しゅんとシュン
そういうもんだって、諦めろ。
手のひらに爪を立てて、思い切り拳を握りしめて、俺は下を向いた。コンクリートの床に黒い水玉が浮かんだけれど、そんなのは知らない。
「今すぐ、会いたいよ。
お前が隣にいると安心すること、たまに胸のあたりが痛くなること。なんて気持ちかは知らないけど、でも素直にそう言えば伝わったかな」
勝手に殺してやるなよ。
俺の中で、頬を伝う涙を笑う俺が言う。あいつがもう帰ってこないことも分かっていた。
「くっせぇ」
生きていく術はそこにしかなかった。
上がる息と、むせ返る血の臭い。死ぬ恐怖で小便を漏らしたらしい標的からは、まだ鮮血が流れていた。
「おい、ちゃんと殺せよ、ダボ」
隣に立つ、まだ少年とも見える男が、足元に転がる死体を蹴った。
死体からガホっと薄く息が漏れる。いずれ死ぬだろうが、まだ心臓は止まっていなかったらしい。
「じゃーな」
ケケっと下品な笑い声と共に、男は足元の脳天を撃ち抜いた。
「容赦ないな」
「逆に殺してやらねぇと可哀想だろーよ。僕は今、こいつを痛みから解放してやったの」
僕という一人称があまりにも似合わない、乱暴な言葉遣い。気味の悪い笑みをずっと浮かべている。
「おら、ぼけぼけしてっと誰かに見られんぞ。さっさと歩け、おにーさん?」
血のついたボロボロのスニーカーで俺の足を蹴る男。
名前は、知らない。というか多分ない。
「なんて呼べばいい?」
「僕に名前なんざねぇよ」
「知ってる。俺にだってないけど、どうにも不便だろ」
別に興味もない。ただ、仕事に支障が出るのだけは勘弁だ。
「んじゃ、おにーさんが付けて?」
投げやりに男が言う。
名前と言われて、思い浮かぶものはひとつだった。
「しゅん」
「は? ダッセ」
昔、俺が持ってた名前。それが旬なのか駿なのか隼なのかは分からないけれど、クソみたいな母親からもらった唯一のものだった。
「じゃあ行こうか、しゅん。ボスを怒らせたらめんどくさいもんな」
ダサいと吐き捨てた名前でも、しゅんは照れ臭そうに目をそらした。
この子が名前を呼ばれるのは、何年振りだったんだろう。
案の定、遅いとボスに怒られた俺らは、晩飯にはありつけなかった。
さっきまでぶつぶつ文句を言っていたしゅんも、それすら無駄に思えたのかすっかり黙ってしまった。
「腹減った」
「おにーさんがダラダラしてるからだろ。腹は減るし、返り血で臭ぇし、僕もうムラムラする」
「知らないよ、お前の性欲事情なんて誰が知りたいんだよ……。先に風呂入って来いよ」
しゅんは軽く舌打ちをしつつ、素直に風呂場に歩いていった。心なしかジャリジャリするコンクリートの床を、ぺたぺたと音が滑る。
「今日から同室、か」
実感はなかった。
ただ相棒という名の双方監視環境に置かれたからには仕方ない。
俺らはボスに逆らえなかったし、逆らう気もなかった。ただ仕事をもらって、標的を殺して、飯を食わせてもらうだけ。
ばちん!
しゅんが風呂から出るまで、軽く眠ろうかと寝室の灯りを付けると、ブレーカーが落ちた。
「っざけんなよ」
もう足がギシギシしている。
ブレーカーを戻しに行くのすら、投げ出したい。
「待って、おにーさん! 無理、助けて、早く来て、ねぇってば!」
風呂場から甲高い涙声が響いた。
間違いなくしゅんの声だけれど、今日の標的の刺客がお礼参りにでも来たのか。
俺はスッと銃を構えると、足音を立てないように風呂場へ向かった。
「うちの相棒がお世話になったようで!」
風呂のドアを開けて、暗闇に銃口を向ける。
その瞬間、下半身がじっとりと濡れた。
「は?」
「おにーさん! ねぇ、なんでこんな暗いの」
ブレーカーが落ちたからじゃないの。
なんでしゅんが涙声なのかも分からないし、なんでお礼参りの刺客がいないのかも分からない。
しかもなんで俺に抱きついてんだ、こいつ?
「とりあえず、ブレーカー戻してくるから」
「僕も行く」
素っ裸でかよ。
待ってろと言いかけたが、しゅんの手がカタカタと震えてるからやめた。
「流石に一糸纏わないのはマズいから、これ羽織れよ」
自分のパーカーを脱いで、しゅんに頭から被せる。
さっきまでの反抗的な態度はどこへやら、大人しくそれを羽織ると、俺のTシャツの裾を掴んだ。
「それ、可愛い女の子にやられるからきゅんと来るんだぞ」
「うるさい。可愛い男も需要あるんだよ」
生意気な、の間違いだろうな。
深いため息をひとつ吐くと、俺は手探りでブレーカーを探す。
「ん、あった」
がこん!
力一杯上に押し上げると、大きな音がしてブレーカーが戻った。
電気が煌々と光りだすと、ぱっと裾が軽くなる。しゅんの方を見ると、罰が悪そうに下を向いていた。
「暗いの怖いんだ?」
そうとしか思えなかった。
ニヤニヤと笑いを含めて問うと、しゅんは兎みたいに真っ赤な目で俺を睨む。
「ちょっと怖いだけだし」
「それにしては切羽詰まってたみたいだけど?」
「思い違いだろ、ダボ」
パーカーの裾を下に引っ張るしゅんは、仕事の時よりもいくつか幼く感じた。
っていうか、別に男同士なんだから下なんて隠さなくていいだろ。
「まあブレーカー戻ったし、パーカー脱いで。風呂入り直して来いよ」
眠い。
ブレーカーよりしゅんより、もうまぶたが落ちてきそうだった。
「……やだ」
「は?」
は?
やだってなにが嫌なんだよ。俺だって風呂入りたいんだから、早く入って来いよ。
「おにーさんと入る」
「ガキか」
確かに幼く見えるけど、しゅんは余裕で十五は越してる。まして俺はマミーでもパピーでもないんだが。
「だってまたシャンプーして目ぇ開けたら真っ暗だったりしたら怖ぇもん」
「もんじゃない、開き直るな!」
めんどくさい。
大体あの狭い浴槽に大人の男二人なんて、ぎちぎちでたまったもんじゃない。
「いくら男だからって、犯すぞ?」
引いてくれればこっちのもんだ。
しゅんは一瞬タジっとして、それから不敵に微笑んだ。
「いいよ?」
ああくそ、ムラムラする!
俺の作戦が裏目に出て、まあそうなったわけだが。
改めて考えると、俺ってすごい最低男じゃないか?
「だーかーら! ちゃんと殺せって何回言ったら分かるんだよ、ダーボ!」
仕事の時は、相変わらずこんな感じだった。
最近はお互いひとりの仕事も増えてきて、常にしゅんが隣にいるわけでもない。
ダボダボ言われるのもそう毎日じゃなくなると、少し寂しい気もする。
ぱんっ!
しゅんの手元で心地よい銃声が響いて、最後の標的が崩れた。
「やりぃ! 晩飯抜きはキツいし、さっさと行くよ、おにーさん」
すたすた歩くしゅんを、俺はニマニマしながら追いかけた。
「そういえば」
帰り道、人目を避けて裏路地を歩いた。
チューハイの空き缶と、擦り付けられたタバコの跡。
「僕の次の仕事、あの人だって」
暗がりの中しゅんが指差す先には、くらくらするような高層ビルが構えていた。
あの人とは、オーナーのことだろう。
「……今のところ全員返り討ちにあってるところだな」
俺らのところは暗殺成功率の高さを売りにしている。実際、90%は余裕で超すくらいの成功率だし、頼りにしてくれているクライアントも多い……らしい。
そんな俺らを持っても、ただひとり殺せない男は、次はしゅんの獲物らしい。
「成功率は相当低いな」
オーナーはかなりの大物だ。
俺らのところが殺したのがバレるのは、マズい。もしかしたら成功してもボスに殺されるかもしれない。
「ああそうだ。下手したら今回の仕事で死ぬかもしれないから、せめておにーさんには笑って見送って欲しいんだけど」
「笑えないこと言うなよ馬鹿」
俺は知っている。隣を歩くしゅんが震えていたこと。声をこらえて、涙をこぼしていたこと。
……なによりも俺が苦しいこと。
「いつの依頼?」
「明日」
「寝不足で仕事に送り出してやる」
しゅんの腕を掴んで駆け出した。
一刻でも、一瞬でも長く、しゅんに触れていたかった。
「痛いよ」
「死ぬのはきっともっと痛い」
俺は爪を立てて、しゅんの腕を握りしめる。
プツンとしゅんの柔らかな肌に血が流れた。
「おにーさん、離して。僕はシャワー浴びて着替えなきゃだから」
いつの間に寝たのか、しゅんは身体に絡みつく俺の腕をぽんぽん叩いた。
ちくしょう、寝ないつもりだったのに。
「俺も風呂入る」
もそもそと布団から出ると、床には昨日の抜け殻が散らばっていた。
「洗濯、おにーさんに頼んだ」
「シーツも洗わなきゃだもんな」
普段なら突き放すそんな甘えも、なんだか今日は愛おしく思える。もう少し、もう少しだけ浸っていたい。
「なんか今日は甘いね?」
「しゅんの気のせいだろ。早く風呂入ろう」
茶色くてさらさらな髪も、傷跡だらけなのに柔らかな肌も、瞳も、爪も、なにもかも。俺の命すら泡に溶けてしまえばよかった。
それくらいに離れるのが、こいつが死んでしまうのが、惜しい。悲しい。寂しい。
「泣いてんの?」
「泡が、飛んできた」
ぱたぱたと垂れた涙は、泡に染みてぐっちゃぐちゃだった。
しょうは微笑をたたえて俺を見ている。
「怖くない?」
「割と平気かな」
泣かせるくらいなら首だけになっても生きてやる。
ぽそっと聞こえた呟きだけが、どこまで本音を覆えるかを試しているみたいだった。
「髪、乾かしてやるよ」
「ありがと」
しゅんが歯磨きをしている間、俺がさらさらと髪を梳く。こうやってしゅんに触れたまま、時が止まって仕舞えばいい。
「時が止まればいいのにな!」
少年が楽しい提案でもするように、しゅんの声が弾ける。
「なにアホなこと言ってんだよ」
俺の必死の返答にケケッと笑うしゅんは、正真正銘の笑顔だった。
「じゃ、行ってくるね」
「おい」
すっと俺を見るしゅんの目はどこまでも澄んでいた。
本当にマズい時、お前はそれをひた隠しにするくせに、そんな目じゃ、なにも。
「死ぬなよ」
いってらっしゃいより、頑張れより、なにより。
死ぬなよ。
応援できなくてごめんな、成功を祈れなくてごめんな。でも今俺は、お前が仕事もボスも投げ出して、逃げることを祈ってる。
「……ただの仕事だよ」
泣いてもいいんだぞ、そう言いたかった。でも言ったらきっとしゅんがダメになる。こんなに綺麗な決意が、一瞬で崩れてしまう。
「じゃあ」
「じゃあ」
『せめておにーさんには笑顔で見送ってほしい』
そんな最後にふさわしい笑顔にはなってない。でも、精一杯に笑って、手を振った。
がこん。
重い扉が閉まって、しゅんが消えて。
「っあ」
小さく声が漏れた。
なにか言い忘れた気がする。もっと、しゅんに対して、なにかあった。
かちゃん。
さっき閉まった扉が優しく開いて、しゅんがこちらを覗く。それから照れ臭そうに口を開いた。
「ごめん、言い忘れてた。好きだよ、シュン」
それだけ言って閉まった扉を俺は呆気にとられて見つめた。
いつ言っただろうか、しゅんの名前は、俺の名前だっただなんて。
好きだよ、シュン。
カッと身体が熱くなって、溢れる涙を留めておけなくて、俺は嗚咽をあげた。
そうだ、これは「好き」って感情だったんだ。
「俺もだよ、ダボ」
少しでもしゅんを留めるように、俺はしゅんの抜け殻を抱きしめた。
お読み頂き、ありがとうございます!
こちらは古都乃さん(@suyasuya323)から台詞シチュエーションを頂いた作品でした。古都乃さん、素晴らしいシチュエーションありがとうございました!
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