表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

歴史とDNA

中国人と日本人

作者: とびうお君

 以前から良く扱っていた中国人と日本人の決定的な違いがHLAハプロにあると言う話で。これはY染色体O2では分からない部分になる。この正体が見えてきた。なんとピグミー族の遺伝子を受け継いでいる。は?となるだろう。うーん、これは難しい。アフリカから共通して受け継いだものか?または本当にピグミー族特有の物なのか?


 実はこれ後者の可能性がある。全くミステリーとしか言えないが、何故かアフリカ系Bがイランに出る。この辺り近年のアフリカ系住民の移住も絡んでいてややこしいのと、過去アラブ商人による奴隷貿易によって世界中の民族が集められたのもある。当然黒人奴隷もその中に含まれる。アジアンもシベリア辺りのモンゴロイドの遊牧民がちょくちょく奴隷になっている。


 だがそれは違うと断言できる。理由は、この遺伝子先史時代のものだと分かるから。今イランに残るB系は何時来たのか?これはとても難しい。それは特定が出来ない。ただB系がイランで出るのは確か。ちなみにシュメール人は肌が黒かったらしい。でもその黒さの濃さが問題で、当時は褐色の肌が多かった、後に混血で薄まったのが大きいが、あのあたりは褐色の人達がごろごろ居たらしい。


 たまたま祖先からピグミーから受け継いだものの可能性も高い。それと言うのも人類出アフリカで有名なアフリカの角に繋がる川がピグミー族の居住地にそれなりに近いから。分岐後に東西に分かれた可能性も高く、イランのBをそのまま信じる必要は無い。だが大事なのは、それだけルーツの古い遺伝子が中国人に入っている。


 そしてこのグループこそがザクロス農耕集団になる。実はこれに欧州と同じアナトリア農業集団もHLAでは繋がっている。この両者を足した混血の民族が中央アジア全体に遺伝子として影響を与えている。これらの民族がO2(特にM134)が西方に居た頃に入ってきて混血したのがシナチベット語族になる。


 実は、これらは印欧語族にも繋がっている。だがおそらく印欧語族からこれを受け継いだわけじゃない。何故なら印欧語族はこれらの遺伝子が薄い。これらは中央アジアに濃く、所謂クルガン仮説が唱えられる東欧ロシア西方付近のステップ集団とは欧州人独特のものが強くなる。そちらのつながりが中国人とは薄いため、1つ前の中央アジア遺伝子で見るべきとなる。


 他にもある、奇妙だが、イタリアとスペインだけで強く出る。ここも変で、これを調べていくと、アナトリア農耕民は地中海沿いに欧州に入っていた研究があり、そこから東欧の内陸ルートで入ってきた東欧牧畜民は海岸部で薄くなるように広がって行ったからになる。特にイタリアのサルディーニャ地方はアナトリア農耕民の遺伝子がかなり強く出て、ここが中国人と似たようにHLAハプロが強く出る。


 トップ10で並べると、この地方と中国人が両者とも入っていく。これで東欧牧畜集団=トカラ語族やスキタイの影響じゃないと分かる。ただし、スキタイもトカラ語族もこの中央アジアに広く分布する西アジア農耕民の混血した子孫でもあるため、西方のO2系中国人は2重にこの遺伝子を受け継いでいる。


 これらの集団が中原に入ったが、弥生時代に遼河付近の弥生人には影響を与えなかったと見ている。その後満州人にもこの遺伝子が広く浸透するため、時代が早すぎたせいだと見ている。


 後日本に影響を与えたハルハ族と言う集団は、モンゴル多数派であるが、元はモンゴル高原の住民ではない。そこから西域の遺伝子との混血が弥生時代にはまだ無かったためだと思われる。ハルハ族はハルハ川から取られていて、モンゴル高原と満州の境あたりに位置してかなりツングースよりの位置にいたためだと思われる。


 以前コーカソイドの影響では無いか?と見ていたが、どうやら、そうではないらしい。もっと古い西アジア農耕民の遺伝子のせいだと思われる。


 さて他にも傍証がある。ルートは不明だが、以前から書いてる羊の遺伝子は西アジアが一元的な起源であるって話しになる。そことこれを繋げると、ちょうど答えが自然と出てくる。そもそもこの人達東欧集団に牧畜を伝えた農耕民になる。通常農業の衰退から牧畜から遊牧に移行する。だがこの集団はどっちもやる。


 定住牧畜をそのまま伝えるケースもあれば、遊牧によって伝えるケースもある。それは何故か?と言うと、通常は農地が寒冷乾燥によって使えなくなるため遊牧に移行する。中国ではそのケースで、5000年前ごろに遊牧民が誕生している。だが最初から農耕に向いてないステップ草原に踏み入った人達が居て、彼らによっておそらく、羊は運ばれた可能性がある。


 どのルートか?が難しいが、青海省のチベット族の飼ってる羊はモンゴル羊の一部だと見なされている。モンゴルの羊の遺伝子の方が多様性が高く、おそらくこちらが起源で、その一部が流れてきたと思われる。そうなると、中央アジアからモンゴル草原を経て、羊が中国で広がったと想定できる。


 西域に住んでいたO2集団が、西アジア農耕民と混血して、遼河西辺りの地域から牧畜を中国全土に広げる。これらがさらに、東南下によって、中原に広がっていく。こういった西域O2集団が中国人最大の集団となっていく。これがおそらく中国人と日本人が決定的に違う遺伝子の部分だと私は見ている。


 これらは、O2と言うY染色体だけで見ているとまず分からない。日本人にも20%近くO2は入っている。だがそれは時代?地域?分からないが、中国人の中核をなした集団とはずれて東北地方に広がったものだと思われるのと、後はそもそも西域集団ではなく、海岸部で独立したO2集団があった可能性も高い。


 こういった集団が日本のO2の中核をなしている可能性も高い。ちなみに韓国人は西域中国人の遺伝子を受け継いでるため、この遺伝子がそれなりに出てくる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ