5・臆病者の朴念仁
「ちょっと、ルーに言われるなんて相当よ、貴方何?」
驚き声を荒げながらも、ずんずんと先を行ってしまうルーに遅れないようにと、アンジェリカがサトルの袖を引く。気のせいでなければアンジェリカのお兄ちゃん(仮)もサトルの袖を引いている。
「え、いや、その、一般人のつもりだけど」
よろめきながら歩きだすサトル。
「そうじゃない、あと一般人は妖精なんて見えないわ」
「そうなんだ……」
「そうなのよ」
だから自分たちのボスに会ってもらう必要があるんだと、アンジェリカは目を吊り上げる。
しかしいくら怒って見せようと、人形師が可愛いを形にしたくて作ったような少女だ、その怒り顔に迫力はなく、つい頭を撫でたくなってしまう。
とりあえずサトルはその感情を唇を噛んで我慢する。
あまりにも強引に二人? が袖を引くものだから、サトルは石畳に躓く。
よろめくサトルを心配してか、テカちゃんが素早くベストから飛び出し、サトルの足元を照らした。
テカちゃんのみが飛び出したのは幸いだった。テカちゃんだったらダンジョン内のどこにでもいる妖精、妖精が見えるサトルに懐いただけだという言葉でごまかせるだろう。
「それは?」
明らかに自然の明かりではないそれにアンジェリカが驚く。
ルーもそれでテカちゃんが飛び出してきたことに気が付いたようで、足を止めて戻ってきてくれた。
「ダンジョンのヒカリゴケから出てきた妖精です。私には光にしか見えないのですが、サトルさんには何かしらの生き物のように見えるそうです」
説明をするルーの言葉に、テカちゃんは嬉しそうにキュムンと一鳴き。
サトルの足元を照らしながら、サトルの左手にすり寄った。
「……懐いてるのね」
「みたいです」
明らかにサトルの手にまとわりつく光に、なるほどとアンジェリカはあっさりと納得する。
自分のお兄ちゃん(仮)の事もあってだろう。
「妖精が懐くなら……何かしら良い所がある人なのかもね」
アンジェリカはふふっと笑って自分の頭の飾りを撫でる。
「それって」
言外に自分は良い奴だと言っているようなものではないだろうか。サトルはそう思ったけれど、ここは空気を読んで言わないでおく。
テカちゃんのおかげで分かったことがかなりあった。
地面はかなりしっかりと舗装されている。どこから採掘してきたのか、いかにも硬そうな黒い石の石畳だ。
見た感じ二十センチ四方ほどのマスが等間隔に並んでいる様は、ローマの街道にも似ている。
馬車は頻繁に通るのかもしれない。轍の形に石がすり減りへこんでいる。
建物はどれも土台を人の腰より高く、黒っぽい石で作り、少し玄関を高くしたうえで、上部はダンジョン石や灰色の煉瓦、漆喰など様々だ。
たぶんこの黒い石がこの辺りで最も丈夫な建築の材料なのだろう。
規格を統一しているわけではないが、ここまで基礎がそろっているのは少し気になるところ。
どの建物も煙突が複数。屋根は高く上に尖り、赤い土で焼いた煉瓦の瓦に見える物を葺いている。
屋根が尖っているのは降水量が多い地域の特徴。土台が高いのも、玄関の位置が高いのもだ。
「ここさ、水が来るの?」
降雨、降雪の多い地域ならば、しばらく住むのならそれを覚悟するべきだろう。
雪ならいいが、雨が多いとサトルは精神的に死ぬ。
この世界にカナヅチという言葉があるかどうかは分からないが、とりあえずサトルのメンタルの耐久値はかなり下がるだろう。
「もう少し暖かくなった時に雨が降ったら、ですかね」
ルーの答えにサトルは悲し気に顔をゆがめる。
「大丈夫ですよ、上の方には来ませんから」
上とはどこまでをいうのだろうか。
「……雨季は夏?」
答えたのはアンジェリカ。
「いいえ、冬よ。でも夏になる直前、一時期に大量に降るかな」
お兄ちゃん(仮)も頷いている。
無表情ながら結構自己主張の激しいお兄ちゃん(仮)である。
いや、無表情に見えるが、わずかに眉間の皺が深くなっている。
「もしかして雨が、いや違うか、冬が嫌いとか? 雪がそんなに多い?」
お兄ちゃん(仮)はサムズアップをした。
「雨季は冬か……じゃあ本当に、雪解けと雨が重なった時が危ないんだな」
その時はできるだけ高台にいようとサトルは心に誓う。
「そういうの聞いて楽しい?」
「まあまあ」
文化をの事を聞くのも、気候風土の事を聞くのも、サトルにとっては知らない世界の話なので、つまらないという事は無い。
旅行気分でいるので、よけい知らない事の方が楽しく感じるくらいだ。
「ルーと同じ匂いを感じるわ」
「ですよね! 私もそう思っていたんです!」
ふふっと笑うアンジェリカに、嬉しそうに同意するルー。
ルーと同じと言われても、何がどう同じなのかぴんと来ないサトルは、二人の楽し気な声が理解できない。
「どういう事?」
「余計なことを知りたがる」
「いや、これから住む場所の事だし、余計じゃないだろ」
これからサトルはこの町に住むんだからと返せば、ルーとアンジェリカは声を合わせて大丈夫だと答える。
「ここは新しく拡張して作ったところだから、水があふれやすいのよ。もっと住みよい場所は上の方にあるの。先生の、今はルーの家ね。そこに厄介になるのだったら、何の問題もないのよ」
「ガランガルダンジョンの傍にあるんですよ。元々先生の先生のお父様のお家だったそうで、研究のためという名目で、私が管理を任されているんです。広いですし、とても住み心地いいですよ」
だから水もこないし安全だと、二人して太鼓判を押してくる。というよりも、大丈夫だよとサトルをなだめているかのようだ。
「……別に、俺が泳げないとは言っていない」
「言われずとも、水が来ることをそこまで心配していれば分かるわよ」
サトルの精いっぱいの強がりを、アンジェリカは一刀両断にする。
そんなサトルを慰めるように、キンちゃんたちがフォフォーンと鳴いた。
「でも、ルーは本当に不安ではないの? 男の人と一緒だなんて」
「ああ、それに関しては、先ほども言いましたけど、サトルさんは紳士なので」
大丈夫ですと、多少やけくそぎにみルーは言う。
何せ一度自分から仕掛けてあっさり袖にされ、しかも一晩隣で過ごしたのに一切手を出されなかったのだ。
容姿に自信がある、と思っていた自分が恥ずかしくなるようなそんな出来事もあって、ルーはサトルを危険人物から完全に除外していた。
わずかに紅潮したルーの頬に、何か思うところがあったのか、アンジェリカはそれならとうなずく。
「人に言われると恥ずかしいが、紳士的にふるまう自信はある。安心して欲しい」
紳士と言われ肯定するサトル。それを見てルーの耳がへにゃりと伏せたのを見て、アンジェリカは親と目をすがめる。
「変な人……ねえルー、今日は私も久しぶりに帰ってもいいかしら?」
「あ、はい! 大丈夫です!」
むしろ歓迎しますと、目に涙すら浮かべるルーに、アンジェリカは小さく苦笑した。
「知らない人と二人きりは、気まずいものね」
本当はそれだけではないと分かっていながら、アンジェリカはそういう事にしておいてあげようと口に出す。
サトルは確かにと、それに同意する。
その間、なぜかアンジェリカのお兄ちゃん(仮)が、サトルに向かい盛大なため息を、繰り返し吐いてみせていた。
「いやだって、出会って間もない女性だし、なあ」
それに答えてくれる者は、ベストの内側の妖精たちだけだった。