12・ルーとサトル
そこから先はサトルには全く理解のできない状態だった。
自分たちが落ちているという感覚はあったのだが、それはジェットコースターに乗せられている時のような「順路の決まった落下」の感覚だった。
テカちゃんたちに強く光ってくれと言っていたが、その光はあっという間に上方へと流れて行ってしまい、結局落下が終わり切るまで、サトルたちの元へ戻ってくる事は無かった。
体が投げ出され、腐葉土の上でバウンドする。
柔らかな衝撃と甘い匂い。シャツに浸みる水分から、間違いなく先ほどフロアの腐葉土と同じだと感じた。
心臓がまるで大型バイクのエンジン音の様響いていた。
サトルは心臓が求めるままにあえぐように何度も呼吸を繰り返す。
肺が痛みを訴えてもしばらくそれを続けていた。
握りっぱなしだったルーの手が、びくりと震える。
「……っは、生きてる」
こちらはこちらで、たった今呼吸を思い出したかのように、詰めていた息を吐き出していた。
どう考えても数十メートルは落下したはずなのに、なぜかほぼ無傷で生きている。
姿勢の固定された落下は、自然な落下の力だけではなく、何かしらの別の力が働いていたように感じた。
サトルは今生きている幸運に笑いだしたい気持ちさえ湧き上がっていた。
「っ……はあ、はあ……ルー、怪我は?」
だが笑っている暇はない。こういう時は必ずしも動かずにいることが、状況を好転させるわけではないから。
むしろ、時間が経てばたつだけ不利になる可能性だってある。
怪我がないのなら立たなくてはいけない。立って歩いて、少しでも生存率を上げなくては。
ふわりと降るように戻ってきたテカちゃんたちが、サトルとルーを照らし出す。
場所はやはり亜熱帯のジャングルのような場所。
ただし、数十メートルを落下した感覚は確かだと思うので、ルーの説明するところの「下のフロア」というやつだろう。
夜よりも暗いと感じるのは、月も星も無いからか。
サトルが天井を見上げると、ドーム状の天井を縁取る様な広い円形に、わずかに光が見えた。
光は震えているように見えることから、テカちゃんたちの仲間かもしれないなかまかもしれない。
あの光の場所が、このホールの限界、壁際なのだろうことが分かった。
「多分擦り傷を少し……大丈夫です、体は、痛くない」
大きな怪我はないと宣言し、身を起こすルー。
それでも腰は抜けているのか、座ったまま立ち上がろうとはしない。
「なら、歩けるな?」
「っ……」
ルーはためらうようにこぶしを握り背を丸める。
怯えているのだろう。たった今自分たちは死にかけたのだ。という思いが、ルーを委縮させ、身動きを取れなくさせているように見えた。
サトルにも身に覚えのある感覚だ。現に今もサトルの膝には力が入っていない。
危険から逃げるために、恐怖と戦い、足を動かさなくては。
笑いだそうとする自分の膝を殴りつけ、サトルは立ち上がり、ルーへと手を伸ばす。
「動けないなら背負う」
「あの……いえ、歩けます。歩きます!」
ルーはすぐに首を振り、意を決したように顔を上げる。
落ち込む時も立ち直るときも、切り替えが早かったが、こうしたピンチの時の判断もかなり早いようだ。
サトルはそんなルーを頼もしく思い、口元に笑みを浮かべた。
「無理はするなよ、動けないと思った時はすぐに言ってくれ」
ただでさえ暗闇で開いていたルーの瞳孔が、限界ギリギリまで見開かれる。
何に驚いたのか、興奮したのか知らないが、サトルの言葉が引き金だったようだ。
「……あの、思ったんですけど」
「何?」
「サトルさんて凄くちぐはぐな方ですね」
何か失礼なことを言われた気がして、サトルの眉間に皺が寄る。
しかしルーは遠慮なく言葉を続ける。
「血や気持ち悪い物が苦手で、どちらかというと臆病な方ですよね? 落ち着いてる人に見えるけど、本当は色々と考えて、すぐに動かないだけだったりしませんか?」
確かにその通りだ。サトルははっきり言って情けない位に臆病な人間だ。
臆病だがその臆病に好奇心が勝る事も多く、平穏な日常ならば寧ろ臆病な人間には見えないタイプだろう。
「今言う?」
助けようと一緒に落ちてくれた人間に言う事かと、サトルは目をすがめる。
そもそもなぜこのタイミングで、サトルをこき下ろすことを言うのか。
「すみません、思ったもので」
ルーは素直に頭を下げた。頭を下げたまま続ける。
「……助けてくださって、ありがとうございます」
サトルに聞こえるか聞こえないかの小さな声で「ごめんなさい」と続いた。
サトルはどうも気まずく感じ、返事を探す。
臆病なのにこんな目に巻き込んでごめんなさい、ルーが言いたいのはそういう事だろう。
「ここに来たがったのは俺で、このタイミングでダンジョンが組み変わると分かってたんじゃないなら、これは俺の自業自得だろ」
だからルーのせいではないとサトルが言えば、ルーは首を振ってそんなことはないと否定るする。
ルーはサトルに対して、自分はダンジョンの事をよく知っているという風にふるまっていた。だからこそサトルはルーに付いてダンジョンに降りてきたのだ。
ルーは自分が慢心しなければと、自罰的に考えているのだろう。
「むしろ、俺がお願いしてここに一緒に入ってもらったって考えてたから、俺の方がルーに謝るべきだと思うんだけど」
顔を上げたルーの目からは、こらえきれなくなった涙があふれていた。
人が泣くのは苦手だと、サトルは思わず顔をそむける。
「それは違います! 私、はしゃいでたんです……貴方と一緒に、ダンジョンの探索ができることを。貴方に、私の今まで得てきた知識を披露できることを、嬉しくて……はしゃいでて……」
はしゃいでいたというのは心当たりがある。本当に楽しそうにしていた。ルーの目も耳も、感情を隠せないほどにせわしなく動いていた。だからサトルもつられて浮かれた。
「俺もはしゃいでた。危険があるってわかってる場所に来て、二人して浮かれてたんだ。だったらどっちが悪いとかじゃない。俺もルーも悪かった」
ルーが一人でこの場所に来ると知った時、サトルはこれからは自分が付いて行くと言った。ひ弱でも二人一組の方がまだましだと思ったからだった。
しかし二人一組での行動は、どちらかが冷静さを欠いた時に、残りがフォローできるからこそ有益なだ。ルーが自分を責めるのと同じくらいに、サトルも浮かれ切っていた自分を責める気持ちでいた。
「サトルさんは悪くないです」
「悪かった、でいいんだよ。一人で責任背負い込むな。俺にも頼ってくれていいんだって」
少なくとも、今このダンジョン内では、どちらが悪いではなく、どちらにもミスがあった、だからこそそれを挽回するために立ち止まってはいられない。
サトルはルーの手を掴み立ち上がらせる。
「ありがとうございます……本当に、本当に」
ルーは涙で震える声で、ありがとうを何度も繰り返した。