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コウジマチサトルのダンジョン生活  作者: 森野熊三
第九話「コウジマチサトルの挑戦」
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6・恍惚の異世界グルメ(黄金の蜜酒とハルハナ豆)

 昏睡状態が十日だったというのは、サトルにとって幸運なことだったのかもしれない。


 仕込んでいた蜜酒が、まさに今飲み頃だと蜜酒の妖精、ラブちゃんがサトルに訴えた。

 最初の一杯を所望されたので、ラブちゃんに小さなカップに半分ほどを分けた。ラブちゃんはとても喜び、良い夜をと、炊事場からサトルを送り出した。


 蜜酒を持ってサトルが訪れたのは、セイボリー達の使っている部屋だった。

 約束もあるが、それ以上に、彼らに聞きたいことがあった。


 二間続きの部屋で、先にクレソンたちの部屋を通らなくてはセイボリー達の部屋に行けなかったので、一体何事かとひどく詮索されたが、マレインに直接聞いてみろとサトルが言うと、クレソンはすぐにおとなしくなった。この辺りの力関係は、どうやらかなりはっきりしているらしい。


「相談がある」


 セイボリー達の部屋を訪ね、サトルは何の含みもなく、真っ正直にそう切り出した。


「口が軽くなると聞いたから、これも持ってきた。それと、塩で炒ったハルハナ豆も持ってきた」


 ハルハナ豆は、サトルの世界で言う所のソラマメと似たような物らしい。

 見た目はサトルの世界のソラマメと同じ大きさ、色はウズラの卵のようなマーブル模様で、味はソラマメ独特の匂いが薄く代わりに青みが強いが、それでもふくよかな甘みとコクのある濃い豆の味が特徴だった。

 鮮度が命だとかで、採れたてをその日のうちに食べるべきと、栽培者であるルーは力説していた。

 ルーにも蜜酒を一杯分分けたので、お礼にと貰った物だった。


 美酒に旬の酒の肴を前に、マレインの神経質そうな顔が柔らかく崩れる。


「君が僕らに相談とはねえ」


 警戒されているかと思ったと、マレインは嘯く。


「警戒してるのはそっちの方だろ。俺はあんたたちのことほとんど知らないし、警戒のしようがない」


 セイボリー達の部屋はクレソンたちの部屋よりは狭いはずだが、クレソンたちの部屋の方が製図用のテーブルやよくわからない冒険者の道具の置き場所にされているせいで手狭に感じた。

 部屋には四、五人がゆっくりくつろいで座れるような応接用のソファ、それと壁に作り付けの暖炉があった。


 暖炉に火は入っていなかったが、代わりにギンちゃんによく似た白い光の妖精、フーちゃんが、イッツちゃんとサンちゃんを招いて、シュガースケイルとミルクでお茶会をしていた。

 まさかのコミュ力に、サトルはちょっと驚く。


「……」


「君に何が見えてるか知らないが、その子たちを可愛がっているのはルイボス先生だよ。一時的に妖精を見えるようにする術があるらしくてね、シュガースケイルをわざわざ買ってきて与えてるのも、ルイボス先生だ」


 思わず無言で暖炉を凝視していたサトルに、マレインが苦笑交じりに応える。

 ルイボスは少しだけ眉を下げ、つい甘やかしてしまうと謝る。


「すみません、甘やかしてはいけないと思いつつも、つい」


「あ、いや、可愛いんで、いいいです、はい」


 メルヘンでファンタジーで、絵本の世界をそれなりに好きなサトルとしては、文句を付ける必要のない光景だ。


「そうかい、それじゃあ、相談を聞かせてもらえるかな?」


 それよりも、本題があるのならどうぞと、マレインが促す。

 促しつつも、サトルの持ってきた蜜酒を、いつの間に用意していたのか二つの足の付いたグラスに注いでいる。

 どうやらこの世界では硝子技術はごく普通にあるだけでなく、薄く丈夫で、かつ装飾を施す技術もあるらしい。


 マレインは蜜酒に並々ならぬこだわりを見せていたが、どうやらテーブルのセッティングにも一家言があるようで、サトルから受け取ったハルハナ豆も、陶器の皿に飾る様に盛り付ける。


 最初の意地悪な印象はまだ完全には晴れていなかったが、何だかんだこの人面白いなと、サトルはマレインのテーブルセッティングが終わるのを待つ。


「セイボリーさんと、ルイボスさんにも話を聞きたいので、良かったら、酒宴に参加してもらえますか?」


 サトルの誘いに、セイボリーとルイボスが頷く。


「言葉に甘えよう」


「お誘い感謝します」


 それならと、別の装飾グラスを出してくるマレイン。趣味人なのかもしれない。


 全員がソファに着くと、マレインがグラスを掲げる。

 乾杯でグラスを合わせることはしない。掲げて一口二口と呷った。


 サトルもそれに習って蜜酒に口を付ける。

 とたん間が覚めるような華やかな香りが、口腔を満たし鼻を抜け、カッと胃を焼くような刺激が喉の奥へと落ちて行った。

 一瞬過ぎて味わいは分からなかったが、その感覚はまさしく衝撃的と言い表すしかない物だった。


 爽やかなビール、癖のない白ワイン、それらをとことん上品に洗練し、春の瑞々しい空気と草花の爽やかな香りを足したような、舌だけで感じるのではない味。

 アルコールの苦みや酸味を凌駕する旨味。

 かといってそれがしつこく残るのではなく、飲み下すと果物の果皮に似た花の香りが余韻として残る。


「凄い……」


 簡単のため息を吐くサトルに、そうだろう? とマレインが満足げに笑う。


「二口目はまた味わいが変わるんだ。一口目で眠っていた感覚が目覚め、二口目以降はその繊細な味を細かく解剖していく。そして自分のうちに取り込み、情緒に花を咲かせるその味わいに酔う、それがこの蜜酒なんだよ」


 まるで恋の喜びを語るかのような、恍惚としたマレインの言葉に、サトルは頷かずに居れなかった。


 マレインがハルハナ豆を手に取り、口に運ぶ。数度咀嚼し、グラスに口を付ける。蜜酒と一緒に飲み込むと、またもうっとりと息を吐く。


 サトルもそれに習い、塩炒りのハルハナ豆を口にする。

 ほくほくとした触感、青味のある豆の香りはどちらかというとグリンピースやえんどう豆をほうふつとさせるが、その奥に花と名の付くのも納得の甘い香りを感じた。

 豆のうま味が濃いのでこのままでも美味かったが、マレインは蜜酒で飲み下していたので、サトルもそれに習う。


 その一口は豆のうま味を増幅させ、喉に流れ込む質量のある喜び。わずかな塩気がジワリと酒に溶け、酒そのものが極上のスープにでもなったかのようだった。

 そして全身に回るアルコールが、一瞬にしてサトルの体温をあげていく。

 心臓が脈打ち、ときめきが胸を支配する。


 サトルはこの感覚を知っていた。それは恋する相手を前にして、手を取り、その体温を知った時の、あのときめきだ。


 あの手の温かさを守りたいと思った。

 あの時見た笑顔を消させはしないと決意した。

 たとえ自分のために向けられる物ではなくなったとしても、世界から失わせない、そのために自分は頑張ることが出来ると思っていた。


 サトルはブルリと震えた。


「これは……悪魔の誘惑か? こんな酒、飲んだことが無い」


 失恋をしたばかりの心を殴りつけるような、残酷なほどに美味い酒に、サトルはグラスを置き、両手で顔を覆った。


「愛の妖精の雫とも言われる……この酒は人の最も愛おしいという感情を引き起こすんだ。けどどうやら君は辛い恋をしているようだね、サトル」


 クツクツと喉を鳴らしマレインはネタバラシをする。


「人の心を丸裸にする、無防備なところに触れて、感情を想起させる、そういう魔法の酒なのさ」


 黄金のミードは、ただの酒ではなく、魔法の力を持っているのだと、語るその目は獲物をいたぶる肉食獣のそれだった。

 上機嫌に揺れる尾が憎たらしくて、サトルはちくしょうと呻く。


「サトル殿には、あまり進めるべきではなかったか」


 先ほどまで蜜を舐めるようにニコニコとしていたセイボリーだったが、サトルの様子に顔をしかめ、自分の事のように心配そうに身を乗り出す。

 セイボリーはあまり自分の恋愛感情に頓着はしていないのだろう。


「恋に恋する乙女こそが、最もこの酒を美味と感じると、言われていますからねえ」


 そう言って口に運ぶルイボスの顔は、まるで苦い物でも飲むかのようにしかめられていた。しかしそれでも、グラスの中の酒は減っていく。ルイボスは苦いが飲まずにはおれない恋をしていたという事か。


 どうやらこの蜜酒は、飲む者によって味を変えるらしいと、サトルは今更ながらに気が付く。


「……先に言ってほしかった」


 マレインが口の端を持ち上げる。


「何を言う、それではつまらないだろう? ただ美味いだけでは人の心をここまで虜にはできない物なのさ」


 毒こそが最も甘美と嘯くマレインの目は、何を思っているのか、熱に浮かされるように潤んでいた。


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