序章 始まり
武仁山。
それは、常世列島でも最も高く、そしてその姿の美しさから霊峰とされる山である。
実際に神々からも、始まりの山として特別視されるその山の頂上には、二人の青年の姿があった。
二人とも外見こそ人族の様に見えるが、一人の人影は人族というには少々得意な姿をしていた。
その青年の額からは鬼族特有の鋭く伸びた白い角と、龍族特有の枝分かれした黄金色の角が伸びており、龍族と鬼族というおよそ常世列島に生きる種族の中でも、二強とも言える種族から生まれた出自を語るにはこれ以上の証拠は無いだろう。
青年は、山頂に渦巻く風の上から麓の村を見下ろして、いかにも心地よさそうに目元を細めながら、口元を綻ばせた。
「絶景だな、これは」
そう言うと、青年は喉の奥からくつくつと笑い声を溢しながら、後ろを振り向いた。
「生まれも育ちもこの山で過ごしてきて、頂上なんざ今日が初めて登ったがよ。案外と悪くねえ気分だ。……いつでも登れるつもりで、いつも登りはしなかったからな。これだけでも、お前に付き合った甲斐があったぜ?」
不敵に笑いながら話しかける彼の姿は、魔族や神族が無数に暮らすこの常世列島の中では、余り特徴のない部類であると言える。
肩口当たりで切りそろえた白く輝く銀髪に、紫苑の瞳。
口元からは常人より少し長い犬歯が、牙の様に口元から覗いている。
先述した四本の角の事を足し合わせても、彼の姿の中で目を引く特徴はこれくらいのものである。
多腕や三つ目、翼を持った異形の姿を持つ多種族そこかしこで目を引く常世列島の人の中では、牙と角しか特徴の無い彼は、多種族でありながらその程度の異形でしか存在していない。
強いて目を引く特徴と言えば、背丈が小さい事だろうか?
成人であれば、人族であっても六尺(180㎝)は超えるのが普通である筈だが、彼は僅かに五尺(150㎝)を少し超えたばかりの背丈しか持たず、屈強な肉体持つ龍族と鬼族の混血であるなどとは、にわかには信じがたいほどだ。
背丈だけで言えば人族の子供と殆ど変わりはない。と言っていい。
また、その顔の創りも、眼つきが鋭く威圧的であることを除けば、整っている訳でもなく、さりとて崩れている訳でもない。
これもまた、美形が多く生まれる龍族と鬼族の両種族からかけ離れた特徴であると言えるだろう。
そんな彼の服装もまた、特に特徴のあると言うほどの姿でも無かった。
黒い袴と着物姿に、裏地の派手な刺繍を施された白い陣羽織を羽織り、手に独特の幾何学模様を施された手甲をつけている。
陣羽織と手甲こそ多少目を引くように思えるかもしれないが、この戦乱の世に武芸者として生きる身の上であることを考えれば、そこまで印象に残る格好でもない。
総合していえば、龍族と鬼族の混血であることが分かるだけで、地味な印象の男だろうか。
だが、それは、日子の国に生きる者であるならば、或いは常世列島に生きる者であるならば、知っている。
それはこの青年の大きさを推し量る要素になりはしないことを。
青年の本名を、花咲・酒丸。
彼の事を、人は龍鬼仙人と呼ぶ。
それはすなわち、常世列島最強の存在の名前である。
ややあって、龍鬼仙人は静かに口を開いた。
「……この日を、心待ちに待っていた。実に楽しみだ」
そう言うと、龍鬼仙人は右手を緩やかに伸ばした。
すると、龍鬼仙人の右手に黒い閃光が迸り、その黒い閃光がやがて一本の刀へと姿を変える。
黒刀を手にした龍鬼仙人はその刀を無造作に肩に担ぎあげると、そんな荒々しい動作とは裏腹に、静かに口を開いた。
「……俺は、この常世列島でも最強の存在だ。そう自負しているし、そのことをこの常世列島に生きる全ての人間が認めている」
それは、自慢というよりも、深く噛みしめるような思いの籠った言葉だった。
「……だが、もしもこの世界に物語があるのだとすれば、俺が最強であることも、最強になることも、何一つとして価値は無い事だ」
そして、龍鬼仙人は一歩、踏み込む。
「なぜなら俺は、この世界の主人公ではなく、ラスボスだからだ」
肩に担いだ刀をぶら下げ、武仁の頂上を駆けだす。
そして、言う。
「俺を倒すことこそが、この物語の終幕であり、そして始まりだ」
「さあ、始めようぜ!最後の戦いを!俺を倒してみろ!」




