……狡いです」
個人のダンジョン研究家などより、冒険者の互助会の会長の方がよほど身分の保証ができるだろう。比べるまでもない事はルーも分かっていた。
「君は、人に頼る事を覚えた方がいい。俺は、彼女たちに頼るよ」
ルーが唇を噛み、泣くのを堪える。
サトルはそれを見ていられなくて、ルーから視線を逸らした。
サトルのベストの内側で、キンちゃんがルーを気遣うようにフォーンと鳴いた。