第一話 龍の父と鬼の母、子供棄つるべからず!
その日の出来事は全て偶然だったのだろうか?
その日は、偶々昨日の夜に目覚ましをかけ忘れた所為で寝坊してしまい。
その日は、偶々いつも使っている電子マネーを忘れたので、切符を購入した。
その日は、偶々切符を購入したせいでいつもならば間に合うはずの電車に乗り遅れてしまった。
その日は、偶々朝っぱらから酒を飲んでいる三人の男達が暴れるのを目撃してしまった。
その日は、偶々見た男達に目をつけられて管を巻かれながら絡まれてしまった。
そして、その日はその男達に因縁をつけられて、蛸殴りにされたまま電車の線路に突き落とされてしまった。
――――――――――――そして、そこに入って来た電車に俺は轢かれてしまった。
☆☆☆☆☆☆☆☆
大蛇丸が青柳の蛟と呼ばれ龍族最強の戦士と呼ばれたのは、何時頃だったろうか。
絶世の美男子と呼ばれる容貌に、才知煥発な頭脳。
魔力と聖気に満ち満ちたその魂魄は、魔術を使えば地形を変え、法術を使えば天候を変えた。
何より、一度龍へと変ずれば、空を覆い地を隠す巨体へと変わる。
強靭な鱗と猛々しい牙、鋭い爪に強固な角。
どれ一つとっても、日高国中の全ての戦士が尻尾を巻いて恐れおののくものであり、彼の一挙一動の全てが災害そのものであり、其の名は三千世界に轟いた。
紅葉が炎髪鬼と呼ばれ鬼族最強の戦士として名を馳せるようになったのは、何時頃だったろうか。
傾城の美貌を持ちながらにして、その性格は剛毅にして奔放。
絶大な魔力に満ちたその肉体は、ありとあらゆる魔術を極めており、彼女が望むだけで森が焼け山が砕けた。
何より、一度角を生やせば、魔力を帯びる全ての物が彼女の意に従った。
燃え盛る炎の様な赤い髪に、黄昏の空を思わせる様な黄金色の瞳。
どれ一つとっても、日高国中の全ての戦士が怯え震えて隠れるものであり、彼女の口にする一言一句が厄災そのものであり、其の名は三千世界に轟いた。
そんな彼等が引き合う様に出会ったのは、運命である以上に必然であったのだろう。
ダイダラボッチが創ったという日高一の霊峰、武仁山。
その麓の大森海が決戦の地であった。
天を割り、血を砕くようなそんな二人の戦いをまじかで見た者など、あろうはずもなく、その激闘の詳細を知るのは、二人のみである。
ただ結果だけを言えば。
大蛇丸が勝ち、紅葉は負けた。
そして、大蛇丸は紅葉を犯し、子を孕ませた。
★★★★★
一瞬でブラックアウトした意識が、次の瞬間には薄明るいぼんやりとした光に変わった。
目を開くと、視界には曇りガラスでできたコンタクトレンズを掛けられた様に靄がかった景色が広がり、身体は上手く動かず、ただ異常な熱が手足の指の先まで走っている。
周囲では荒らげる様な声が聞こえて来て、思わずその声のする方向に顔を向けるが、うすぼんやりとした視界ではその視線の先に何がいるのかは理解できず、ただ僅かに首を動かしてはっきりとしない視界を移動させることしかできない。
「―――⋯⋯‐‐⋯⋯」
「⋯⋯‐‐∸∸」
話の内容が理解できないのは、その言葉が日本語とは違う言語だからだろうか、それとも、耳の奥からなる耳鳴りの様な感覚が、聞き取りを邪魔してるからだろうか?
それは分からないが、取り合えず今分かっている事だけを張り合わせれば、それは俺がつい先程まではいつも使っている駅のホームに立っており、訳の分からんチンピラどもに突き落とされた事だけだ。
記憶のある限りでは、電車を避けた様な行動はとっていないから、俺はそのまま轢かれたのだと思うが、それでも意識があるということは、生きているのだろうか?何故?
いや、此処は単純に医療技術が進歩しているからと考えるべきだろう。
俺は電車に轢かれて瀕死の重傷を負ったが、奇跡的に助かった。そして、最新の科学技術で助けれたのだろう。
その割には、呼吸装置とか点滴とか付けられていないのは不思議だが、まそう言う治療法だろう。
昔は怪我したら消毒しろとか言ってたが、今は寧ろ洗うな的な知識が一般的なくらいだしな。これもそう言う治療だろう。
……そう思っていた時期が俺にもありました。
☆☆☆☆☆
俺が転生したと気づいてから一か月。
俺はまだまだか弱い赤ん坊の身体に必死に力を籠めて、部屋の中を動き回る。
最近、必死の運動と決死の努力が実って、どうにかこうにかハイハイできるだけの体力を手に入れた俺は、今現在俺の身体で出し得ることのできる全速力を駆使して、箪笥の影に隠れるように移動を続ける。
俺が今いる場所は、どうもどこかの洞窟の中に生活に必要な部屋を作り込んだ人工的な生活空間らしく、壁や天井はまんま洞窟の岩壁であり、まだ昼間である筈なのに、玄関の入り口から僅かに入る光以外に全く灯が無いんだよ。
だから、箪笥の影に移動するだけでも、色んな所にぶつかるぶつかる。もう本当にね。現在進行形で頭を打ち付けまくっているからね。
それに気づいた当初は、何でこんなとこに住んでんだよ。とか、誰がこんなところにわざわざ家を作ったんだよ。とか、色々と思ったが、たまたま出ることのできた洞窟の外で、まんまお寺のお坊さんが着ている袈裟を身にまとった骸骨を見つけてから、その辺の疑問は押し殺すことに決めた。
玄関の隙間から差し込む光から判断すると、太陽はそろそろ中天に差し掛かり、昼過ぎの様相を呈している筈である。
この時間帯になると、今世の俺の親である二人の男女が戻って来る。
俺はそれから隠れる為に、わざわざ箪笥の影を目指していきあたりばったりを繰り返しながら必死の思いで暗闇の中を這いまわる。
そうして、漸く目的の場所に辿り着いた頃、がたがたと立て付けの悪い音を立てながら、玄関の扉が開き、俺の両親となっていると思われる二人の男女が入って来た。
「クハハッ!!麓のバカどもも無駄なことが好きすぎるな。羽虫がどれだけ寄ってたかろうが、所詮は踏み殺されるだけが関の山だろうに。そんなに殺されたりないと見える」
そう言って、腰元に屈強そうな顔をした男の生首を二、三個ぶら下げているのは、今世の俺の親父である青柳の蛟という名前の男だ。
どうも盗賊を職業にしているらしく、言っていることは毛むくじゃらの大男の様なことなのに、その当人は銀髪に紫色の瞳をした、妖艶な容姿をした男だ。
眉目秀麗という言葉を形にしたような美形の男で、一見すれば少女とも見まがうほどの凄まじい美貌をしており、着流しの着物の上半身を肌けさせた、所謂もろ肌脱ぎにした格好で無ければ、女とでも勘違いしそうになる。
時おり、口元からは犬歯というよりも牙に近い鋭い歯を覗かせて大笑いするが、その恐ろしげな姿ですらもが、まるで悪の色気の様に人を惹きつける妖しげな美しさを放っていた。
「全くウザってえ……。いい加減、ゴミムシ如きが俺に敵うはずもねえってことに気付けよな。どこまで殺されれば気が済むのやら」
まるで男の様な口調で忌々し気に吐き捨てたのは、今世の俺の御袋になる炎髪鬼と呼ばれている女だ。
荒々しい口調とは裏腹に、その姿は『傾城』とでもいうほどの美貌を持った女である。
その姿は、炎を固めた様な鮮やかな赤髪を腰まで伸ばした蠱惑的な雰囲気の美女であり、血に濡れた様に赤く艶めく唇の間からは、青柳と呼ばれる男と同じく鋭い牙が時おり覗いている。
胸から腰つきまでの均整の取れたプロポーションと、白く長い色気のある手足が目を引く、何処かの彫像か美人画が生きて動いているようにしか見えない美人だ。
そんな美人だったが、彼女の特徴の中で一際目を引くのが、額から生えた二本の角と、宝石を並べても尚美しい輝きを放つ黄金色の瞳だろう。
まるで、宝石を材料に巨匠が作り上げた彫像の様な美男美女の二人であったが、その口調はまさしく悪党のそれであると共に、美学も何も持たないチンピラの粋がりのように聞こえた。
ま、そんなチンピラ相手に何もできない赤ん坊の状態の俺が言えたことでもないが。
そんなチンピラ男女の片割れである男の方は、女の言葉に対して、嘲りの笑みを浮かべながらまるで息をするように罵倒の言葉を吐きだした。
「まあ、お前みたいな女にやられる程度の知能しか持たねえ猿どもだ。猿以下の死に方をするのは当然だろーが」
「あ?テメエ。何をふざけたこと言ってやがんだ?死にてえのか?」
「はあ?あんな碌に魔力を持たねえようなゴミみたいなガキしか産めない女を、猿と呼んで何が悪い?」
「殺すぞテメえ……。あのガキがゴミなのは、テメエの種がクズだったからだろ?クズからゴミが生まれるのは当然の成り行きじゃねえか」
まるで呼吸をするようにお互いを煽おり合い、罵り合い、メンチを切りあう二人の様子は、正にヤンキーの喧嘩か、チンピラの因縁のつけ合いである。
そうして二人が口喧嘩をヒートアップさせていくのと同時に、洞窟内の空気が電気とも熱気とも冷気ともつかない何かで満たされ、ピリピリと物理的な音を立てて軋みを上げる。
というか、口喧嘩の材料に俺へのディスりを入れるのやめてほしい。地味に傷つくんですけど。
「粋がるのもいい加減にしとけよな、アマがッ!」
「テメエ……。今日こそ本気でしねえやあ!」
そして、二人の大喧嘩が始まった。
瞬間、洞窟の中には激烈な光が炸裂したかと思うと、炎熱と電光と氷塊が飛び散り、それと共に鮮血と鈍い音が洞窟内に充満する。
不思議なのは、それだけの大惨事が起こりながらも、洞窟の家具や床には一切の傷がつかない点であるが、そんなことはどうでもいい。
今は箪笥の影に隠れながら、この恐るべき人災を耐えるべくじっとしている事だ。
ヒャ―、凄い。雷が今目の前に落ちたよ。ていうか、親父さんが持って来た生首の半分がふっとんだ状態でこっちに転がって来たんだけど、どうすりゃいいの?
どうもこの二人、異世界ファンタジーの定番である魔術師らしく、二人して家にいる時は大概この状態である。つーか何でお前等一緒にいるの?そんなに嫌いなら離れりゃいいのに。とばっちりを喰らうこっちの身にもなってくれ。
ちなみに、お気づきの方もいるかもしれないが、俺はこの二人を『夫婦』と呼んでいない。
あくまでもチンピラ風の盗賊的な男女と呼んでいる。
一応、俺の額に角らしきものがあり、二人の会話からどうも俺はこの二人の間の子供だというのは分ったのだが、明らかに本気で殺し合っている二人の様子に、どうも、二人の事を夫婦と呼ぶことに違和感がある。
今のところ二人の実力は互角だが、やや親父である美男の方が優勢で、大体、勝率一割で、後は全部引き分け。
これがただの喧嘩だったらいいんだけど、負けた八つ当たりに寝ていた俺を放り投げるのは日常茶飯事で、下手に見つかるとどんな怒りが俺に向けられるのか分からないので、俺は存在感を消してそっと姿を隠す。
赤ん坊を放り投げる親とかどんな親だとか言いたいが、こんな物は序の口で、魔術の実験台にされて殺されかける。酒を飲んでは酔っぱらって狼の群れに叩き込まれる。飯食ってる姿がムカつくからって、天井から吊り下げる等々。
この一か月で何度死にかけたかわからない。
というか、基本的には母乳すら禄に与えられず、飯など用意されていないので、俺の飯は味噌汁の残り汁やおじやの余りをそっと食べるか、眠り込んだ母親の鬼のおっぱいに吸い付いて、起きないようにそっと母乳を啜るのが精いっぱいだ。
眠り込んだ美人な人妻の母乳に吸い付くって、字面だけ見たらエロい感じだが、実際のところは見つかれば殺される、『絶対に見つかってはいけない夜食』である。
凄いよな、これが赤ん坊の食事だぜ?
そこまでするならやめろよ。と言われるかもしれないが、俺の飯など用意されていない現状で、下手に物を喰うと、腹を下すんだよ。
さっきの味噌汁だって、おじやだって、未だに歯が生えそろう事もない俺からすると、やたらと塩分キツイし、十分堅い。
一回、腹減りすぎて味噌汁を呑み過ぎたら、塩分を取り過ぎたのか高熱が出たし、離乳食もまだなのに大人の食事を楽しむのは、赤子の身体ではできない事らしい。
今のところ、母乳が一番いい飯なんだが、その母乳が飲めるのは当の母親が寝静まってからである。
家庭内暴力と育児放棄の吹き荒れる中で、夫婦とは呼べない男女二人の間の子供。
今世の俺の人生、無駄にハードモードから入ったみたいだな。