5・思惑と迷惑と困惑
マレインがサトルを迎えに来た後、サトルたちは逃げるように身を隠してルーの家に帰ってきた。
こそこそと裏口から入ってきたサトルたちを見て、ルーは驚くやらあきれるやらといった様子で、大きくため息を吐いた。
「本当に逃げてきちゃったんですね。私だけじゃサトルさんを守れるか分かりませんよ?」
ルーとしてはしばらく治療院での保護でも構わなかったのだろう。しかし、マレイン達がサトルを連れ帰ってきてしまった。
それが不服らしく棘のある物言いになっていた。
権威を持っているのか権力を持っているのかわからないが、貴族からの横やりがあるのなら、矢面に立たせるのはジスタ教会の方がいい、そうルーが判断していたとしてもおかしくないなとサトルは思った。
実際に、自分では守れるか分からない、と言っているので、不安もあってのこの言葉なのだろう。
「逃げるだなんて人聞きの悪いことを言わないでくれルー。一応、ジスタ教会の方には話を付けてきたよ。助祭のチャイブという人に断りも入れた」
マレインは肩を竦め、ジスタ教会の方とは話が付いていると主張する。
チャイブの名前を聞いて、ルーは少し驚く。
「チャイブ様に?」
「知ってるのかい?」
「ま、まあいちおう……その、結構まともな方ですし」
ルーに貴族の横やりがある、と聞かせた人物こそがチャイブだと、マレインは知らないのだろう。
「少しは、助けていただいてますし」
その言葉でマレインは何を納得したのか、だろうねとうなずく。
「タチバナの知り合いだったらしいが、色々あったそうだね」
「そうらしいです」
てっきりルーとチャイブは以前からの知り合いだと思っていたが、ルーの言い方ではそうではなかったようだったので、サトルは少し驚き問う。
「らしいってことは、ルーは聞いていないのか?」
「話だけは聞いていますよ。ですが、私はジスタ教会にあまり近付きたくなかったので」
もごもごとくぐもった答えを返し、ルーはもう休みましょうよと、リビングに向かう。
いつまでも立ち話はサトルも辛かったので、それに従いルーに付いて行く。
その道すがら、やはり気になったので先を行くルーの背に問う。
「何か理由があるのか?」
「数年前から昨年半ばくらいまで、ジスタ教会はシャムジャやラパンナに対して、強制的な穢れ払いを行っていたんですよね。ちょっとした暴行まがいというか」
嫌そうながらもルーは答える。
穢れ払いが何かは分からないが、それが所謂一神教の悪魔払いの儀式のような物だとしたら、サトルの知る限り水をかけるわ本で叩くわ、確かに暴行まがいという言葉で表現されても仕方ないと思われた。
悪魔祓いならまだいいが、もし魔女裁判のような物だったら、目も当てられないだろう。
「ああ、そう言えばあったなあ。さすがに問題がありすぎて、自治会や貴族議会でも議題に上がったから、ジスタ教会も大人しくなったように感じたが……」
マレインも覚えていると苦い顔だ。
他の組織にも睨まれるようなことをするのは、三つ巴状態のこの町ではあまり良い事ではないのではないだろうか。
三すくみでにらみ合っている一角が勢いを増せば、残りが協調してその一角を崩しにかかる、などというのもよくある話だ。
「なんでわざわざそんな、自分たちから喧嘩を吹っ掛けるようなことを」
三すくみの構造が未だ残っているという事は、そのトラブルは今はもう鳴りを潜めているのだろうが、それでも、一度トラブルを起こした団体というのは、長く地域で警戒されるものだ。
実際、ルーたちシャムジャやラパンナは、ジスタ教を毛嫌いしている様子が見える。
また、そのようなことをしたからか、ジスタ教の信徒の中にも、過剰にシャムジャやラパンナに忌避感を抱いている者も出ているようだった。
自警団の人間や、オリーブたちが行き付けだという銀の馬蹄亭のタイムを見るに、ジスタ教信徒を公言していない者達が、シャムジャやラパンナを差別している様子が無いので、間違いないだろう。
思い上がりにも近い、完全に下手を打った行動の理由は何だろうかと問うサトルに、マレインはくだらない事だと言うように、低く答える。
「何でも、数年前に腕のいい治療士の子供を得たらしくてね、その子供に無理やりさせていたらしいよ。子供だからね、自分が何をさせられていたのか理解していなかったんじゃないか? 穢れ払いなんて治療士の仕事でもないし、そもそもアンナモノはただの自己満足の儀式の真似事に過ぎないと思うのだがね」
よほど穢れ払いはろくでもない物なのだろう。ルーもマレインも穢れ払いに嫌悪を示す。
サトルとしては、治療士の子供と聞いて、真っ先に思い浮かぶ人物がいた。
「アニスか」
しかしサトルは違和感に気が付く。以前チャイブは、アニスはこの町に来たばかりと話していた。
数年前が最近来たばかり、というのはおかしな気がしたのだが、もしかしてアニスを庇うための方便だったのだろうか。
アニス自身の言葉だと、五年前に母親が亡くなり、その後ガランガルダンジョン下町に来たことになる。
そしてタチバナが亡くなる前にそのトラブルがあったとしたら、半年以上前にはアニスはすでにガランガルにいたという事だ。
「ああはい、そんな名前を先生から聞きましたね。そのアニスという少女を、どうにかできないかという先生の相談相手が、助祭のチャイブ様だったんですよ。なんでも、ほとんど教会に軟禁状態でお仕事させられていたようで……人としての権利が迫害されているって、先生怒ってらして」
ぐぬぬぬと、唸りに近い音を喉から出しながら、廊下を行くルーの足が速くなる。
八つ当たりのように踏み鳴らす床がきしむ悲鳴を上げている。
ルーにとっては思い出したくない事だったのかもしれない。
「……そうなのか」
サトルはアニスが話していたことを思い出す。
本人は何でもないように語っていたが、確かにアニスは色々と物を考えることが出来る割に、ガランガルダンジョン下町での常識を知らない様子だった。
それがもしルーの言う軟禁に近い状態であったが故だとしたら、それはジスタ教会に所属している者としては、あまり部外者に話せることではないだろう。
チャイブがとっさに嘘の言い訳をするのも分からなくはない。
あの時カッとなってアニスの表情をうかがうのを忘れていたと、サトルは後悔する。もしチャイブの言い訳が嘘ならば、兄は表情に出していたことだろう。
アニスは他国から来たというサトルの宗教観に興味を示していた。
ジスタ教への勧誘の文句は、神を信じなければ死者が地獄に落ちるという言葉だった。
アニスがジスタ教会に帰依しているのは、母親の死後の安寧を祈るため。
サトルの国の人間は天国に行けないことが可哀想だとアニスは言っていた。
しかし昨日今日で、アニスは神を信じていないと、自分はこの場所にいるのが不満だと漏らしていた。
サトルが黙り込んだので、ルーは振り返る。
「何を考えてらっしゃるんです?」
「いや……ううん、まあ、色々」
曖昧な返事に、眉間に寄った皺、サトルが何かを深く考え込んでしまっているのが分かる。
「サトルさん、私思うんですけどね」
「なんですか」
「サトルさんってお人好し過ぎやしませんか?」
うつむかせていた顔を上げ、サトルは苦笑を返す。
「否定はしないよ」
「良し悪しですよう」
ルーもまた苦笑を浮かべ、大きなため息を吐いた。
「先生も、そんなところあったんですよね」