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第八話 三歳から始まる魔術入門。暗礁篇


「だーーーーーー!!!!!!!! 勝てねえええええええ!!!!!!!!」


 もう何回目の無限ループかは分からないが、カーバンクルから毎日恒例のヘッドバットを喰らって、流血しながらぶっ倒れた俺は、叫び声をあげながら森の中であおむけになって寝っ転がった。


 一体全体何が悪いってんだ。なぜに俺は頭に宝石がついただけのモモンガ相手にして、頭突きを食らって死にかけるんだ。


 助けてください! 助けてください!!! げっ歯類に勝てないんです!!!


 ……言っていてあほらしいな。けど、マジでどうしたらいいんだろう?


 毎日千回素振りをして、走り込みを毎日続けているけど、強くなった気はしない。


 家中にある蔵書をどれだけ読み込んでも、武術に関して書かれてるものは一切ないし、魔術と法術にはめちゃくちゃ詳しくなったけど、武術には関係ないもの



 …………一度、考えを改めてみる必要があるかもしれない。


 俺は魔術や法術が使えないからと言って、武術を我武者羅に頑張ったけど、指導者もいない。一匹も獲物をとれていない。さらには、それを学ぶ本もない状況では、どうやったって我流の域を出ない。

 そもそも本当に俺自身が上達しているのか、俺が一番理解できない。


 この状況では、これ以上武術を鍛え上げるのは無理があると思う。


 なら逆に、俺でも使える魔術や法術を探してみるべきではないだろうか? 


 あるいは、既存の魔術を俺でも使えるように改造するとか。


 幸いなことに、両親二人は魔術師で、家に大量に魔術書の類がある。そして俺は字の読み書きを覚え、無限に時間がある。


 魔術の研究にこれほど適した状況はない。これを利用しない手はないだろう。


 ……単なる閃きでしかないが、割と悪い考えではないように思う。体力自体はついているし、少しずつだが俺の剣もカーバンクルの動きについてきているようになっているんじゃないかと思うから、我流の剣術訓練自体は続けるけど、こういう方向で魔術を研究することはありだ。


 そうと決まったら、早速やるか。


 新・魔術研究。




 ☆★☆★☆★☆★




 俺は、魔術の研究をするべく、再び家の中に在る魔術書を一から読み返した。


 魔術について詳しく書かれた魔術書を読み解くと、改めてわかることが多いな。


 そもそも、魔術というのは三つの魔術からなるというのは、前にも調べた。


 詠唱魔術・刻印魔術・召喚魔術の三つだ。


 詠唱魔術は呪文を詠唱することで発動する魔術であり、刻印魔術は魔法文字と呼ばれる特殊な文字を使用することで発動する魔術であり、召喚魔術は魔術を使える生物を呼び出すことで発動する魔術だ。


 刻印魔術に使われる文字は、大きく分けて二つに分かれる。

 易字と呼ばれる漢字に似た文字の原型になった『ぼく』と、まほろばの民の時代から伝わる『カムナ文字』の二種類だ。


 この二つの文字は、書くだけで様々な現象を引き起こすことができ、更にはこの文字を使用して魔法陣を書くことで強力な魔術を使用することができる。


 この魔術の最大の長所として、書くだけで良いので、ある程度の文字を覚えれば新米魔術士であっても大魔法を使用することができる。


 しかし、それ故に繊細な制御が難しく、暴発しやすいという欠点を抱えており、この刻印魔術を使用することのできる人間は限られている。


 また、この刻印魔術は魔導具製作との親和性が非常に高いために、鍛冶師や大工などの技術者の中には、この刻印魔術を独自に修得した集団が存在し、彼らによって魔剣や妖刀などの強力な魔導具や武器が製作されている。


 …………こういう風に書かれると、刻印魔術というのは魔法文字さえ書ければ誰でも使用できる様な書かれ方だが、実際の所俺にはこの魔術を使用することができなかった。これは一体どう言う事なんだろう?


 実際、魔術の才能がないと判った後にもう一度挑戦して結局失敗したんだから、間違いない。


 別に才能無いから使えない。と言われれば、それはその通りなのだが、そもそもこの魔術の研究自体が、魔術の才能の無い俺がどうやったら魔術を使えるようになるかが出発点である以上、其の結論で終るわけにはいかない。


 ふとそこまで考えて気付いた。


 そもそも、刻印魔術云々(うんぬん)以前に、俺が魔術を使用できない理由は俺に魔力が無いからだ。


 であるのならば、俺が刻印魔術を使えない理由も、俺に魔力が無いからだ。という結論に至る。


 ならば逆に、他所に存在する魔力を持ってきて刻印魔術を使用するときにその魔力を使う様にすれば、俺も魔術が使えるようになるのではないだろうか?


 この仮説が正しければ、俺が魔術を使う為には、刻印魔術はどの段階で魔力を消費するのかを調べる必要があるな。

 どの段階で魔力が消費されるのかが分かれば、どの段階で外部に存在する魔力を使用すればいいのかが分かる。


 ただ、これは一朝一夕で出来る事じゃない。試行錯誤の実験データが必要になるな。取りあえず、この思い付きは今のところは保留にしておこう。何も今日一日だけで全てを変える必要はないしな。


 さて、次に詠唱魔術。 


 俺が詠唱魔術を使えない最大の問題は、矢張り単純に魔力が無いことが理由となる。


 魔術の中でも、特に詠唱魔術は術士本人の魔力を使うことが多く、基本的には魔力の寡多が魔術の威力を決める。

 数少ない例外として、治癒魔術の一部、肉体強化魔術の一部など、肉体や生命に作用する魔術は、この魔術を掛けられた人間の魔力も使用するために、必ずしも魔力の量だけが決めるわけではないが、矢張り魔力の多さで詠唱魔術の威力が決まると言っても過言では無い。


 治癒魔術などの肉体、生命系の魔術が使用者本人の魔力を使わないのは理由がある。


 肉体や生命にかかわる魔術を使う際には、術士本人の魔力ではなく、多くの場合が治癒魔術の対象者の魔力を使うからである。


 治癒魔術の場合、術士の魔力を通して対象者の魔力を使い、それにより治癒を行っているのである。



 此処までの研究で、俺は一度本を読む手を止めた。


 この事実には希望が持てるな。


 それは、魔術を使う際には、必ずしも術士本人の魔力を使う必要はない。と言う事。


 術士本人の魔力を使うのではなく、術士の魔力を通して術の対象者の魔力を使用すれば、魔術を使える。


 それこそ、俺が追い求めていた魔力が無くても魔術を使えるようになる技術の最大の手がかりではないか。


 そこで俺は、この日から治癒魔術について重点的に研究を重ねていくことになる。




 ★☆★☆★☆★☆




 まず第一に治癒魔術とは、治癒魔術の対象者の体力と共に魔力を消費し、術士によって魔力を操られる形で肉体を治療する魔術である。

 一応、対象者の魔力を使わずに治療を行う方法も無くはないが、その場合は術士と対象者とは別に、魔力を提供する第三者が必要になる。献血ならぬ献魔力だな。

 この、魔力を提供する第三者の事を、『形代かたしろ』という。


 ちなみに、対象者の体力と魔力を使わずに治癒を行うのは法術の分野となり、術士の側の魔力や体力が削られることになる。


 法術の治療と魔術の治療の最大の違いは此処にある。


 法術の治療の場合、対象者の魔力と体力を使用しない為に治療の成功率が高く、けがや病気がより完治しやすいという長所がある。

 しかし、その代わりに法術の術士の魔力と体力が削られる為に、乱発は出来ず、更には術士自身には治療によって死亡するリスクが存在する。


 一方、魔術の治療の場合、治療の対象者の魔力と体力を使用する為に治療の成功率が低く、完治まで時間がかかるという欠点がある。

 しかし、その代わりに術士は大勢の治療を行うことができるというメリットが存在する。


 この事実は、それそのものを見れば、単に魔術と法術の違いという形の様だが、その本質は違う。


 それは、『どちらも全く同じ過程で同じ結果を引き出している。』ということである。


 治癒魔術と法術の治療の共通点。


 それは、何者かが治療のための力を分け与えてくれている。という点にある。


 上記の例でいえば『形代』だ。


 何者かが魔力を分け与えてくれることで、治癒の術というのは発生する。 


 法術における『形代』とは術士本人であり、魔術における『形代』とは第三者、もしくは治療の対象者である。

 

 この事実を利用すれば、魔術を使用することが可能になる。

 

 つまりは、魔力を持つ俺以外の何者かの魔力を使って、俺が魔術を行使するのだ。


 いわゆる、『自分に魔力が無いなら、他の人間から奪えば良いのよ』理論である。


 うん。行ける。この方向で魔術を研究して行けば、或いは俺も魔術が使えるようになるかもしれない。


 目に見える問題点が幾つもあるが、これからの俺の方向性が見えたな。


 と、そこまで考えて俺は閃いた。

 

 これって、治癒魔術と召喚魔術を組み合わせれば、俺にも魔術が使えるんじゃね?


 治癒魔術というのは、他人の魔力を使って魔術を起こす現象であり、召喚魔術とは魔力を操る生き物を呼び出して魔術を操る魔術だ。


 と、言うことは、召喚魔術を駆使して魔力を操る生き物を呼び出し、そいつの魔力を利用して魔術を使うことができれば、俺にも魔術を操る可能性がある。


 あくまでも閃きに過ぎないが、これを仮称『代理魔術』として、研究するか。


 こうして改めて学んでみると、俺にも魔術が使える可能性が見えてきたな。勉強って偉大だな。小学生の頃にこのことに気づいていたら、もう少しましな人生を送れていたかもな。


 



☆★☆★☆★☆★




 三分後に『代理魔術』の研究は壁にぶち当たった。


 それは召喚魔術の仕組みにあった。


 召喚魔術というのは、名前の通りに魔力を持った存在を召喚する魔術のことを表すが、この召喚魔術とは一種の契約であり、ある程度の魔力を与えることで、その魔力量に応じた魔獣や魔物を使役することができる魔術というものである。


 そしてこの際、魔獣を召喚するときには、魔術士本人の魔力自体は使用することがない。


 但し。


 肝心の、この契約。


 これ自体も魔術の一種であるらしく、魔力を使用しなければ魔獣の召喚はおろか、呼び出す魔獣すらも選ぶことができないとされている。


 つまり、魔力の無い俺ではそもそも操ることができない。


 だが同時に、希望もある。


 そもそも、召喚魔術という魔術は、本質的には使役する魔獣に魔術を使ってもらう魔術であって、必ずしも魔物や魔獣を召喚する必要がない。

 その為、中には『魔獣と契約』して『別の場所に召喚する』という二重の手順を踏むのではなく、最初から使役する魔獣を飼いならして、直接的に戦闘やその他の問題に対処するという手法を取る場合も多い。


 その場合、召喚魔術は『従魔術』と呼ばれ、魔術ではなく魔術とは別の技術として扱われる。

 『従魔術』の長所としては、魔術とは違い魔力を使うことなく魔獣を使役することであるが、問題は従魔となる魔獣を従える方法が、今のところ戦闘で直接勝利するしかない。と言う事である。


 魔獣というのは基本的に強者に従う性質を持ち、力の差を思い知らされることによってしか人間には懐かないとされ、魔獣よりも比較的に大人しいとされる魔物でさえもその性質は変わらない。

 当然、魔獣に力の差を思い知らせようとすれば戦闘に陥るしかなく、魔獣と戦う以上は、魔術などを駆使して戦うのがセオリーである。


 結局のところ、魔術も武術も使えない俺では、『代理魔術』を使用する以前の問題という訳である。



 マジで手詰まりだ。


 ………………どうしよう。



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