第九話 毛玉でしょうか?いいえ、それは狼です。
漸く書けた。最近、何だか筆の止まりが多い。五月も終わりに近づき、漸く一年の本番だからだろうか。
少しずつスケジュールに予定が埋まったり埋まらなかったりで、ドタバタしてしまう。
要は、自分の自己管理不足ってことだけども。
「……世界って、残酷すぎるだろう…………」
『代理魔術』の研究を始めてから一か月目。
あれから全く進展もなく月日が経ち、人生で二度目の三歳もそろそろ終わりが見え始めた頃。
俺は森の中で今日も今日とて、カーバンクルに頭突きを喰らって森の中で頭から血を流しながら倒れていた。
……あのリス野郎どもめ。何時か必ず絶対にぶっ殺してその毛皮と宝石を売りさばいてやる。
「…………毎日毎日、ネズミに似た奴にヘッドバットされ、朝早く起きて夜遅くまで魔術の研究をしても、一向に魔術を使える気配はないし……。神よ、俺の何がそんなに憎いんだい?俺の方こそアンタが憎いよ?」
俺は森の木々の切れ間から覗く青空を眺めながらぼんやりとそう呟くと、痛む頭を押さえながら立ち上がった。
森の中で身を以て知ったことが二つある。
一つは、血は流しっぱなしの方が早く止まるってこと。
二つ目は、血の匂いがしている内は、すぐにその場から動かないと凶悪な魔物や魔獣が襲って来るってこと。
多少動きに問題があろうとも、動けるうちは出来るだけ早めに安全なところに隠れなきゃならない。
それは大自然の掟だ。
俺はそんなことを思いながら溜息をつくと共に、木刀を杖代わりにして森の中から少しでも家に近い方に向けて歩き出した。
毎日毎日飽きることなくカーバンクルにヘッドバットを喰らいながら森の中で倒れ、強い奴らを見つけては逃げ回り、怒鳴り声と罵声と暴力の嵐が吹き荒れる家に帰り、進むことの無い魔術の研究を続ける。
たまに人生の意味を問いただしたくなるぐらい、空しさを覚えるルーチンワークだ。
ただ、矢張り毎日の素振りや走り込みは無駄では無かったらしく、今では逃げ足と追跡は得意になり、襲い来る魔獣や魔物を前にして、咄嗟に一撃を叩き込むことができるようにはなった。
とは言え、一撃叩き込まれた魔物や魔獣は怒り狂うので、そこから先は逃げることしかできないが。
武術に関しては、もうこんな状況だ。正直、これ以上は何をやっていいのか全然見当がつかない。
魔術に関してはもっとひどい。
何しろ、俺の考案した『代理魔術』のそもそもの前提条件自体、『魔獣を配下につける』という敷居の高いハードルをクリアしなければならず、その条件をクリアする現在の唯一の方法が、実力で魔獣をぶちのめす。というものだ。
その成果が現在のカーバンクルのヘッドバットに繋がっている以上、俺が自力で魔術を操る方法は無いと言って良い。
あーあ。食っちゃ寝してたら最強になる方法とか誰か教えくれねえかなー。まあ、ンな事できる訳も無いんだけど。ただ、せめて無傷で魔獣を手に入れる方法が欲しい。
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それから暫くして、俺は四歳の誕生日を迎えた。
ちなみに、何故誕生日が分かったかと言えば、それは単純に生まれた日から毎日コツコツと日付を数えていたからだ。
余談だが、この世界での暦は太陰暦が使用され、一年は三百六十日が基本となる。ただ、うるう年の発想もあるために、年数によるズレはあんまり存在しない。そこらへんは暦を数える限りでは非常に助かる要素である。
それはさておき。
めでたく四歳となった俺ではあるが、それが本当にめでたい事であるかどうかというのは、微妙なところである。
最近の俺の両親、母・炎髪鬼の紅葉と、父・青柳の大蛇丸は、仲が悪い。
元から仲が悪く、つかみ合いの殴り合いの殺し合いが日常茶飯事であった二人だが、俺が三歳の終わりを迎える頃からその仲は非常に険悪化してくるようになった。
何が理由でそうなったのかは計りかねるが、ともかく、二人は仲が悪いなりにそれなりに折り合いは着けていて、これ以上は流石にやめておくか。的な一線はあり、その一線を越えると途端に喧嘩を辞めていたのだ。
だが、どうも最近、その二人の仲が極限まで悪くなっているのを感じる。
二人とも異常にピリピリとした空気を放ち、あれだけ止めどなく溢れていた罵倒や暴言はぴたりとやんだが、その代わりに、予備動作一切なしで殺しにかかるようになった。
勿論、その余波は俺にも降りかかり、飯食ってるとイキナリ茶碗や鍋が吹き飛ぶなんてことは序の口。
この前何てお箸が俺の頬を掠めて手裏剣みたいに壁に突き刺さったからね。ちょーこえー。
それどころか、二人とも俺を積極的に殺しにかかっている節さえみられるんだが。
撃ちだされる魔法や攻撃が一切の迷いなく俺を襲い掛かって来る。目につく形で家を出れば容赦無く殴りつけるし、家に帰った時も同じ様に殴りつけてくる。
そうして殴りかかってくる際には、親父は決まって「テメェの全てが気にくわねえ!」とか言いながら四歳児相手にマウントポジションでマジ殴りにかかって来るし、お袋には「まだ死んでねぇのかよ」とか吐き捨てられる始末だ。
酷い時には顔を見ただけで殴ってくる。一体全体何が憎いってんだ。
一向に進まない俺の魔術研究と、俺の武術修行。そして、悪化していくばかりの家庭環境と、三拍子そろった無いない尽くしの俺の日常だ。
世の中、全く上手くいかない事ばかりだ。神様恨むぜクソッタレ。いつか見かけたらパチギ決めてやろー。
そんな俺の日常にも良い変化はあった。
俺は朝飯を食い終わると、隙を見て適当におかずを何品か懐に隠し抜いてギスギスした家の中を静かに出て行くと、玄関口から一気に走り抜けて森の中へと逃げ込む。
森の中に入ってから、暫く親父達が近くに居ないかを周囲を見回して安全を確保すると、ゆっくりとその場で息を吐いて俺は森の中に向けて大声を出して呼びかける。
「おーい。ワン太ー!エサもって来たぞー!」
俺の声を聞いて、少しばかり時間が経った頃、藪の中から一匹の巨大な仔犬が現れた。
何つーか、巨大な仔犬って字面だけ見りゃ矛盾しているが、本当にそんな感じ何だよ。俺は未だに四歳児でしか無く、小さな体格だが、このワンコはそんな俺よりもデカイんだよ。
大体、俺の二倍ほどの大きさをした真っ白な毛皮の塊で、犬にしては顔つきが猛々しい。やたらに牙とか爪とか鋭いし、毛並みもやたらとモフモフしていて気持ちいい。いや、これは他の犬にも言える事か。
ワンコは、俺を見て尻尾を振り回しながら飛び付いて来ると、俺を頭から齧りつけるようにベロベロと舐め付いて来る。
「よし、ワン太!お座り!」
そんなワンコに俺が声を掛けると、俺にじゃれつくのをやめてその場に座り込み、舌を出しながら俺の次の命令を待つ。
その後も伏せやら何やらをやらせて後に、俺は持ってきたおかずをワンコにやると、ワンコ改め、ワン太は一瞬で俺の持ってきたおかずを喰うと、甘えた声を出しながら再び俺にじゃれつき始めた。
そう、このワンコ。最近、俺のペットになった。
そう。つまり、俺は念願の無傷で魔獣を手に入れることに成功したのだ。
神様ありがとう。最高の誕生日プレゼントだよ。
……なんていうと思ったか、馬鹿め。何時か絶対、こいつと一緒になってテメエの額を勝ち割りに行くからな。首を洗って待ってろよ、神め。
こいつとの出会いは、三か月前まで遡る。
三か月前の昼下がり、何時もの様にリス野郎にヘッドバットを決められた後に家に帰る最中に、何やらデカい毛玉があるなと思っていたら、丸まって眠りこけていたこいつが居た。
その時のワン太の様子は、今の真っ白で艶やかでモフモフな毛並みとはかけ離れたボロボロの状態で、呼吸は見るからに荒く、所々に大きな傷のつい体には流れ出た血が固まってこびりつき、白い毛並みをぐちゃぐちゃに汚していた今にも死にかけの様子だった。
図体はデカいがぱっと見の印象は仔犬だったせいか悲壮感が強く、何となく自分と重ね合わせてしまった所為だろうか。ぼんやりと、「嗚呼、こいつは親に捨てられんだな」と呟いたのを覚えている。
余りにも酷い様子だったから、トドメ差して楽にしてやろうと、手にした木刀を高々と振り上げてみたが、そこでふと、魔が差したような閃きが俺の頭の中に炸裂した。
―――――――――そうだ。こいつを手懐けたら、代理魔術に利用できるんじゃね?
そんな思い付きで、俺はそいつに家の中から持ってきたお昼ご飯の残りを上げたら、素直に食ったよ。
俺の右手ごと。
余りに勢いよく噛みつかれたもんで、そのまま食いちぎられたと思ってワン太の口の中から無理矢理右手を引っこ抜いて、そのままこいつの鼻面を殴りつけたらブチ切れて俺に襲い掛かって来たから、そのまま殴り合いのけんかに発展したよ。
確かにリス野郎にはいつまでも勝てないし、デカい魔物が見えたらその瞬間に逃げ続ける逃げ癖が付いたがな。
そこらへんで見つけた白い毛並みの野良仔犬如きに後れを取るほど甘い生き方してねえよ。まぁ、犬と言うには少々どころじゃ無くデカイが。
そんなこんなで、野良の仔犬と戦った俺は一昼夜に及ぶ長い戦いの末に仔犬の鼻面を殴りつけて気絶させることで勝利し、飼い犬にすることに成功したのだ。
名前は適当につけた。別に犬の名前にそこまで頭をひねる必要もねーしな。
ちなみに、そうして死闘を制して帰った俺を見つけて、親父は俺を死人でも見つけたように気味悪い目で睨みつけた後に、烈火のごとくに怒り出して俺を殴りつけ、そのまま外に放り出された。
一体全体、俺に何の怨みがあるって言うんだ。
って言うか、何だかあれ以降から親父の俺に対する態度が異常にひどくなった気がするんだけど?
アレ?ってことは、俺が最近殴られているようになったのは、ワン太のせい何ん?
ともあれ。
重要なことは俺が密かに飼い始めたこの仔犬が、魔力を持っていたと言う事だ。
そしてその魔力を持っていた仔犬は、俺の餌付けに反応して完全に俺の言う事を聞くようになり、今ではすっかりと従順な犬になってしまっている。
「ふふふ。随分としつけも進んだな。これで、少しは代理魔術の研究も進むかな」
俺はすっかりと俺に飼い慣らされた毛玉の塊を撫でつけながら、腹黒い笑みを浮かべる。
うんうん。分かったから。ワン太落ち着け。そろそろを俺の頭を舐め回すのをやめてくれい。
こうして俺は、その後生涯のペットとなる一匹、神狼のワン太を飼い始めたのだった。




