第二章 第七話 史上最強のジジイ、無双
「二人がかりで俺にかかってきな。俺がてめえら二人をまとめて倒してやるよ」
いきなりそんなことを言い始めたジジイに、俺は純粋にバカを見るような目をした。
「いや馬鹿なの?死にたいのかよ?」
「あ、ヒデー。今、お前は俺が勝てないと思ってんだろー?いけないんだぞー、そう言う決めつけは?」
口を尖らしながら俺の態度にブー垂れるジジイにだったが、俺は寧ろジジイが戦うイメージの方が湧かなかった。
三本の刀を使う戦闘スタイルもだが、それ以上の何か。戦いに対する気魄と言うか覇気と言うか、そう言う、戦う時に独特の纏うべき空気とでもいうものを纏っておらず、へらへらと笑っているその姿があまりにも自然体すぎたからだ。
それは正直、親父達を舐めているとか次元では無く、そもそも相手を眼中にいれていない様な態度であり、仮にも凶賊として名を馳せた悪党を相手にする戦士のそれではなかった。
「あ?」
「舐めてんの?」
それは俺の眼から見ただけの意見ではなく、俺の両親にとっても完全にそうであったらしく、二人のジジイに対する視線はその瞬間に絶対零度の敵意になって渦巻いた。
だがジジイは、そんなお袋の言葉を聞いても特に頓着することもなく、わざとらしく惚けただけだった。
「え?舐めさせてくれんの?俺は美人の体は舐めまわしたい男だからよ、褥を用意してくれるんだったらいつでも舐めるぞ?でもなあ、いくら山賊崩れの娘さんだからって、夫の前で男を誘うようなことを言うのはどうかと思うなあ」
「そう言う意味で言ってんじゃねぇよ!!!」
いや、その場を弁えない下ネタはどうなの?流石に引くわ。ってか、子供の前でその母親相手にそのネタは人間としてどうよ?
「あれ?何だか今、小僧に人として見下されている気がくる?何故だ?」
「……そこで分かってるのに理由を察せないとか、ますますゴミだな」
「しんらつー!とても子供とは思えない!」
思わず口をついて出た俺の本音を聞いてジジイは心底ショックを受けたようだが、そんなジジイを俺はますます冷めた視線で見てしまう。
と。
「いい加減、鬱陶しいよ……。お前ら」
俺達の漫才じみたやりとりに流石にキレたのか、俺の親父が煮えたぎる怒りを押し殺した様に低い声で言った。
「……そこまで調子こいて死にたいなら、望み通りにしてやる。龍族最強の一撃をもって、生きたまま灰になれ」
瞬間、山の上に広がる雲が親父の言葉と共に渦を巻く様に空で蠢き、湿気と熱気を帯びた空気が周囲に充満して、雲気と空気は嵐になって初夏の山を覆いつくした。
ヤベえ。マジだ。本気で俺ごとこのジジイを殺す気だ。俺は親父が巻き起こし出した嵐の中で、ワン太達の三匹に囲まれながらがちがちに震えてその場に突っ立っていると、そんな俺の頭にジジイは手を置き、優しく撫でながら今までのふざけた態度が嘘の様に穏やかな声をかけた。
「小僧、大丈夫だ安心しろ。俺の傍を離れないだけでいい。魔獣ども、お前等も離れるな」
ジジイが俺の頭に手を置きながらワン太、ニャン太、リュー太の三匹にそう言った瞬間だった。
「八雲の群れなす東の空、焔を服ろう西の国。精霊流して南に集い、北の山路の風を食う。我の言にて現れいでよ《雷霆》」
何処と無く風雅な言葉遣いで親父がそう詠唱を終えると共に、一条の雷が爆音を炸裂させて休庵のジジイと俺達に向かって同時に襲い掛かった。
筈だった。
「んー。三十二点」
だが、そんな雷の直撃に対して、ジジイは左手を上空に掲げただけであっさりと防いでいた。
その瞬間を言葉にするのは難しいが、一言で言えばジジイが左手を上空に掲げた瞬間、まるで目に見えないドームの様な透明な壁がジジイを中心に俺とワン太達三匹を覆ったように見えた。
「雷って割には、威力が足りない。威圧が足りない。威風が足りない。もう少し、見ただけで腹に籠るような殺意を込めてから撃つんだな」
そうして、左手一本で雷を受けたジジイは、まるで堪えた様子も無くケロリとした調子で自分を撃った雷に対する品評を行って見せただけだった。
驚愕に目を見開きその場に思わず固まった親父だったが、親父の呼び出した雷があっさりと防がれたのを見て、或いはそれ以前にそもそも親父の魔術ではジジイに一撃入れるのには足りないとみていたのか、親父の雷撃が防がれるのとほぼ同時にお袋がジジイの前に出てきた。
「炎の神よ!綺麗な衣の天の娘よ!私は貴方に願い給う、貴方の力を以て私の敵を討ち給え!《神威招来》」
そうして御袋の言葉が終る同時に、今度は御袋の背後から巨大な炎で出来た鳥が現れ出ると、骨をも融かす灼熱の塊となって、ジジイと俺に向かって突撃する。
「おおー。凄いな。此処まで見事な花火は見たことねえ。おう、小僧。お前の母ちゃんに言ってやりなあ。こんな山奥に引っ込んでないで都の花火師にでもなりなよ。ってな。きっと引く手数多だぜ」
だが、ジジイはそれさえも避けることなく、ただ単に左手を振ってその炎の鳥を振り払いながら、俺に向かって呵々と笑いながら呑気に言ってのけただけだった。
まるで虫を払う様に簡単に俺の両親二人の魔術と法術を防いで見せた休庵のジジイは、右手に握った錫杖で軽く肩を叩くと、ふふん。上機嫌に呟きながら一歩分だけ俺の前に踏み出した。
「さて、と。どうしたよ?さっきまでの威勢は?如何にも不可思議と言った風情だな。天下に名を馳せた凶賊とは思えねえ間抜け面を晒してるぜ?え?青柳の大蛇丸に、炎髪鬼の紅葉よ」
「……俺らの名前を知ってんのか?クソジジイが……ッ」
「……私らの名前を知って、こんなことをしてんのかよ?」
自分の名前を呼ばれたことに忌々しそうに舌打ちする両親に、ジジイは呆れたように肩を竦めた。
「何を今更。知ってたからこそ、俺はここに来てんだろうが。お前らの噂にゃロクなもんがなかったが、実際に会って話をしてみりゃ、噂以下だなこりゃ。人格、実力を問わずに小悪党と言うに相違なく、首を落される理由には事欠かねえ。唯一の予想外はてめえらの作った子種だけてっのは、人として悲しくならんのかね?」
「小悪党だと?」
「何だ?一端の姦雄でも気取っていたのか?それともあれか?賊の分際で遊侠にでもなったつもりでいたのか?片腹痛いわ」
ジジイの評価に親父が一瞬キレたが、そんな親父にジジイは不意に、今までとは雰囲気を全く変えた口調で両親を睨みつけた。
「業を重ねて徳と成し、徳を積むのを法という。魔道を行きて、魔導に至り、法と合わせて魔法という。つまりは、魔法とは人生だ。生きざまだ。魔法の強さとは、それ即ち人としての強さそのものだ。テメエらの魔法の強さが、テメエらの人としての器だ。今のやりとりだけでも、てめえらがどういう奴らか、十二分に分かろうというものだ」
ジジイはそこまで言って錫杖をじゃらりと鳴らすと、小さく嘲笑する。
「自分のガキがどうなろうとも頓着せず、敵に対しても力量技量を図りもせず、やってること暴言吐いて暴力ふるだけのチンピラ紛いの脅しだけ。テメエらは、軽いんだよ。全てにおいてな。凶賊なんてのにも落ちぶれるってのも、当たり前の話だなあ」
ジジイにしてみればそれは当然の評価であったろうし、俺からしてみればロクな思い出のないこの二人がこき下ろされる様を見ているのは、こう言っては何だが、まぁ何処か胸が空く様な話だった。
だが、恐らくその言葉は、二人にとっての何かしらの心の傷口だったのだろう。
「何も知らねぇ坊主が………」
「…………知った様な口を、……知ったような口を、叩いてんじゃねえぞオオオおおおお!!!」
親父である青柳の大蛇丸と炎髪鬼の紅葉は口を揃えてそう絶叫し、同時にその姿を異形に変え始める。
親父の両手の指や足先の指は鋭い爪と一体化し、腕や脚全体、更には顔から首筋にかけてを覆う様に鱗が生え、その腰からは鱗に覆われた爬虫類を思わせる太い尻尾が生えた。
お袋の姿はふた回りほど大きなものに変わり、紅蓮に輝く髪は赤々とした炎を纏いながらうねりだし、その肌は血の様に赤く染まりだした。
二人の瞳は金色に輝くと同時にその瞳孔は縦に開き、まるで獣の瞳を思わせる猛々しい形に変わる。
額から生える角と口元から覗く牙は禍々しい気配を漂わせながら伸びていく。
そうして二人の異形化が済むと、そこには半人半龍の姿をした親父と、全長五メートル程の大きさをした筋骨隆々とした鬼へと姿を変えたお袋がおり、今にも飛びかかりそうな程に息を荒げ、休庵のジジイと俺たちを睨みつけていた。
だが、そんな二人を前にしても、ジジイはただ小さく口笛を吹いて余裕の笑みを浮かべるだけだった。
「……此処まで見事な転変を見たのは初めてだな。流石に龍族と鬼族を同時に相手取ると、壮観だな。その様子だと、天化もできるのか?此処まで見事ならば、お目にかかって見てえものだな」
「随分と余裕じゃねえか……。龍族と鬼族を同時に相手取って、そこまでヘラヘラしてるとはよ。テメエ、いつまでその軽口を叩けるよ?」
「まあ、鬼の膂力も龍の剛力も今までに何度か味わって来たからな。今さら多少の変化で驚く余地はないわなあ。それに、それくらいしてくれる方が俺としては有難い」
大蛇丸からの脅しの言葉に対して、ジジイは器用に眉だけ動かして俺の両親を見下しながらそう言うと、顎を撫でながら錫杖を地面に突き刺した。
「そろそろ、この剣に血を吸わせてえと思っていたところだ」
そう言って、休庵のジジイは腰元に携えたふた振りの刀を抜き放った。




