第十二話 涙でしょうか?いいえ、誰でも。下
前話の方でも書きましたが、長くなったので二話に分けました。
これからは何とかピッチを上げて、話しを進めていきます。
毛皮の卸問屋を後にした俺は、鹿肉を胸に抱えながらとぼとぼとした足取りで樹海の入り口に向かっていた。
本当はさっさとこんな村など後にしたいのだが、家に帰ったところで待っているのはあの両親だ。
進んで帰りたいわけじゃないので、自然と足取りは重くなるが、この場に居たいわけでもないから、いつの間にか足取りは進んでいる。
自分自身ですらもどうしたいのか分からないままに歩みを進めていると、そこで不意に、子供の騒ぎ声が聞こえ始めたのと同時に石が投げつけられ、俺の頭からは今まで被っていた蓑笠が落ちた。
すると、今まで隠していた俺の角が露わになり、途端にいきなり子供の悲鳴が湧き上がって、俺に向けてまるで雨の様に幾つもの石ころが投げつけられる。
「みつけたぞ!!!あのオニだ!みんな、やっつけるぞー!」
どこからか聞こえてきたのは、この村のガキ大将の声だ。
村の子供の中では一番体つきが大きく、従って村の子供の中では喧嘩が強く、村中の悪ガキどもを従えては色んなイタズラやら何やらをやっている。典型的なガキ大将。
こいつ等に見つかると、理屈とも思えん理屈で俺に向かって殴り掛かって来るので、正直関わり合いになりたくないのだが、どういう驚異的な嗅覚をしているのか、この村に来るといつもこいつ等に絡まれるんだよなあ。
一応、こっちは毎日一日一万回の素振りと走り込みで鍛えた上に、魔物を相手に実戦を積んだ身だ。
喧嘩をしても余裕で勝てるんだが、勝てば勝ったで大人が武器を持ち出して殴りに来るし、負けたふりをしたら今度は大人も一緒に俺を殴りに来るしで、碌な奴らがこの村に居ない。
こいつ等への対処法は、もう逃げる以外に存在しないのだ。
「……クソガキどもが」
俺は落ちた蓑笠を拾うと、そのまま小声でガキどもを罵りながら、全速力でその場を後にする。
逃げ回る俺に向かって滅茶苦茶な狙いで投げられた石が俺に当たることはまずないのだが、それでも石を投げられながら走って逃げるのは、それだけできつい物だ。
そうして、村の中をガキの群れから逃げる為に走り回っていると、いつの間にか子供だけじゃなくて、村の大人まで加わって俺を追いかけ始めていた。
「居たぞ!あのガキだ!」
「悪い鬼め!アッチ行け!村に来るな!」
「また来てたのかあのクソガキ!今度こそぶち殺せ!」
「生きていることが恥ずかしくねえのか!このクソ野郎!」
村中が総出になって俺に向かって、殺意を剥き出しにしながら暴言を吐き、時には石をぶつけ時には農具や武器を持ち出して、俺に襲いかかって来る。
ふと見れば、屯っている村人の奥には、卸問屋で働いていた奉公人のババアがいやらしい薄ら笑いを浮かべながら、村の中年を相手に俺を指差しながら何事かを囁いてやがる。
あのクソッタレババアめ!!村中の奴らにチクったな!!畜生、油断していた。このままじゃ囲んでボコられる。フザケンナ!!何で遠出してまで殴られ無きゃいけねぇんだよ。
俺はうすら笑いを浮かべるババア達を一瞬だけ睨みつけてすぐにその場を後にすると、すぐには樹海の中に入らずに、村の中の路地や通りを利用して村人たちを巻きながら、徐々には樹海の方に向かっていく。
時おり俺の前から村人の群れが武器を持って襲い掛かって来るが、残念だったな。身軽さだったら俺の方が上だ。
俺はその場で跳び上がったり、壁を蹴って屋根に上ったりしつつ村人から逃げ続けると、漸くの事で樹海の入り口に到達し、そのまま森の奥深くに向けて逃げ続ける。
俺は隠していた地下蔵には近づかないようにしつつ、走りながら必死になってマタギの服装を脱ぎ捨てると、そのままワン太を呼び出す指笛を拭きながら樹海の奥に入っていく。
こうしておけば、あいつらは拾ったものをネコババしようとするから、それなりに足止めにはなる。
その隙に、少しでも彼奴らから距離を取らなければ。此処まで来てボコボコにされて身ぐるみはがされちゃあ、今日の俺が恵まれなさすぎだろう。
このまま直接ワン太と合流すれば、俺の秘密の地下蔵に他人を寄せ付けることになる。
あいつ等に俺の秘密の蔵の事を知られると、あそこに隠した全財産を盗まれる恐れがある。
つーか、一回盗まれた事がある。
何でも、強盗やら掠奪を行う人の心の無い人非人から物を奪っても、罪にならないんだとさ。
フザケンナ!俺は一度も盗みも殺しもした事ねーよ!
それからは、秘密の地下蔵は常時三個は見つけて、そこに財産を隠している。
まるで投資の分散法だが、何が悲しくて少ない財産をわざわざさらに少なく分けなきゃならないんだ。
こっちはお蔭で爪に火を点す節約生活してんだぞ?
実が無いのに大富豪の物まねをしても、こちとら哀しくなるだけなんだよ。
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それからしばらくの間、樹海の中を散策した俺は、偶々見つけた小川の清流で問屋の主人から渡された鹿肉を洗ったり、そのついでに魚を捕まえつつ、漸くワン太と合流した俺は、その小川の傍で早めの夕食を食べることにする。
例え洗ったと言えども、投げ捨てられた鹿肉を焼いている時は正直食べる気がしなかったが、ワン太にだけこれを喰わせるわけにもいかない。
どういう形であれ、報酬として受け取ったものならば、俺は何でもワン太と分け合うつもりだ。
俺は、口に入れた時の吐き気を無理矢理飲み込んで、ワン太と一緒に飯を食った。
しかしあの村の奴らは、あれだな。馬鹿じゃねえのか。
自分よりも年齢が下の人間を袋叩きにするわ、勝手な理屈で犯罪を正当化するわ。
精神年齢的に俺よりも下だろ、あいつ等。
ただ、
精神年齢的に俺よりも幼い奴らを相手にするのもバカらしいが、だからと言って俺は理不尽なことで責めたてられて嬉しがるような変態じゃない。
だが俺は、この怒りを、憎しみを、誰に向けていいのか判らねえ。
親父たちを罵れればいいんだろうが、俺の中ではあいつらは正直他人だ。
転生云々とかじゃなくて、正直他人だと思わないとあんな理不尽な暴力の中では耐えられない。
他人だと思うから無関心になれるし、他人だと思うから暴力の矛先が向いても逃げるという選択肢がいつも頭の中に在る。
そうして、今までの俺はあの理不尽と不条理に耐えてきた。
だがその反面、あいつらに対して怒りや憎しみの情もわかなくなってきている。
何をされても耐えられるようになった代わりに、何かをしてやろうという気も起きなくなっている。
それは勿論。喜びを分かち合うだとか悲しみを分け合うだとか、抽象的で耳障りの良い行動の事もそうだが、それに加えて憎しみをぶつけるだとか怒りを爆発させるだとか、そんな負の感情さえもわかなくなってしまっている。
だから逆に、こういう時に、本当に怒りや憎しみをぶつけたいときに、誰に何を言えばいいのかも分からなくなっている。
気付けばもう、耐え忍ぶ以外の選択肢が無くなってしまっている。
ふと川面を見れば、水の流れの中に伸ばしっぱなしにした銀髪を背中にまで垂らした、やたらと眼つきの鋭い四本角の子供の姿があった。
襤褸衣をまとって、全身に生傷のついた自分の姿を見ていると、やるせない感情が湧き上がってくる。
全く、俺は生まれてまだ四歳だぞ?こんなかわいらしい子供が必死になって頑張っている姿を見て、囲み混んで罵倒と暴力を振るう事しかやることないとか、あいつ等は一体どういう精神構造をしているんだ。
……自分で言ってて虚しいな。自分が惨めで哀れだって事を確認する事ほど、惨めで哀れな事は無い。
自然と頰を涙が伝って来る。声は出ない。ただ、涙だけが目玉からあふれて、頬を伝ってくる。
こう言うのは、本当に困る。ただひたすらに何かに感情をぶつける事も出来ずに、ただひたすらに何かを諦める事も出来ずに、ただひたすらに何かに耐えなきゃならない。耐え忍ばなければならない。
冗談じゃない。俺は火影を目指す忍者ってわけじゃ無いんだぞ。
世界の平和のためには、耐え忍べってか。なんでだよ。俺が耐え忍ぶことがなんで世界平和につながるんだよ。ふざけんなよ神様。
辛くて苦しいことを耐え忍びたいわけないだろう。
どれだけ我慢すれば、この苦境から解放されるんだ。
「……畜生。…………クソッタレめ……。……畜生」
俺は、ただ悔し紛れに口汚い言葉を溢しながら、川の中に映った自分から目を背けた。
ワン太は、鳴くこともせずにただ悲しげな顔をして、俺に顔を埋めて来る。
正直、鬱陶しかった。どうしていいかもわからない胸の内をぶちまけている中で、もふもふの毛皮にすり寄られても、胸の内が晴れるわけでもない。
ただ、それでも、そんな生まれたての子供の様な気づかいをするワン太の事を、俺は突き放すことができずに、暫くその毛皮の中で涙を流すことしかできなかった。
それからどれくらい経っただろうか
「…………行こうか。ワン太。そろそろ月が出て来る頃だ」
樹海の空に映る夕暮れがそろそろ夜に変わる頃、俺はワン太の背中に乗って再び家に向かって帰り始めた。
行きとは違い、帰りの足取りは重かった。
ワン太も俺の気持ちを察してくれているのだろう。
帰りたい場所がある訳じゃ無いのに、帰る場所だけがあるって言うのは、どうしてこうも虚しいんだろう。




