7・附子
ボスはルーとアンジェリカの二人を自分の執務室に、サトルだけを別室へと案内した。
ルーはサトルと離されるのを嫌がったが、ボスは必要なことだとルーをなだめた。
サトルが案内されたのは、明かりの灯らない部屋だった。
サトルは暗がりを見通す目は持っていない。しかしルーたちがそうだったように、ボスも暗闇は何の苦にならないらしく、当たり前のように暗い部屋のまま扉を閉めた。
その部屋は会議室というだけあって、大きな長机と十脚の椅子があったが、ボスはそのどれにも座らずに、机に腰を預ける。
「さてサトル君……とりあえずまずは世間話でもしようじゃないか?」
鼓膜に絡みつくような甘い声でボスがそうサトルに言うが、サトルはその声に不穏な気配を感じていた。
気のせいだろうか、砂糖菓子のような甘い匂いが部屋には充満しているように感じられる。喉に張り付いて呼吸を止めに来るような、濃厚な甘い匂いだ。
思考を鈍らせる匂いと声に、サトルは若干の危機感を覚える。
リコリス菓子のような風味のシュガースケイルの方が、何倍もましな甘ったるさ。
「世間話をするには……ここは空気が悪くないですか?」
「そうかね?」
ボスはとぼけるが、わざわざこの部屋にサトルのみを引き入れたのには、必ず理由があるはずだった。
二人きりにされた瞬間から、何故かキンちゃんたちがフォンフォンとせわしなく鳴いている。
ボスに聞こえないように配慮しているのか、その声自体は大きくなかったが、それでもボスの言葉を遮るように、サトルに向かって鳴きかける三匹。
ボスはサトルの不信などどこ吹く風と言うように、そのまま話を始める。
「君は、ヌーストラを見るのは初めてだったのかい?」
「ええ、まあ」
ヌーストラというのはそもそも初耳だったが、ルーのシャムジャや、アンジェリカのラパンナという種族名と同じだろう。
ヒュムスと呼ばれるサトル基準で通常の人間と区別しているらしいことは分かるが、その種族名には明るくないので、適当に答えておく。
「びっくりしただろう? 昔話にあるような悪魔そのものの姿だ」
サトルが悪魔と聞いて思い浮かぶのは、サブカルチャーを除くなら、タロットカードなどで見るヤギの頭の悪魔だ。なるほど確かに角は生えているが、受付にいた女性とはまるで重ならない。
「あんなに優しそうな女性がですか?」
「はは、そう思う?」
本当に愉快に思っての笑いかは、相手の表情が見えないのでサトルにはわからない。
声色はずっと演技がかったまま、一種のポーカーフェイスの役割を果たしているようだった。
声で相手の感情、考えが推し量れない。表情も見えない。ルーを基準に考えるなら、シャムジャは外見に感情が現れやすいのかもしれない。それを見越してのこの暗い部屋だとしたらどうだろう。
ボスは話をしたいのではなく、サトルを観察したいのだろう。
マジックミラー越しに、相手にばれないように、反応を引き出しているのだろうとサトルは感じた。
「食えない人だな」
「ん?」
サトルの擦れるような呟きは、聞こえていたのかいないのか、わざとらしく聞き返すボス。
サトルはあえて世間話とやらに乗ってみる。
「俺の国では、角があるのは悪魔じゃなくて神様なんで」
角の動物というと日本では鹿や羚羊だろう。しかしそのどちらも、日本では悪い存在でもなければ、贄の象徴でもない。悪魔というイメージには結びつかない。
また、角のある存在の代表格、鬼は人を「懲らしめる」存在であって、悪魔のように、人を悪の道に引きずり込むのとはまるで真逆だ。
病気や災害のメタファーとしての鬼もあるが、病気や災害は悪い神がもたらすものでもある。
「へえ、面白い。それは良い考え方じゃあないか」
「そうですね……」
やはりキンちゃんたちは、フォンフォンと鳴いている。
いったい何に反応して三匹がこのような反応をしているのか。そして、一人だけ反応しないテカちゃんとの差は何なのだろうか。
「悪魔なんて、疾しいことがある人が考える存在ですよ」
「はは、さもありなん」
その笑い声だけは、本当にそう思っているという様な、快活な響きがあった。
ルーは、ヒュムスはシャムジャやラパンナが種族を名乗らないと不快になると言っていた。
もしも暗闇で見通す目、獣のように遠くの音を拾う耳、冷や汗の匂いすら嗅ぎ分けるだろう鼻が彼女たちにあるとしたら、疾しいことのある者達はそれをどう思うか。
少しだけ、自分から仕掛けてみようかとサトルは問いを投げる。
「疾しい者からしてみれば、貴方たちのそれは、神の慧眼か、心惑わす悪魔の仕業か……ってことですかね?」
「さあてね」
答えない。応えに使う声も短く、感情を読ませようとしていない。
警戒をされているんだとしたら、それはやはり、サトルが得体のしれない人間だからだろう。
安心させるために話をするべきか、信頼を得るために話を聞くべきか。どうしたものかねとサトルは大きくため息を吐く。
仕事柄、自分を警戒する人間と話すことが無いわけでもない。ルーのように打てば響く人間の方が珍しい位だ。
しばらく無言でいると、ボスがくすくすと音に出して笑いだす。
「君、見た目ほどぼうっとしてるわけではなさそうだね?」
「ぼうっとしてるように見えたんですか?」
「目が死んでるなと」
思った以上に失礼な事を思われていたと、サトルは軽くショックを受ける。
「んなこと言ったって、貴方のその……声とか、匂いとか? それ何か怪しい術なんでしょう。さっきからぼうっとするのは、貴方の声を聞いている時ばっかりだ」
それはカマかけではなく、ある種の確信があっての言葉だった。
サトルはベストの内側で鳴く三匹を信用し、ボスが自分に何か攻撃のような物を仕掛けてきてるのだと確信していた。
「おやまあ、分かるのかい。存外に鼻の利く子だ」
悪びれもせずにボスは言う。
アンジェリカの言葉もあって、普段からボスがこういうことをしているのだろうと分かった。もしかしたら、あれはサトルに対しての注意を促す言葉だったのかもしれない。
これはとんだ甘い毒を食らわされたと、サトルはもう一度大きなため息を吐いた。




