4・第一異世界人との邂逅と異文化交流
初対面の人間に指を突き付けて、誰ですか貴方、と叫ぶ人間は友好的だろうか。
答えはノー。
ならば友好に返す必要はないかなと、サトルはいつもの自分ならばしない程度の塩対応を心掛ける。
「名乗りは自分からするもんだろ、失礼だぞお嬢さん」
歳の頃二十歳になるかならないかと言ったところか、日本人からすれば随分大人びて見えるだろうが、西洋の、それも中央ヨーロッパの人間位だと考えたらけっこう童顔な女だった。
異世界というか、いかにも現実味の無い獣の耳が付いている。ランダムに茶色や黒の混じる銀色の髪は、三角の耳と相まってまるで三毛猫の様だ。
猫耳女性はサトルが言った一言に、面くらったように口を閉じたり開いたりした後、困った様子で顔面を手で覆った。
「ごめんなさい、そう、そうだよね。失礼しました。私はルー、見ての通りシャムジャです」
思いの外素直な謝罪だったが、非礼を詫びる態度にしては、やけに失望の念を隠さない様子のルー。シャムジャという謎の単語も、サトルの興味を引いた。
「サトル、コウジマチサトルって言うんだ。よろしく。ところでシャムジャって?」
サトルの返した自己紹介と質問に、ルーは驚いたように顔を跳ね上げる。耳だけじゃなく目も猫に近いようで、瞳孔が目に見えて大きく広がる。
「シャムジャを知らないのですか? 種族です、こう、耳がこんな感じの」
こんな感じと言って指さしたのはルー自身の三角耳。掌よりも大きい。
「悪いね、俺のいた国にはいなかった。ここでは種族の名前を名乗るのって大事?」
ルーは首を横に振る。
「いえ、でもシャムジャやラパンナが名乗らずにいると、ヒュムスはたいてい苛立つようなので」
「あー……人種差別か」
サトルはさもありなんと独り言ちる。
シャムジャの他にもラパンナという種族もいるらしい。いわゆるブラックとかホワイトとかのあれだろうか。
面倒な人種の対立が有りそうだと、サトルは内心ため息を吐く。
旅行に行く先でこういう人種差別がある場所は、出来れば避けたい。
いや完全に避けることは不可能だというのは分かっている。だからこそ知っておいて、トラブルだけは回避するべきか。
「ヒュムスってのは?」
半分くらい聞かずとも想像が付いた。獣の耳を持っていないサトルの事を指してヒュムスと言ったのだから、つまり獣じゃない人間、サトルたちの世界で言う普通の人間の姿の者たちを言うのだろう。
「ジスタ教で言う所の、いわゆる獣の汚れを受けていない人間の事です。貴方のような。ジスタ教の教義が入っていない国なんですね。コウジマチは」
宗教の名前が出てきたところで、今度はサトルが額を押さえた。
宗教は碌なもんじゃないとまでは言わないが、サトルはできるなら宗教関連の行事は、大衆化されたイベントだけで済ませたい性質だった。
ただ宗教があるという事は、倫理観や法律はその宗教に則った物が広く普及しているだろうから、その国の文化を知るうえで知っておいて損はない。
異文化交流の触れるかどうか悩ましい部分だ。今後しばらくこの周辺に滞在するのなら、聞いておいた方がいいのだろうが。
それと、どうやら少し勘違いをされてしまったようだ。
「ああ、コウジマチは国や都市の生じゃなくて、俺の家の名前だよ」
訂正をすると、ルーはぎょっとしたように目をむいた。慌ててサトルと距離を取ると、自分のスカートが濡れるのも構わず草の上に膝を付く。
「え! 家名を持っていらっしゃる方だったんですか! すみません、不敬を」
「ええ、いやいや、俺の国ではだいたい全員家の名前持ってるから」
目立つ刺繍もなく、あまり染め色の入っていない質素な服を着ていると思ったが、どうやらルーは「家の名前を持つことが許されていない」タイプの市民らしい。
慌てて否定するとまたもルーは驚く。
「そんな、権威や権力もないのに家の名前を?」
中世、何だったら近世くらいかなと思っていた文化だが、これは色々と齟齬があるようだ。
巨大な建造物を建築し維持する様な文明は発達しても、文化が中世の前半とかそれ位の可能性も有る。
移民の増加で、どうやっても識別のために出身地の名前を冠して名乗らなくては、名前だけでは不便が出るようになった近世、それを考えると、この世界ではあんまり人は移動しない可能性も有る。
可能性、であり確信はないが、もしそうなら余り喜ばしいことではないなとサトルは掌で顔を覆った。
両親ともに西日本出身だったから、日本人では堀の深い方だが、それでも平たいことに間違いはない。
ルーの顔立ちを見る限り、明らかに日本人とは違う堀の深さだ。この顔立ちがスタンダードならば、ルーの住んでいる場所に行けば、サトルは一発で異邦人と分かるだろう。忌避されるか、旅客として接してもらえるか。
「五分五分……いや、でもこの子は俺に警戒してないし」
うーむと唸って考え込むサトルに、やはり問題があるかとルーが身を強張らせる。
もうさっきから瞳孔開きっぱなしだわ、耳が完全にサトルの方に向きっぱなしで、些細な音すら逃すまいと警戒されているのがまるわかりだ。
「いや、まあ……個人の識別のためだと思うよ。地形が起伏激しくて小さな村落がやたら多いし、そういった小さいコミュニティがいろいろ隣接してるとこだったから」
日本における苗字は、一般の平民が苗字として名乗る以前から存在する「○○村」や「浦○○」、「川上」「川中」みたいなものもある。そういう○○の土地の△△さん、みたいな名前の呼び方だよと説明すれば、ルーは納得するものの、やはり怯えたように膝を付いたまま答える。
「それでも、町の名を冠してらっしゃるなんて」
「いやいやいや、その土地に住んでいた、ってだけで、元々はコウジマチってところの人、って程度の呼び方だから」
だからただの一般市民だと繰り返せば、ようやくルーは膝を付いて下からうかがうのをやめてくれた。名前一つでこれというのは、なかなか困った。
サトルは別に他人を傅かせたい願望はないのだ。あるんだったらもっと地位や名誉に固執した。逆に敬われることや恐れられることは、サトルにとって苦痛を感じるほどの苦手なことだった。
「俺の国とここはだいぶ文化が違うんだな」
「そのようですね」
「じゃあもういっそ立場は対等だ。俺はこの国では地位も名誉も持ってないし、文化も知らない。君もその様子だと、あんまり立場はないんだろ?」
畏まってほしくなくて、サトルが自分と同じ立場だと伝えれば、ルーはまた瞳孔を開く。
「君と俺は、同じ立場だ」
繰り返してようやく頷くルー。
「そうですね」
「だろ?」
「ええ……ふふ、変な方」
「俺から見れば君も変わってる」
ようやく力が抜けたように笑ったルーは、よりいっそう幼く見えた。
わずかばかりの邂逅で、サトルとルーは互いに消耗激しく、お互い苦笑しながらしりもちをついた。もう今更服が濡れることを気にしてはいなかった。