9・フローズンハート
なめらかに崩れる地面は、ぼたりと鉄板の上に落とされるパンケーキの生地のように、下の階層へと落ちていく。
高さは今まで落ちたどの高さよりも低く、すぐにでも地面に激突してしまいそうだった。
「父さん!」
ニゲラだけでも逃げてくれればとサトルは思たが、何故かサトルを父と慕うニゲラが一人で逃げるわけもなく、サトルを助けようと落下する地面に突っ込んできた。
「くそ! キンちゃんたち! 俺とニゲラだけを助けてくれ!」
サトルの声に反応して、キンちゃんたちがフォンフォンと激しく鳴いた。
サトルの左手の九曜紋が発光し、背を支えるような不思議な抵抗感がサトルを包んだ。
どさりと地面に落ちるころには、ダンジョンの崩落も収まり、サトルもニゲラも無傷で地面に尻もちを着いていた。
そこは薄い色の岩の床と壁だけがただただ広がるホールで、広さは小学校の体育館より少し広い位の場所だった。
「……怪我は?」
「ありません。父さんは?」
ニゲラはひょこりと立ち上がると、サトルの腰を掴んで、まるで子供でも抱えるように立ち上がらせる。
色々と言いたいこともあったが、ニゲラは半分は竜なのだし、人としての知識はあっても今一つ常識と外れた行動もしているので、自分がやっていることがどういうことなのか、正しく理解しているわけではないのだろう、そうに違いない、とサトルは自分に言い聞かせる。
とりあえず離してはくれない物かなと思いつつ、ニゲラの手を掴んで引き剥がそうとするが、ニゲラはサトルが怪我をしない程度にしっかりとサトルの腰をつかんで離さない。
「ニゲラ?」
「無事なんですよね?」
「無事ですよ」
「……無事、ですよね?」
「無事だって」
どうやらさっきの今でサトルが命の危機に見舞われたことで、ニゲラとしてはサトルを離してはおけないと感じてしまったらしい。
サトルは大きくため息を吐くと、ニゲラの額をぺしりと叩いた。
「俺もお前も動けなくなってどうするよ。サンドリヨンたちがまだ生きてるかもしれないだろ」
というよりも、生きているだろうなと、サトルは確信していた。
崩れるダンジョンの床と一緒に落ちていく炎や、その中に蠢く黒い影を見たからだ。
実際今サトルたちが立つ場所でも、何故かくすぶり続ける青い炎。
ガスが噴き出していたはずの場所も、諸共に落ちてきているようだったが、ダンジョン石内にたまっているガスはまだ燃え尽きていないらしい。
ニゲラはしぶしぶサトルの腰を離した。
自由になったことで視界を巡らせる余裕もでき、サトルは改めて周囲を確認する。
「やっぱりサンドリヨンの巣も一緒に落ちたな……怪我の功名か」
キンちゃんたちの光がハッキリとは届かない場所に、幾つかの死骸を見つける。
「キンちゃんたちに質問、あの中に君らの仲間は?」
高い声のフォンフォン、肯定だろう。
「ダンジョン石にするのはもうしばらく待ってくれるか?」
また高い声でフォンフォン。
その声と重なるように、ギイギイと耳障りな音がした。
サトルはとっさに青い炎から距離を取る。
「キンちゃん、ニコちゃん、ミコちゃん、イッツちゃん! 光ってくれ、周囲の確認を。ギンちゃんフーちゃん、サンちゃん! サンドリヨンを牽制しつつ酸を! 各自任せる!」
照らし出された光景に、サトルは息を飲む。
広範囲に散ったサンドリヨンの巣の残骸の中、怒りに目を燃やした百を数えるサンドリヨンの群れがいた。
氷のつぶてを気にしていいるのか、サトルから距離を取ってはいるようだが、それも間もなく飛び掛かってくるだろう。
「数が多いか……」
キンちゃんたちが威嚇するようにフォンフォンと鳴きながら光を強くする。
するとサンドリヨンたちはややサトルたちと距離を取った。
「光は嫌がらないが、警戒はするか……」
ダンジョンの妖精と知ってか、この光に対してサトルが指示を出しているのを気にしてか、サンドリヨンたちはギイギイと鳴いて妖精たちを警戒するので、ギンちゃんが強く光ってサンドリヨンたちを威嚇し、輪を広げさせる。
サトルは考える。
ニゲラならばサンドリヨンは敵ではないだろう。サトルでは自分の身を護るのがせいぜいか。数が多いのがネックだ。緑の竜を守るためにはできる限り数を減らしておいた方がいいだろう。
この数をどうしたら一網打尽にできるだろうか。
使える手があるのならと、サトルはニゲラに問う。
「ニゲラ、君地面をつぶてのように噴き上げる魔法使えたよな? ああいう感じに地面をというか、ここのダンジョン石を操ったり、足元を高く盛り上げることは?」
ニゲラは数秒考え答える。
「できます、というか、僕ではなく母さんたちの力を借りることになります」
キンちゃんが任せろとばかりにフォン! と鳴く。
「構わない、じゃあ俺たちの立つ場所を持ち上げてくれ」
とたんサトルの左手の甲が発光し、キンちゃんたち金色に光妖精たちが、サトルとニゲラの周囲を激しく旋回し始めた。
揺れる足下にサトルがふらつき、ニゲラが支える。
「どれくらいまで高く?」
「建物の二階ほど。ある程度登れそうな斜面にしてくれ」
細かい指示がどこまで通るか分からなかったが、サトルの頼むとおりに足元が蠢き形を変える。
周囲を見渡せる程度の高さになり、サンドリヨンたちの正確な数や、どの場所にいたのかが分かった。
どうやらサトルたちがだらだらと話しをしている間に、後方へと回り込んでいたサンドリヨンがいたらしい。
ギギィ! と激しく鳴いて盛り上がったダンジョン石の床を駆け上ってきた。
ニゲラはとっさにその数匹を蹴り落とす。
「父さん! 来ます!」
サンドリヨンたちが動く。
奇襲が失敗したとみるや、数で押そうと考えたか、一斉にサトルたちに向かって走り出した。
サトルは口の端に笑みを浮かべる。
サンドリヨンは斥候や待ち伏せと言った、人間でも使うような小細工をする。またニゲラではなくより弱いサトルを重点的に狙うなど、思考をしていると分かる動きをしているが、その思考は複雑というほどではなく、すぐに予想が付くものばかり。
もちろん背後に回り込まれることも予想した通りだった。
高く足場を盛り上げたことで、サトルたちから敵は丸見え、奇襲がまるで効かない状態に。
「ギンちゃんたち酸を! 登ってくる奴らのできる限り顔面を狙え!」
フォフォン! と答え、ギンちゃんたちが昇ってくるサンドリヨンに酸を浴びせかける。
顔面を狙うのは、酸では溶けないだろう体毛がある場所よりも、剥き出しの感覚器官や粘膜の方がダメージを受けるから。
ゴギャア! とくぐもった悲鳴とともに顔面に酸を浴びたサンドリヨンたちが転がり落ちる。
それでも数が多いので、次のサンドリヨンが仲間の体を乗り越えて駆け上ってくる。
「ニゲラ! サンドリヨンの包囲を抜けて壁まで走れるか?」
「何故?」
いぶかしむニゲラに有無を言わせずサトルは強い口調で命令する。
「いいから! すぐに行け!」
「分かりました」
ニゲラはサトルが言うのだから何か意味があるはずと、不承不承ながら駆けだした。
サンドリヨンたちは一瞬、急に駆けだしたニゲラを気にするが、それでも人の見分けがついているらしく、明らかに強いニゲラよりも、サトルを狙うことに集中する。
これもサトルの予想通りだった。
サンドリヨンは群がられた際に抵抗らしい抵抗をしなかったサトルを、弱い相手、すぐにでも食える獲物だと思っているのだろう。
確かにサトルは非力で出来る事と言ったら精霊や妖精に頼んで力を借りる事だけだ。
しかしサトルの本当の力は、その精霊たちの力を最大限に生かせるよう、常に考え続けることだった。
「ウワバミ! サンドリヨンのいる場所を水で満たせ溺れるほどに! ニゲラは避けるんだ! ベルナルドその水をサンドリヨンごと凍らせろ!」
虚空から現れた大量の水が、鉄砲水のようにサンドリヨンたちに襲い掛かった。
あわててサンドリヨンたちは高台に逃げようとするが、質量のある水がサンドリヨンたちの脚を絡め取り、容赦なく押し倒していく。
圧倒的な水量。サトルは懐でドラゴナイトアゲートが崩れるのを感じた。
流水はサンドリヨンを飲み込み、サトルのいる高台周辺で渦を巻く。
サトルの立つ高く盛り上がった場所すれすれまで水が来て、跳ねた飛沫がサトルの靴を濡らした。
その光景から目を背けるように顔を覆い、サトルはガタガタと震える。
自分のトラウマを刺激すると分かっていながら、覚悟を決めてやったつもりだったが、やはりそう簡単に克服はできなかった。
サトルはガクリと膝を折り、身を折って喘ぐように嘔吐した。
水音はすぐに止み、バキバキと硬い音にとってかわる。
ゾッとする程の冷気に顔を上げると、いつの間にか水流は全て凍り付き、サトルは氷の中に自分一人がぽつんと這っていることに気が付く。
どうやらもう生きているサンドリヨンはいないらしい。
キンちゃんたちが心配するように、サトルの周囲でフォンフォンと鳴いていた。
「父さん! 何を考えてるんですか!」
サトルの元に駆け戻ってくるニゲラ。その顔は、怒りと嘆きでぐしゃぐしゃに歪んでいた。
サトルの元迄かけてくると、地面に這うサトルをひょいと抱え上げ、強く抱きしめた。
「ぐえ……」
「自分を囮にするなんてそんな、僕が上手くできなかったら」
サトルを抱きしめながら、ニゲラは肩を震わせて泣く。
「悪いニゲラ……」
謝るサトルの声が聞こえているのかいないのか、ニゲラはその後もしばらくサトルを離さなかった。