3・ヒトと和解せん
サトルが目を覚ましたことをローゼルたちに報告しに行くと、ルーが治療院の病室を後にしてすぐに、サトルの入院している部屋にアニスが訪れた。
「喧嘩をしていたの?」
ルーとのやり取りが聞こえていたのだろう。アニスは不安げな、少し怒ったような、不機嫌な顔をしていた。
ルーのように我慢をしない表情。アンジェリカよりも子供じみた感情。アニスを見ていると歳よりも幼くも見えるなと気が付く。
その一つが、サトルの会社にアルバイトに来ていた高校生と同じこの態度。
「……おはよう」
サトルのごく普通の挨拶に、アニスはびくりと肩を跳ね上げた。
「あ、おはようございます、サトル」
自分が挨拶もない不躾な態度を取っていたということに気が付くだけ、礼儀はしっかりしているかと、サトルは苦笑する。
「あの……」
サトルの苦笑の意味が分からず戸惑うアニスに、サトルは視線を合わせず口を開く。
「あの時は俺も心に余裕が無かった。だから、君の謝罪を聞きたくないと言った。けど死にかけて、ちょっと罪悪感がある事に気が付いた。だから、自分の罪悪感を晴らすためにも、最低限君の話を聞くべきだと思った」
サトルの言葉に、アニスの顔に朱色が走る。
「はい!」
アニスは大きな声で返事をし、サトルの寝るベッドの上へと身を乗り出す。
「近いよ。それで、君の話を聞いた後で、俺が怒った理由、もう一度話してもいい?」
「はい!」
では改めて話をしようかと、アニスは先ほどまでルーの座っていた椅子に腰かける。
思い立ったら即行動、あまりものを考えないで感情のままに動くタイプの少女なのだろう。サトルはその思い切りの良さに、いっそ感心をしてしまう。
「あの……どこから話せばいい?」
話をするにもどこから聞きたいのかと、アニスはサトルに問う。
「君はなんでジスタ教会で治療士をしてる?」
それなら簡単と、アニスは答える。
「それしかなかったからかな。私母がいないの。私が十二の頃に亡くなったわ。もう五年も前ね。ずっと別の町のジスタ教会の治療院に入院してた。元々肺が悪かったらしいの。でも亡くなるまで穏やかに過ごせたから、母のために私はジスタの神に祈りなさいって、父に言われたわ。本当はこのダンジョンの傍だったら、治る病気だったかもしれないんだけど、ここにはとても来るのが難しいし、母さんは長旅には耐えられないだろうってことで、結局来れなかったのよね」
「それが、君がこの町にいる理由か?」
「そうね、母さんのことがあったから、私が望んでここでお祈りをすることを許してもらったの。でもね、私別に神様を信じているんじゃなくて……母さんを、天国に行かせてください、って神様にお願いしてただけねって、最近思ってる」
それは意外な言葉だった。
サトルに対してあんなにも、ジスタの神を信じないと地獄に落ちると言っていた少女が、実は神を信じていないと言い出すとは思わなかった。
しかし、神を信じるのと、自分の愛した人たちの死後の安寧を祈るのは、まるで別の思考で両立するという感覚を、サトルはよくわかっていた。
神様は信じても生きている自分たちを助けてはくれない。それでも、死んだ人の安寧を祈らないという事も出来ない。
そしてその祈りを行っているのが、自分だけであってほしくはない。道連れが欲しい。
それらはすべてサトルにも覚えのある感情だった。
サトルの覚えている感情と同じものを、あの時の自分と同じくらいの年頃の少女が語っている。
その直情的な性格も、強く祈りを持っていながら、どこか冷めた物を思う様も、アニスはとても「彼女」に似ていた。
ざわりと背筋が泡立つのを感じ、サトルは口元を押さえ呻くのを堪えた。
あんなにも憎く思っていた相手と、誰よりも愛しく思っていた相手が重なるその齟齬に、感情が付いて行けなかった。
サトルの混乱は収まらず、その間にもアニスの話は続く。
「神様信じてなきゃ、天国にはいけないけど、私が行きたいんじゃないって言うか、私自分が死ぬかもなんて思ったことなかったのよ。サトルが死にそうになってるの見て思ったの。サトルは地獄に落ちるなんて思わない。でも、私が信じてた神様は、私が祈ってサトルを天国に連れて行ってくれるかな? って……」
自分が死ぬかもなんて思わなかった。それは「彼女」も言っていた。
「だからか……」
「何が?」
「アニスが驚くほど自分の考えを改めたから、不思議だった」
「そうかな? 考えを改めたわけじゃないのよ。ううん、サトルのご両親が天国に行けない、なんて考えてるわけじゃないの。違うのよ。でもね、私は私がお祈りしてれば、母さんは天国に行けるんだってまだ思ってて……思ってないと、苦しくて」
アニスは唇を尖らせ、独白するように続ける。
神に祈るのが自分が天国に行くためではない事や、神を信じているのかというと疑問だと自分でも思っていること、少なくともこれらを話せる相手は、アニスにはいなかったのかもしれない。
「治療士になったのもね、母さんを助けたかったからなの。でも、母さん助ける前に死んじゃって……でも治療士になったから、みんな私のこと大事にしてくれるし、そりゃジスタ教会に所属してるから、派手なこととかしちゃだめだし、お祈りだって欠かしちゃ駄目なのよ、でも、でもね、私は何時だって一番いいご飯を、何の手伝いをしなくても取り分けてもらえて、部屋も一番温かい部屋を与えてもらって、しかも一人で使っていいの! 私の力はすごく大事な力だからって、みんなちやほやしてくれるのよ。でもそれがおかしいって私だってわかってるわ。だってこんな生活になる前はね、私だって普通のそこら辺の人間だったのよ」
息継ぎもおろそかに、勢いよく並べ立てた事実。その羅列にアニスは考え込むように言葉を途切れさせる。
人に許されることが当たり前だった自分を並べ、でもそれが普通ではないのだとアニスは言い切った。
選ばれた人間だと驕る事も、甘やかされる日々も、それが普通ではなかったんだと、サトルの言葉で思い出したと。
アニスと「彼女」は違う。サトルも自分の感情に区切りを付ける。
ここで同一視したり、比べて見るのはアニスにも「彼女」にも失礼な事だ。
サトルは自分からアニスの話を聞きたいと思ったのだから、きちんと聞く必要があると思っていた。
「何か……言い訳ばっかりでごめん」
ふうと、息を吐くと、アニスは自分の考えに答えを出せたようだった。
「私、たぶんここにいるのが不満なんだわ」
アニスは椅子から立ち上がると、改めてサトルに向き合う。
「あの時は、本当にごめんなさい。私の価値観を、貴方に押し付けようとした。本当はこれを一番言わなきゃいけなかったよね」
アニスに悪意はない。
それだけは最初から分かっていた。ただただ価値観が違っただけだと、サトルは首を振る。
「もういいよ、君が何を考えてるか、俺にはわからないけど、悪意が無いってことだけは分かった」
アニスが目に見えてホッとするが、サトルは尚も言葉を続ける。
「だから、許すとか許さないとかじゃなくて、あの時の言葉は、忘れたことにする」
「許してはもらえないの?」
「ああ、あの言葉自体は、二度と言っちゃ駄目な言葉だ。だからあれを許すって事は無い」
サトルがどういうつもりでそう言ったのか、正しくアニスには伝わっただろうか。
アニスは神妙に頷いた。
自分の押し付けた価値観が、人を傷つけることもある、それは理解しなくてはいけないことだ。
「けど、アニスの事は許すから……アニスもあの言葉は忘れろ」
アニスは今度こそ本当に、肩の荷が下りたように、心底安心した笑みを浮かべた。
「……ありがとう」