第二話 ゼロ歳から始める座学入門。
全く。一体全体どういう事なんだろうな。
前世を振り返ってみても、あの生活に戻りたいと言えるほどに愛着があるわけではない。
だが別に、死にたいと思わない日が無かったでも無かったが、だからと言って生きてて良かった思った日だってあった。
ネットで見つけた動画や、お気に入りのゲームをしてるときは楽しかったし、昔からファンだった漫画は未だに最終回も見ていない。
正直、生き返らせてくれるんだったら、今から生き返らせてほしい位だ。
だがまあ、赤ん坊の身体になった現状、考えるべきはそこでは無い。
過去ではなく、今について考えよう。そして、未来について考えよう。
このままこの洞窟でじっと過ごしていたら、ほぼ確実に死ぬ。この二人のどちらか、もしくは両方に殴り殺される。
よしんば、そうはならなかったとしても、十年、二十年も一緒に暮らす気は無い。
俺がある程度歩けて走り回れるようになった年齢に達した段階で、この洞窟を出て行く。
そうだ。それが一番いい。というか、そうするしか道は無い。
息を吸う様に人を殺して、つまみ食いをするように強盗をするあたり、この二人は完全に悪党だろう。
それもかなりの。
将来的に人里に降りて素性を話してしまえば、待っているのは『人殺しの息子』というレッテルだけだ。
これがどれだけのハンデになるのかは、今のところ実際に体験していない俺では想像すらできないが、それでもそれがどれだけの重荷であるのかは理解できる。
それを隠すためには、出来るだけ早くこの二人から離れることだ。
できるだけ早くに、そして遠くに逃げ出して、天涯孤独の孤児を演じるのだ。
その為に必要なものは何だ?知識だ!この世界の知識、出来れば文字を読めるようにしたい。
読み書き計算さえできれば、ある程度はごまかしごまかし生活できるようになるはずだ。
そこで俺は、この世界の事を知るためにできるだけ情報を収集することにした
事情は不明だが、この洞窟を塒にしている俺の両親は、二人とも山賊やら盗賊やら脳筋全開の頭悪そうな事をやっている割にはかなりの読書家の様で、洞窟の奥深くには和綴じにされた本や大量の巻物が書物として、一緒くたに葛籠の中に押し込まれて、乱雑に保管されていた。
しかも、数少ない挿絵付きの本の内容を見る限りでは、小説やエロ本などの類では無く、図鑑や百科事典の様な専門書のような本が大半で、中にはかなり貴重そうな古文書や、甲骨文の様な古代遺跡の文献に近いものまで、その種類は多岐にわたる。
恐らくは、知識の習得や情報収集という観点から見れば、この環境に生まれた事は俺にとっては不幸中の幸い、地獄に仏の状況だ。
此処からできるだけ多くの知識と情報を収集して、早めにこの穴倉の中から出て行くのだ。
俺は堅い決心と共に、近くに合った巻物を拾い、その中身を読み出し始めた。
五分で挫折した。
※※※
はっきり言おう。この世界が異世界であることを忘れていた。
俺は洞窟の中に置かれた小物類が和装の類であったことと、二人が着ている衣服が和服であったことも手伝って、書かれている文字も日本語か何かだろうなー。と思ったが、思いっきり当てが外れた。
ぶっちゃけ、巻物に書かれている字が読めない。
巻物の中に書かれている文字は、まるで子供の落書きの様な複雑怪奇な図形をしており、文字というよりも画にしか見えない。
アルファベット位なら気合いで読みこもうと思っていたが、どうもこれは違う。
俺の人生計画は開始五分で暗礁に乗り上げることになった。
だが、此処で諦めたら俺の人生は終わりだ。
取りあえず、この山のようにある書物の中から少しでも読めそうな物を探すために、手当たり次第に当たりに放り捨てられた書物に手を付ける。
少なくとも、文字の形と法則性だけでも知って置けば、何かしら突破口があるかもしれない。
※※※
ダメだ。やばい、全く読めない。
丸々三日かけて文字の図形を見比べてみたところ幾つかの共通点があることから、部首が存在する漢字の様な文字らしいのだが、これが表音文字……すなわち、あ、とか、う、とかの発音をあらわす文字なのか、山や川の様に、文字単体で情報を伝える表意文字なのかもわからない。
勘弁してくれよ。生後一か月で漢字とか読めるわけねえじゃん。三十路間近の前世でも、読めない字何て山ほどあったのに、今から一から漢字の勉強とか頭痛がするぜ。
それも、俺の両親は俺に関心を持たないどころか、進んで喧嘩や無意味な暴力を振るう家庭内暴力家庭だぜ?
字を教えてくれとか言ったら、ぶっ殺されるに決まっている。まあ、まだ赤ん坊だし喋れないんだけど。
教えてくれる人もいないのに、どうやって勉強を進めたらいいんだよ。
※※※
しかしそれから一週間後、俺は巻物を片手に、とある閃きを手にすることになる。
取りあえず一文字書いてみたらいいんじゃねえの?
どこか二人の目につく所に何でもいいから一文字、落書きとして書き残す。
覚えのない落書きを見つければ、二人は咄嗟にその文字を声に出して読むはずだ。
そうすれば、俺は一文字分の字を覚えることができる筈だ。
正直、ドメスティック・ヴァイオレンスの溢れるこの家の中で、落書きしてるところを見つけられて殴られようものならば、赤ん坊という弱すぎる体の俺は確実に死ぬだろう。
だが、此処で諦めて泣き寝入りを決めたら、待っているのは生き地獄。
進めば死地で、引けば地獄。どっちを取っても碌なもんじゃないが、やらないよりはやる方がマシだ。
ダメで元々、成功すれば儲けもの。
とりあえず、目についた字を墨と筆を使って適当な床の上に落書きする。
この世界に生まれて初めて書く字だから、書き順とかもわかんねえし、何より、生まれて三か月程度の赤ん坊の身体では、筆を操る事さえ難しかったが、それでもギリギリヘタクソな落書きレベルの文字を書くことができた。
するとその途端に、丁度家に帰って来た親父がその字を読んで怪訝な顔をした。
「何だあ?手って何のことだ?おい!これはどういうつもりだ炎髪の」
「知るかよ、そこのガキがイタズラでもしたんだろ?んなモン、俺が一々見ているわけねえだろ!」
俺の落書きを見た親父と御袋の二人は、そうして毎度恒例となった犬も食わない夫婦喧嘩をおっぱじめ、俺はそれを横目にして、ほっと胸をなでおろした。
とりあえず、落書きしやがってこのクソガキめ!ぶっ殺してやる!という流れにならなかったのは、助かった。
おまけに本来の目的である字の習得もできた。一石二鳥だね。イヤ、そもそもの話し、字を覚えるのに死を覚悟する事なんてねーよ!あぶねえあぶねえ、今の生活に染まりすぎていたぜ。
ともかく。あれは一文字で『手』を表す文字だったのか。
やったね俺。一歩前進だ。
※※※※※
それから三か月後。
俺の作戦は成功した。
あれから、最初に『手』の文字を覚えたのと同様に一日一字ずつ修得していき、ギリギリ何とかこの洞窟に存在する本の文字を読めるようになってきた。
どうやら、この世界、特に俺が生まれた地域は『日子国』と呼ばれる地域らしく、詳細は不明だがどうも島国のようである。
この国で使われている文字は大きく分けて三種類。
漢字に当たる『易字』と、易字を少し崩して読みやすくした『日子文字』、そして神の文字である『カムナ文字』の二つからなるらしい。
元々、『日子国』に伝わる正式な文字というのは、『カムナ文字』の方であるらしいのだが、これは神々が使用する神代の文字であるとされ、一般人には公開されず、現在は神社や寺院などで使用されるに至っている。
一般的にはこの文字は存在しているだけの文字であるとされ、使用されることはほぼないので、文字については知らなくても問題ない。
重要なのは、残り二つの方の文字だ。
『日子文字』の方は日本で言う所のカナ文字に当たるが、ひらがなたとカタカナの区別は無く、全てが統一されている。
これは日本の歴史とは文字の成り立ちが違うからだろうと、考えられる。
元々、仮名文字とは、漢字を崩して読みやすく使いやすくしたものであり、ひらがなは宮中に務める女性が作成・使用したことから女文字と呼ばれ、カタカナは役人などの男が作成・使用したことから男文字と呼ばれる。
これと同様に、『易字』は日子国の近くに存在する大陸である『星華大陸』から伝来してきた文字であるらしく、漢字同様に幾つかの部首を組み合わせて意味や音を作る表意文字であるらしい。
とりあえず、『日子文字』を読めるようになったことで大概の文を読めるようになったし、『易字』はある程度読めるようになったら、部首や他の易字を元に読み方が推測できるので、この洞窟に置かれている書物の大半は三か月の短期集中教育によって読み込むことができるようになった。
こうして俺は、巻物やら和綴じの本やらを一日中読み込みながら、乱暴な両親から隠れ暮らすようになり、
そして、三歳になった。