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それから僕らは出かける準備をし、まずは美麗が先に同僚のかたのマンションに向かうという話になった。聞けば美麗はこういう時のために、かねてその人から男物の服を借りる約束をしていたのだという。
「一応連絡は入れたんだけど、あちらも急な話だから、準備に時間が欲しいそうなの。私は少し相談もあるから先に行くけれど、俊介さんは、少しあとから来てもらえないかしら」
美麗のそんな言葉を受けて、僕はひとまず近くの駅構内にある大きな書店で自分の本などを探しながら待つことにした。
やがてスマホに連絡が入り、僕は件の同僚のかたのマンションに向かった。
そこは僕らが住む小さなアパートとは比べ物にならないぐらいの、きれいで大きな建物だった。
「いらっしゃい、シュンちゃん。元気そうで何よりだわ」
ジョアンさんという美麗の同僚のかたは、首までの髪を派手な金色に染めた背の高い人だ。僕も一度、店でお会いしたことがある。
なるほど、そう思ってあらためて見れば、確かに美麗と背格好のよく似ている人だ。
博識で頭の回転がとても速くて、かなりハイレベルなあのお店の中にあってもお客さんの人気ナンバーワンなのがこの方だ。というのはまあ、全部美麗から聞いた話なんだけど。
「遠慮しないであがってあがって。美麗ちゃんはもう着替え終わってると思うけど、一応ノックして入ってね。あなたのもある程度見繕ってはおいたから、好きなのを選んで着てって頂戴」
「え? あの……」
「着替え終わってる」とか「あなたのも」とかいう奇妙な言い回しに少し戸惑っているうちに、いつもよりは薄い化粧になったその人は、もう先に立って歩いている。そうしてとある部屋の前まで僕を案内すると、華麗なウインクを軽くくれて自分はリビングに引き取った。
僕は話の流れがいまひとつ分からないまま、そのドアをノックした。中から美麗の声が「どうぞ」と掛かる。
「え、ちょっと――」
ドアを開けて、驚いた。
そこには男物のスーツをきちっと着こなした、長身の青年が立っていたからだ。
そこは部屋が丸ごとひとつ、クローゼットになっていた。ほとんどは女性のものだけれど、壁際にぎっしりと洋服店さながらに男性のスーツなども掛かっている。隅には大きな姿見までちゃんと設えられていた。
「あ、俊介さん。……あの、ごめんなさい」
彼はいきなり、僕に頭を下げてきた。
声を聞く限り、間違いなく美麗だ。でもその姿は、高級そうなそのスーツのせいか、まったくの別人にしか見えなかった。
光沢のある仕立てのよさそうなシルバーグレーのスーツ。光の当たり具合では、すこしパープルにも見えるようだ。やわらかくウェーブした茶色みの強い長い髪は、後ろで無造作にくくられている。それがまた、堂に入っていて洒脱に見えた。もちろん、化粧は落としている。
青年はすまなそうな顔をおずおずと上げ、僕を困った顔で見つめた。
「あの……やっぱり、いつもの格好のままだと不安になって。ついそう言ったら、『これ着て行ってらっしゃいよ』って、ジョアンさんに勧められちゃって……」
「あ……そうなの」
僕はやっと、そう言った。
いや、参った。
背は高いし、もともと精悍な風貌をしている美麗は、今は本当に見栄えのするかっこいい青年でしかなかった。
この人の隣に、僕が並ぶのか。
「あの、俊介さんの服もちゃんとお借りすることになっていますから。こちらなんて、どうでしょう」
言って美麗が差し出してきたハンガーに掛かったままのスーツを見て、僕は肩を落とした。美麗自身がこうなんだから、もしかしたら僕もかと思ったら、やっぱりそうだった。
そちらは美麗のものよりはダークな感じのグレーの品だった。どう見ても、かなりお高価そうな代物だ。貧乏性の僕なんかには、とても似合いそうにない。
(参ったな……)
どう考えても、僕のほうが数段劣るに決まっている。
そんな僕の内心には気づかぬ風で、いまや長身の精悍な青年になってしまった美麗はむしろうきうきした様子で「ほら、袖を通してみて」と、スーツを手にしたまま僕に迫ってきたのだった。
●○●
(ああ。やっぱり、思った通りだ……)
ショーウインドウに映った自分の姿をそっと見て、僕はかるく溜め息をつく。
隣を歩くのは、足が長くて背の高い精悍な青年。借りたスーツの上にはこれまた高そうなロングコート。
でもその隣をひょこひょこ歩いている僕は、ちりちり頭のやせっぽち。ひと目で借り物だと分かる高級スーツに、やっぱり上等のコートと革靴までお借りして、しっくりこないことこの上もない。
だというのに、隣の美麗――いや、やっぱり今は本名である「省吾」と呼ぶのがふさわしいような気がするが――ときたら、嬉しそうなことこの上もない顔なのだった。
なんと言っても、お付き合いを始めてからこっち、一緒に外を出歩くなんてはじめてのことだ。
つまりこれが、僕らのはじめてのちゃんとしたデートっていうことになるんだろう。
彼女が嬉しく思うのも無理はない。
(でもなあ……)
平日とはいえ、ショッピングモールのあるこの駅前の界隈には、それなりの人出がある。学校なんかはみんな軒並み冬休みにも入っているし、遊びに出てきた若い人もかなりいる。
高校生、あるいは大学生風の若い女の子のグループが、なんだかこちらを見てはひそひそやっているのが気になってしょうがない。あれはきっと、省吾を見てにやにやしているのに決まってるんだ。
だって今日の省吾は、カッコ良すぎる。
なんだよそれ。似合いすぎだよ。
そのスーツ、とても借り物には見えないじゃないか。
「あの……俊介さん?」
と、隣から不安そうな声がして、僕は目を上げた。今は少し、建物の陰に入って人目にはつかない場所になっている。
「ごめんなさい。やっぱり……怒ってますよね? 勝手にこんな格好にして」
「え? あ、……いや」
省吾が何を済まなそうにしているのかがやっと分かって、僕は首を振った。
「ごめん。そうじゃないんだよ。いや……まあ、ちょっと複雑ではあるけどね。でも、君がいつもの姿でこうやって歩くのが不安だったっていうなら、これでもいいかなとは思ってる。そうじゃなくて……」
ぽりぽりと頬のあたりを掻きながら、僕は苦笑した。
「あんまり、僕が君につりあってないもんだから。どう考えても変な絵づらだなあって……恥ずかしくなっちゃって」
「え、俊介さん……」
省吾が驚いた顔で僕を見つめ返している。
それ、本当に意外そうな顔なんだけど。
この子、ほんとに自分の価値をわかってないよね。
ほら、またそこのハンバーガーショップから出てきたカップルの女の子の方が、ぽかんとした顔で君の姿を見ているじゃないか。まったく、相手の少年が気の毒になっちゃうよ。
「ま、いいや。行こうよ。ここにいると、どうも目だってしょうがない」
「あ、……ええ」
やっぱり分かっていない顔で、でも省吾は素直にうなずき、歩き出した僕のあとからついてきた。