3・謎の祠と謎の女
キンちゃんはサトルをどこかに案内したいらしく、サトルの掲げた手を掴んだまま引っ張った。
サトルはされるがままキンちゃんの後を付いて行く。足元が朝露でびっちゃびっちゃな感じになっているのはどうにかしたいところだが、靴が無いので仕方ない。スラックスが汚れないようロールアップするのがせいぜいだ。
「うう、人里に言ったら何はなくとも靴、何はなくとも靴」
キンちゃんに引かれて歩く間、少し遠巻きに自分たちを眺める野生動物がいるのが見えた。大きさはたぶん中型犬くらい。正直野犬だったら怖い。
野犬というのは人間がいる状態に慣れている野犬と、慣れていない野犬がいる。前者ならば人間が反撃する可能性のある生物だと十分に学習しているので、実は元気そうな相手は案外襲わない。襲うのは女子供、赤ん坊を特に。感染症などのリスクはあるが、棒一本で追い払える程度の存在だ。問題は後者。
「ここ広いしあの城壁っぽい所から離れてるからなあ」
たぶん平野に出てくるのは後者の野犬だろう。これは怖い。せめて勇者よろしく剣を手に入れるチュートリアルが欲しい所。いやまあ、これはゲームなんかじゃないってのは、この理不尽に濡れた靴下が物語っているのだけどと、内心ため息を吐くサトル。
「何もかもお膳立てされているゲームと違って中途半端だ。本当に昨晩寝た時のままの状態から、この平野に連れて来られたといった感じ」
ただ、昨晩と違う事も一応あった。
「そう言えば、俺二日酔いしやすい性質なんだけど、なんでこんなに元気なんだろう?」
むしろここ最近悩まされていた、頭を締め付けるような痛みや、朝起きた時の胸が焼けるような痛みがない。病院に行く原因となった下腹部はまだ鈍く痛みを感じてはいるが、少なくとも歩くのすら嫌だと言いたくなるような不調は感じていない。
キンちゃんが上機嫌にフォーンと鳴いた。どうやらこの体調の良好さはキンちゃんのおかげらしい。そう言えばゲームでも妖精はハートを回復してくれていた。
「そっか、ありがとうな、キンちゃん」
頭痛一つ取れるだけで、体というのはこうも動く物なのかと、感慨深くサトルは礼を言う。するとキンちゃんはまた嬉しそうにフォーンと鳴いた。
こういう小動物系に懐かれるって、結構悪くないなあ。そんな思いが顔に出ていたのだろう、キンちゃんは不思議そうにサトルの顔に触れてきた。フニフニとしたマシュマロを押し付けられているようだ。
キンちゃんの案内に従ってしばらく歩いて行く。
風景は代わり映えしないが、とても穏やかで綺麗で、こんな感じの当てのない散歩もいいかもしれないと思ってしまう。たぶん遠目に人工物が見えているのがいいんだ。人工物が何にもない所に放り出されていたら、もっと寄る辺ない不安から身動きを取ることもできていなかった気がする。
「情緒不安定かなあ、俺」
穏やかな気持ちのはずなのに、不意に泣きそうになって、サトルは情けない声で独り言ちた。
友人は居ても基本がお一人様生活は高校の頃からなので今更だが、流石にいきなり自分の知らない場所、知らない世界にというのはショックが大きかったように思う。
「まあそれでも……無くすもの無いだけましだけど」
襲ってくる不安を楽観で押し込め、サトルは止まりそうな自分の足を殴りつけ、キンちゃんの後を付いて行く。
歩いて行くうちに少し視線が高くなる。平野に見えても緩い起伏があるようだ。
やはり城壁周りは広々と畑が広がっているのが見える。という事は、城壁内にはあまりスペースはないのかもしれない。
城壁は直線では無く蛇行しているのが分かった。その蛇行は上下すらしている。上方に連なる城壁の下は、城壁と同じ色の岩盤らしい。その下にはどうやら先ほど見えていた大きな川の支流。
水に沿って、水害の起きない程度の距離を置いて町を作ったのだろうか。
「川があるなら魚もあるよなあ」
お腹が鳴る。酒だけで腹を膨らませていたからなと、自分の図太さに笑ってしまう。
焦って動けなくなるよりも、少しくらい能天気に考えながら動いていなくては、突発的なことには対応できない。それがサトルが人生で学んだことの一つだ。
動いてさえいれば、どんな状況でも命はつなげると。
「あと言葉だな……」
何故か異世界なのに通じる言葉。キンちゃんはナビゲーションというサトルの言葉を肯定した、つまり日本語と英単語は通じるのだ。EUのような文化圏で、言語もそれに近かったとしても、何とかなる可能性が見えてくる。
と言っても、サトルは旅行で使う程度の単語しか分かってないから、地元民とどれだけ交
流できるやら。全くの不安でもないし、絶対の安心でもない。それはある種の旅行の醍醐味にもに似ている。
「キンちゃん、ここって日本語通じる国?」
「勇者ノ言ノ葉ハ世界ノ加護ト記憶ヲ以テ補完サレルモノナリ」
定型文なのだろう。どうやら日本語とか英語とかそういうのは気にしなくてもいいらしい。これは便利だ。
キンちゃんは得意げにフォーンと鳴く。どうやらサトルに対して何か説明できることがあるのが嬉しいらしい。喜ぶたびに光を放っているようで、少し見にくくなっている。
「勇者って凄いんだな。でも俺はどうして勇者に?」
「勇気アル者、他者ヲタスク者、汝我ラ二力与エル者、故二」
勇気があるかどうかは分からない、他者を助けると言われると、確かに人よりもお人好しで、お人好しが過ぎると言われたことはけっこうある。考えてみれば確かにそれは、自分がずっとやってきていたゲームの勇者たちと似ている気がした。
彼らはいつも、自分のためだけの望みじゃなくて、世界のために戦っていた。
時には死んだ後も自分の子孫に望みを託して亡霊となってる勇者もいた。それこそあの三日間貫徹デスゲームの勇者も。
もっと、人に褒められたい、認められたい、愛してもらいたい、お金持ちになりたい、名誉とか地位が欲しい、っていう他人から見ても分かりやすい願望を持っている勇者はあまり居なかった。
「そっか……他人を助けるかあ」
まあそれもいいかもしれない。せっかくの異世界なのだから、出来る限り人助けをしてみるのも。
キンちゃんが案内した先は、小さな石積みの建物だった。ちいさいと言っても小学校の運動場にある体育倉庫よりもやや小さい位だ。
起伏した地形に隠れていたせいで、サトルが目を覚ました場所からは見えにくくなっていたようだ。しかもこの建物の周辺だけ妙に地面がへこんだうえで、更にその周辺が緩い丘陵になっているようだ。ドーナツ型の丘陵に囲まれているので、この建物は鳥になるか丘陵に上らなくては見つけることはできないだろう。
丘陵のてっぺんから見た感じだと、鳥取砂丘の天辺よりもなお高くて、面白半分で登るには面倒な高さだった。ここに来るという意思がなければ、まず間違いなく見つけることはできない場所だろう。
そんな場所に女が一人、ぽつんと立っていた。
こんな人気のない所にいるなんて明らかに怪しい。しかし女は見るからに「普通」っぽい恰好をしている。
「いや、普通にしては……露出度が高すぎるか」
日本人が考えるファンタジー衣装のようにど派手ではないが、胸元がやや広がりすぎてやしないだろうか。
白くたわわな双丘が目に毒だ。
できる限り視線をやらないようにしながら、サトルはキンちゃんの後に続く。
「だだだだあ!」
キンちゃんに連れられるまま建物へと近付くサトルに、女が奇声を上げ指を突き付けた。メートルで言うなら十メートルくらい先から、だだだだだ! と駆け寄ってくる。
もしかして言葉通じない? そんなサトルの不安をよそに、女が叫んだ。
「誰ですか貴方!」