10・自己犠牲は誰がために
モーさんの上で揺られているうちに、わずかに回復してきたサトルは、少しだけバジリコたちと話すことにした。
というよりも、バジリコが聞きたいことがあるので、答える気力があるのなら答えて欲しいとサトルに頼んだのだ。
「サトル、あんたは緑の精霊とは契約をしないのか?」
「緑の精霊?」
聞いたことのない言葉だった。ワームウッドがすかさずフォローをする。
「治癒の力を持つ精霊。ボスが召喚できる中では最高位の精霊だけど、滅多に召喚に成功しないし、一回の儀式でかなり体力を使うと言ってたから、まだ無理なんじゃないな?」
「そうか……」
ワームウッドの答えにバジリコは残念そうに肩を落とす。
治癒の力というものは、体力や魔力の回復に貢献するのだろうか。だとしたらサトルとしては契約をしてみたいと思うが、バジリコの期待を見るに、もっと他者にとってメリットのある物なのかもしれない。
「治癒の力って、もしかしてそれと契約出来たら、治療士になれるとか?」
サトルの問いにワームウッドはニヤリと笑う。
「そう、ご名答」
ジスタ教と相性の悪いシャムジャやラパンナがメインの冒険者たちにとって、ジスタ教とは関係のない治療士がいるならば、それはメリットと言えるだろう。
しかしジスタ教が抱え込んだだけで、他に治療士がいなくなるような存在なら、きっとただ精霊が召喚しにくい、という以外にも何かあるのかもしれない。
ワームウッドの続く言葉で、サトルは納得する。
「さらに契約できるのは数千人に一人と言われる、希少中の希少な精霊」
「できるなら契約したいとは思うけど……無理そうだな」
「ダメもとでいい、ボスに頼んでみないか?」
早々に諦めるサトルに対し、バジリコはそれでもとサトルに勧める。
ワームウッドは無理強いはできないけどねと苦笑し問う。
「バジリコさん、治療士を抱えておけば、ルーの助けになると思ってる?」
「ああ、まあな」
そこまでルーの事を気に掛けるバジリコは、やはりルーの関係者なのだろう。
「バジリコさんとルーはどんな関係だ?」
「確かではないが、たぶんルーは俺の姪かもしれん。本当に確かではないんだがな……妹と顔立ちもよく似ている。耳の形も毛色も同じだ。声まで似ている。あれで血の繋がりがないと言われる方が、驚くべきことだ」
答えたバジリコの言葉に、ようやくサトルの中で答えが出る。
バジリコの笑った時の目元は、ルーによく似ていた。
「道理で、同じ目元をしてると思った」
「はは、嬉しいね、それは」
バジリコは本当に嬉しかったのか、目を細めて上機嫌に尾を揺らす。
しかし和やかな会話はそこで終了だった。
立ち止まったワームウッドが指さすのは、数十メートルはありそうな断崖絶壁と、その手前の深い奈落。
「ここから、何箇所かこういった場所がある」
つまりここを越えるための橋を、サトルの精霊魔法で作れという事らしい。
サトルはモーさんの上に乗ったまま意識を集中する。
疲れは完全に取れてはいない、しかし呼吸にも問題はない、いきなり意識を失うということもなさそうだ。
目の前の岸壁を超える氷の橋はただの橋ではいけないだろう。
「……ウワバミ、ベルナルド、俺に道を開く力をくれ」
ウワバミの力で現れた大量の水が渦を巻き岩壁の最上部に叩きつけられる。その瞬間水は凍り付き、触手を伸ばすように氷がサトルの方へ向けて伸びる。
あっという間に出来上がったのは氷でできた階段状の橋。足元の悪さをカバーするようにしっかりと手すり迄付けてある。
ベルナルドの心遣いにサトルは小さく笑った。
「ありがとう……っ」
精霊たちへの礼を言うと、サトルはまたモーさんの上に伏せる。
橋の強度を確かめるために部下たちを先に渡らせながら、バジリコがサトルの体調を確認する。
「大丈夫か?」
「ちょっと眩暈が……あー、体力回復してないのに精霊の力連続で使ったからかも」
「進むペースは遅くなるか?」
「いや、多少無理はすることになるけど、俺が気を失ったら殴ってでも起こしてくれ」
「いいのか?」
サトルの言葉は、いつ気を失ってもおかしくないという宣言だが、それでもサトルは構わないから進めと言う。
「ああ、そうでもしなきゃ、いつダンジョンが変化するか分からない。そうしたら余計に生きて帰る可能性が減る」
バジリコがルーの伯父かもしれない、そう聞いた時から、サトルは自分の体調よりも「バジリコを絶対に生きて帰さなくてはいけない」という思いを抱いていた。
もちろんサトル自身も生きて帰るし、ワームウッドとヒースを生かして返す。
そのために自分の力が必要だというのなら、サトルは最後の一滴でも絞り出してやるつもりだった。
先に渡った数人の自警団員が、バジリコに大丈夫だと合図を送り、ワームウッド、バジリコ、サトルが続く。ヒースが最後尾の一団と一緒に渡り終えると、バジリコは橋を壊せるかサトルに問う。
「モンスターの通り道になるかもしれない。前方ならまだ対処できるが、後ろから襲われるのは困るんだ」
「袂は強く作ったから、壊すとするなら中間あたりが一番脆いと思います。けど壊せはするだろうけど、精霊の魔法で壊すと俺が疲弊するから無理ですね」
火種を置いて行こうかとも思ったが、氷は熱の不良導体。表面を炙っただけでは簡単には溶けない。しかし結晶としてはかなり構造が単純なので、衝撃には割れやすいはずだとサトルはバジリコに伝える。
橋は自警団とヒースが練習する予定だった魔法で、途中を砕くことが出来た。
それから二時間ほど歩き、同じような段差のある崖を一つ、段差のほとんどない裂け目を一つ、道が崖に接して極端に狭くなっている場所を二カ所超えた。
その全てでサトルは精霊魔法を使うことになり、完全に疲弊して一言も話せないくなっていた。
意識朦朧とするサトルの耳に、悲鳴じみた叫びが聞こえた。
モーさんが急に立ち止まり、身体が大きく揺れて振り落とされる。
「こんな時にモンスターに遭遇とか、一番駄目なやつだろ」
自警団の中でも特に若いヒュムスの男が、泣き言を言っている。
視界の利かないサトルの耳、大きな羽ばたきのとこが聞こえた。
頭上を風が通り過ぎ、サトルは自由に動かない手足でモーさんにしがみつく。
逃げなくては、というよりも、何かに縋らなくては気を失ってしまいそうだった。
見上げればかすむ視界に巨大な黒い影が映った。まるで傘が飛んでいるかのような、大きなコウモリだ。
一匹や二匹ではない。少なくとも五匹以上、サトルの視界に影として映る。
サトルにははっきり見えずとも、妖精たちが騒がしく鳴きながら、頭上へと警戒をしているのが分かった。
ギィインと金属同士が激しくぶつかるような音が反響する。
思いの外近くで聞こえたその音に、サトルは身を竦める。
「サトルを守れ! 生存への最短ルートは彼にかかっている!」
バジリコの怒号に自警団の団員たちの答えが唱和する。
そしてそこかしこで獣の声と金属がぶつかる音が繰り返し起こった。
ワームウッドも参戦しているらしく、時折切羽詰まったような声が聞こえた。
ヒースは何処だろうか。サトルは耳を澄ます。
「サトル、ヒース、君らは大人しくしていなよ。できれば休んで少しでも体力を回復して」
「師匠!」
「駄目、お前はサトルを守れ、ヒース」
「分かった」
サトルの背中にヒースの手が当てられる。
ヒースの無事を確認したところで、サトルの意識は再び闇に落ちた。