福音落語 「苦しみを呼ぶ男」
旧約聖書に「ヨブ記」というのがありまして、これがほんまにわけのわからん、難しい話でございまして。どんな話かというと、神さんとサタンが、ヨブという実に信仰の厚い正しい人の信仰が本物かどうか賭けをするという。まず、ここが謎です。
現代では経済も天気も確率、例えば今日の降水確率はいくらかとか、30年以内に南海トラフ地震が30%の確率で発生する、みたいになんでも確率です。
けど、「神はさいころを振るのか」という反論もあるんです。クリスチャンにとっては大雨も洪水も大地震も神の計画ですからね。それが、神さんがサタンと賭け、バクチをするというのやからわけがわかりません。
で、ヨブという実に信仰の厚い正しい人がサタンの仕業で家族も財産も失い、そのうえに体中に腫れ物ができて苦しんで神様に訴えているのに、神さんはほったらかすという。とんでもない話なんです。
今回は、このわけのわからんヨブ記をもとに、わけのわからん「苦しみを呼ぶ男」というこれまたわけのわからん落語を考えました。皆さん、ヨブ記、読んで、ようわかりましたか?ヨブ記がようわかったという方、手を上げて(挙手具合によって、「この話やめといたらよかった」「しめしめ、こっちの思う壺じゃ」)。ま、しばらくの間お付き合い願います。
ここは神の国でございます。神様と、ラファエル、ミカエル、ガブリエルの大天使たちがいらっしゃいます。と、そこへ、なぜかサタン、つまり悪魔が入ってきます。
サタン「へ、へ、へ、神さんこんにちは」
神「こーれ、サタン、おまーえー、何しにきたのじゃー、どこで何をしておったのじゃー」
サタン「へ、へ、へ、これまで地上をうろうろして人間を罪におとしてましたんや」
神「こーれ、サタン、おまーえー、わざわざ人間を罪におとすでないぞー」
サタン「へ、へ、へ、何いうてまんねん。人間はみんな罪深いもんでんがな。みんな生まれながら罪を負うてまんねや」
神「こーれ、サタン、人間がみんなそういうわけではないぞ。ヨブという男がおるじゃろうが。やつは実に信仰が厚く、正しい男ではないか」
サタン「へ、へ、へ、そんなわけないやないですか。あいつかて、裕福で家族に恵まれてるから、神さんに感謝してまんねんで。財産とか家族とかみんな取り上げてみなはれ、神さんをうらみまっせ、かけてみましょか」
神「こーれ、サタン、人間を賭けの対象にするのではない。しかし、ヨブがそんなことでわしをうらむはずはない。よし、サタンの好きなようにしてみるがよい。しかしヨブの体に触れてはいかんぞ」
サタン「へ、へ、へ、ほなみてみなはれ」
というますというと。サタンは地上におりてます。そして、ヨブの馬や羊をみんな殺してしまうと、ヨブの子供達の家をばたばたばたっと、みんなつぶして、下敷きにして殺してしまいます。それでもヨブは、
ヨブ「神は全てを与え、全てを奪われる。神よ、あなたを崇めます」
と、信仰を捧げております。
地「ここで、2つの謎があります。ひとつは、子供は死んだけど、かみさんが死んだ、とは書いていない。かみさんは生きているはずなのに、ヨブと一緒に悲しんだり祈ったりはしていない。もうひとつ、財産を全て失ったはずなのにヨブの家は無事です。なんでやねん。この2つの謎は、この落語で明らかになります。」
さて、再び神の国でございます。例のとおり、サタンがやってまいります。
神「ほーれ、サタン、ヨブの信仰は変わらぬであろうが。そなたの負けじゃ」
サタン「へ、へ、へ、なんのこれしきとヨブは思うてまっしゃろな。そら、あんたは家内安全、商売繁盛の神さんと違いますから、財産や家族をとられたぐらいでは、クリスチャンの中には立ち直れる人間もいますわいな。けどヨブの体に大きな苦しみをあたえてみなはれ。いやんなったーなにもかもー、って気が狂って、なんとかしてくれ神様仏様、って、邪教に走ってこの世で唯一の神様、あんたをうらみまっせ。今度こそ賭けましょか」
神「こーれ、サタン、悪乗りしてはいかん。身の苦しみが増せば、ヨブの信仰はより一層強くなるであろう。まあ、そなたの好きにしてみろ。だが、ヨブの命に手を出してはいかぬぞ」
サタン「へ、へ、へ、まかしときなはれ。そのかわり、私が勝ったら、神さんの身分を交代させてもらいまっせ。ラファエル、ミカエル、ガブリエル、きみらもワシの部下として堕天使になるんやからな。ざまあみろ、へ、へ、へ」
と、サタンは高笑いして地上に降りてまいります。
サタンがヨブに呪いをかけますといういと、ヨブの体中、いたるところに腫れ物ができます。ヨブは「痛い痛い、かゆいかゆい、苦しい、苦しい。神よ、なぜ私にこのような大きな苦しみを与えるのですか」
灰をかぶって、瓦で体中をかきむしって、それでも祈っております。
そこへ、ヨブのかみさんがやってまいります。
かみさん「まあ、あんた、どないしたん。えらいことやんか。とても見てられんわ。ひょっとして、あんた、大きな罪でもおかしたんやないかいな」
ヨブ「あほなこというな。ワシは神様を信じてるんやぞ。罪なんか、ひとつもおかすかい」
かみさん「そんでもあんた、この前、サマリア人の女の人が井戸に水汲みにきて、あんたに色目使うてたやないかいな。あんた、何かせえへんかったんか」
ヨブ「何を言うてんねや。あの女の人は、わけありの人で、つらい人生でいつも心が乾いてるねん。だから、その水を飲んでも渇きはとまらへん、私の内なる水を飲めば、あなたの心の泉から絶えず水が湧き出るであろう、といって、水を与えたんや」
かみさん「そら何をすんねや。あんたの内なる水、って、かんぺきな不倫やんか、姦淫やんか、キー、あんたなんか神さんに呪われて死んでしまえー、キーガリガリ」
地「違うがな、勘違いするな、信仰の話やがな、キー、絶対許さへん、嘘つき、嘘つき、エロ親父ガリガリ、死んでしまえ…と、ヨブをひっかきまわす大喧嘩になりまして。…ここでヨブ記のひとつ目の謎、かみさんが生きてた、という謎が解けたんですな。つまりかみさんはクリスチャンやなかった。だからサタンが殺す必要がなかった。というか、サタンがかみさんをあえて生かしておいて、とりついて、ヨブを苦しめたのかもしれませんな。大騒ぎを聞きつけた隣の清八がやってきます」
清「まーまー、ヨブ、お時さん、何をしてんねや。夫婦喧嘩するやなんて、珍しいやないかいな。それにしてもヨブ、えらい体やながな。はれもんやがな。お時さんもやめときいな。病人のヨブをひっかきまわしたらあかんがな」
かみさん「そんでも清やん、この人、サマリア人の女の人にそそのかされて、この人の内なる水を与えたんやて。いやらしい。立派な不倫やんか。キーガリガリ」
清「まあまあ、お時さん、おちつき。ヨブが姦淫の罪おかすわけないやないか。ヨブに限って罪はないって。ちょっと買い物でもしてきいな(かみさんを見送って)そやけど、ヨブ、えらいことになったなあ。お時さんが大罪をおかしたんと違うかと、疑うのもしかたがないな。痛いやろなあ」
ヨブ「ヒーヒー、神様、私は何の罪も犯してないのに、ヒーヒー、なんでこんな、ヒーヒー、死ぬ以上の苦しみを与えられなあかんのでしょうか。俺の生まれた日を消してください。生まれへんかったことにしてください」
清「ヨブ、苦しいやろ、つらいやろ。けど、人間には源罪というものがある。誰でも罪をっ背負うて生きているんや。お前も罪を告白したほうが楽になるんとちゃうか。…ま、お時さんもおらんようになったしな、誰も聞いてない…俺にこっそり告白しいな。内なる水、ってなんや?あれか?どこから飲ませた?どうやって飲ませた?教えてえな」
ヨブ「ヒーヒー、アホか。俺が罪を犯すことがない正しい人間やということを、ヒーヒー、お前はよう知ってるやないかい。ヒーヒー、罪をおかしてないのに。ヒーヒー、えらい目に会うてるというのがわからんのか」
清「…そうか。大罪も大罪、友達の俺にも言えんというわけやな。わかった。お前はもう友達やない。見捨てるからな。地獄でもどこでも行ってしまえ」
ヨブ「ヒーヒー、お前まで俺を疑うのか。ヒーヒー、内なる水でいやらしい想像する、お前こそ不信仰な奴や。神に裁いてもらえ。俺以上の苦しみを受けろ」
清「何をー」
地「…と大きな声で2人がもめてますというと、玄関にやってきましたんがこの長屋の大家さん。これね、ヨブ記の2つ目の謎、なんでヨブの家が無事やったか、という謎の答えなんです。実はヨブは長屋に住んでたんです。でも家は持ち家ではなく大家さんのもんやったから、サタンが壊す対象にはならなかったというだけです。旧約聖書の時代のイスラエルに、長屋があったかどうかは知りませんけどね。まあ、どーでもええけど、大家さんが入ってきたんですわ」
大家「これこれ、何を大騒ぎしているのじゃ。長屋中に響いているがな」
清「大家さん、こいつね、サマリア人の女と間違い犯して、自分の内なる水を飲ませた、ちうんで、お時さんと大喧嘩してましてね。お時さんをなだめて追い出して、友達同士やから罪を告白したらええ、ちゅうのに、なかなか強情で口割りまへん。そのうえ、俺を罪人扱いしまんねん。どうにかしてください」
大家「うーむ、ヨブ、それは体中腫れ物だらけやないかいな。えらいこっちゃな」
ヨブ「ヒーヒー、神様、今、どうぞわたしを見てください、ヒーヒー、わたしはあなたの顔に向かって偽りません」
大家「ヨブは誠に信仰の厚い人として国中でも有名じゃからな。こんな大きな災いは何かの間違い、あるいは神の計画じであろう。これ、清八、病人を苦しめるでない。友達ならそっと、遠くから見守って、ヨブのために祈ってあげなさい」
地「清八は、それならヨブをよろしくお願いします、と、その場を去っていきます」
大家「ヨブ、大家として苦しむ店子を見るのはしのびがたい。どんな人間でも罪はあるものじゃ。清八にも言えない罪とは何じゃ。きっと大変な罪であろうな。大家のワシなら、聞いてやっても、よいぞ。内なる水とはなにか、サマリア人の女はどうであったのか」
ヨブ「ヒーヒー、何で大家さんまでそんなこと言うんですか、ヒーヒー、私、罪なこと何にもしてませんがな」
大家「何を、大家といえば親子も同然。その大家にも言えない罪を犯したというのか。お前はワシを信頼できないというのか。そしてワシは、大罪をおかした店子に家を貸さなければならないのか。せっかく情けをかけてやってるのに。これは賃貸借契約における信頼関係の破壊に相当するぞ。この長屋を出て行け、賃貸借契約の解除を裁判所に訴えてやる」
地「というわけで、痛みに苦しむヨブを、ポンテオピラト総督の前に突き出します。ほんま、わけわからん話になってきました」
ポ「一同のもの、表を上げい。ヨブ、そのほうはたいそう苦しんでおるでではないか。誠に見るに耐えぬ。これ、家主アパマン、訴状によると、このヨブが大罪を犯し、罪を告白しないがゆえに、信頼関係の破壊と称して賃貸借契約の解除を申し出るというのか。そのほうこそ、不法建築の罪で、マスコミを騒がせているではないか。それこそ神が裁かれるであろう。人の罪は、本来、神のみが裁くもの。人が人を裁くような訴えは、権利の濫用として却下する。みなのもの、下がれ。…これ、待て、ヨブ。少しは安心したか。そんな病で家を追い出すような大家を、わしは許さん。ハッ、ハッ、ハッこれぞ、大岡裁きという名判決じゃろ。ゆっくり休むがよいぞ…でじゃ、さぞそなたの犯した罪とは、さぞかし大きかったのであろうな。訴状の証拠となる参考資料には、サマリア人の女に、自らの内なる水を飲ませた罪を告白しないゆえに、女房と争い、隣家の住人と争い、大家と争ったとある。はたして内なる水とは何か。サマリア人の女とは何をしたのか」
ヨブ「ヒーヒー、申し上げます。私は一切罪を犯しておりません。ヒーヒーその証拠に神様をこちらへつれてきて、証言してもらってください」
ポ「何を言う。神様が証言台に立つことができるわけがないであろう。信仰の深い貴様が、知っていながらそんなことを言うのか。ここで大罪を吐いてしまえ。女房が聞きたがり、隣家の男が聞きたがり、家主までが聞きたがったサマリア人の女とはどうじゃったのか」
ヨブ「ヒーヒー、何もしてません、罪をおかしていません」」
ポ「この期に及んで、まだシラをきるのか、貴様は十字架に貼り付け獄門じゃ」
ヨブ「ヒーヒー、神よ、私は全人類の罪を背負い十字架にかかりますので私の苦しみ、全ての人の苦しみを取り去ってください。そして全人類を罪から逃れさせてください、ヒー」
かみさん「ちょっとあんた、あんた、えらいうなされて、あんたが悪夢を見るやなんて珍しいやないの。それはそうと、朝早うから、昨日井戸に来てはったサマリア人の女の人があんたにお礼が言いたい、って玄関に来てはんねんで、サマリア人の男の人も、あんたに一目会いたい、ってぎょうさんきてはるで。あんた、いったいどんなええことしたん」(了)