1・石橋の上にて
竜が峰へと帰るのは、太陽が傾き赤味を帯びる少し前だという。
その時間まで安全地帯にとどまり、二人は竜が飛び去るのを待った。
一匹が峰に帰り始めると、竜たちは続々とそれに続いた。
ダンジョンの入り口である祠への行きは、時間の関係で船を使うことが出来たが、帰りは川を渡るための石橋まで歩く必要があった。
川を渡るための橋まではけっこう距離があったが、二人は竜に遭遇することなくたどり着くことが出来た。
陽はすっかり陰り、建物の影が葡萄色に染まっている。
「この橋を渡れば、すぐに城門があります。そこで理由を言えば普通に通してくれますので」
大きな石橋だ。アーチが六つ。サトルの感覚で言うなら二トントラックなら余裕で、通常の乗り合いバスも通れるかもしれない。
明るい時に見たのは、黄色味がかった白っぽい石だった。丈夫さが必要な場所には、ダンジョン石はやはり向いていないという事なのだろう。
「となると……なんで地中に埋まってて平気なんだろうか?」
竜の重みに耐えられず、橋を作るにも向いていない。建材として切り出すのが容易なダンジョン石。それが地中に有ってダンジョンを形成している不思議に、サトルは今更ながら首をかしげずにいられない。
「やっぱり不思議な力か」
キンちゃんとニコちゃんが、フォーンと鳴いた。不思議な力があるらしい。
となると、この世界の不思議について考えるのは、異界から来たサトルには荷が勝ちすぎるので、ふんわりとそういう事だと理解しておくしかないだろう。
ふんわりとした理解だけではいけない所は、きちんと聞いておく必要があるが。
「ねえルー、ガランガルダンジョン下町に入るって、理由が無くてこんななりでも平気なのか? 明らかに他所から来た人間だけど」
「ええ、大丈夫ですよ。訳有りの人間は多いんです」
ガランガルダンジョン下町というのは、思っていた以上に緩いらしい。
特に近隣で争いごともないという事か、もしくはダンジョンという特条件がそうさせているのか。
サトルは困ったように頭を掻く。
人を中に入れることに緩い国というのは、ろくでもない人間もうかつに中に入れやすいという事。ルーも訳ありが多いと言う。
治安がやっぱり心配だなと、サトルは声に出さずに独り言ちる。
海外旅行の心得。
「行く前に現地情報の収集。危険な地域かどうかを確かめる」
「初対面の笑顔に気を付ける。相手は貴方にはまだ恩も情もないのだから、笑顔の理由を考えて」
「逃げ込める場所は要チェック。大使館、頼れる相手、旅行会社の社員さんの居場所はちゃんと把握しておこう」
「文化や記念日は押さえておこう。人が行動を起こすとき、そこには理由がある物です。その理由が文化や記念日だったりします」
つらつら思い出される内容を、サトルは橋を渡りながら復唱する。
ものを考えながら歩くと、やはり少し遅れてしまうもの。
早く帰りたいのだろう、ルーはさっさと先を歩いて行ってしまう。いっそ駆け足になりかけている。
「ルー!」
城門の前に数人の人間が居た。そのうちの一人がルーの名を呼び、ルーはそれに答えるように足を速めていた。
「オリーブ姐さん!」
名を呼び返すルーの声は、安堵と歓喜にあふれていた。
死ぬ思いを何度もして、ようやく帰り着いた場所で、信頼できる相手に出会ったとしたら、きっとこういう声を出すだろう。
ルーを待っていたのは五人。それぞれ特徴的な獣の耳を持った女性たちだった。
「無事だったか。ずっと平原に数頭の竜が見えていた。今日は特に多く……まさか君のことだ、襲われることは回避していると思っていたが……」
オリーブ姐さんと呼ばれた、最も大柄な女性が、駆け寄ってきたルーを全身で抱きしめる。
見るからに筋肉でできている厚みのある体で、ルーと比べるとまるで子供と大人。身長は二メートル近くありそうだ。それだと言うのにキャラメル色のふわふわとした毛の、可愛いを凝縮したような兎のたれ耳が付いているのが、ギャップを感じさせる外見だ。
オリーブの大きな胸に顔を寄せながら、ルーはえへへと笑う。
「無事……ではあります」
「荷は如何した?」
はっきりと答えないルーに、オリーブが少し声を低くする。
オリーブはルーが祠に行くための支度を見ていたので、持ち物が亡くなっていることに気が付いていた。
ルーはオリーブと視線を合わせることなく答える。嘘の付けない耳は伏せられている。
「……少しは、ありますよ」
ではその少し以外は如何したのか、答えられないルーにオリーブはため息を吐く。
「いや、君が無事でよかった」
「はい、そうですね、ご心配ありがとうございます」
そのやり取りに、サトルはおや? と首をかしげる。
ルーは額面通りに受け取っているようだが、オリーブの言葉や態度には、ルーを叱りたいかのような苛立ちが見え隠れしていた。
踏み込んで説教をする仲でもないと、一線を引いたような、歯に物が挟まったようなもどかしい態度だ。
そんなルーたちを見るサトルのぶしつけな視線に、ようやくオリーブが気が付く。
「こちらは?」
オリーブの言葉で、ルーと他の四人の視線も一斉にサトルへと向けられる。
「サトルさんです。モンスターに襲われているところを助けていただきました」
簡単な説明を口にしたとたん、オリーブたち五人の目付きが変わった。
「どういうこと? ルー」
ルーの言葉に真っ先に反応したのは、奇妙な髪飾を付けた、ピンと立った白い兎耳の小柄な少女だった。年のころは十歳ほどか、人形のように綺麗な顔に怒りの表情を浮かべルーを睨み上げる。
「あ、いえ、あの」
「だから言ったのよ、やっぱりルーだけじゃダメだって。ねえ、私たちの組合に入りなさいなルー。一人でなんて無茶が過ぎるのよ? 分かっていて」
語気の強さはルーを心配するあまりなのだろうが、その言いようはルーを委縮させるばかり。
少女の言葉にオリーブ以外の三人が頷いているので、普段からルーはこうして勧誘を受けいてるのだと分かった。
「だよね、せめて依頼! ルーが依頼してくれれば、こっちだって格安で請け負ってもいいってのにさ」
体格に見合わない長大な弓を持った、三角の犬耳の女性が言う。年のころはルーと同じくらいか、十代後半と言ったところ。
若さゆえか安請け合いを口にして、他の仲間に咎められる。
「ルーにはお金がないわ、無茶を言うものではないわよ」
犬耳の女性を咎めたのは、他の女性たちよりも明らかに小さな耳、を巻き毛からちょこんと覗かせた女性。サトルと同じくらいの歳だろう。
胸元が大きく開いた服を着ているのだが、同じようなデザインのルーの服と比べて、着慣れているのか、匂う様な色香を感じさせる。
想い人の結婚式に出席したばかりの、傷心が癒えぬサトルですら、一夜の過ちをと想像してしまうほどだ。
巻き毛の女性と視線がかち合い、サトルは気恥ずかしさから視線を逸らす。
「あら、嫌われちゃったかな?」
「女性が苦手なのでしょう、きっと。いかにも子供って感じだわ」
よりによってそう言ったのは、一番幼い兎耳の少女。
一人何も話さない覆面とフードの、辛うじてシルエットで女と分かる一人が、少女の肩を叩く。
「お前が言うなと言いたいのね」
どうやら喋らずに意思疎通をする人物らしい。
個性豊かな面々。彼女たちはルーの何なのだろうか。
困ったように言葉を探すルーには、すぐに聞くことはできなさそうだった。