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「ああ、もう年末だね。早いなあ」
それは、そんな僕の朝のひと言からはじまった。
いや、朝というにはもうすでに、だいぶ遅い時間ではあったけれど。日付をまたぐような時間まで仕事をしている彼女に合わせて、休みの日の僕らの朝は大体こんな感じなのだ。
彼女の淹れてくれた熱いコーヒーを少しずつ飲みながら、僕は窓の外のどんよりと曇った冬の空を眺めていた。
「そうね。一緒に暮らし始めて、もう半年以上たったのね。ほんと早い……」
美麗は自分のマグカップをテーブルに置くと、僕の前に座ってそう言った。ふふ、と微笑むその笑顔はごく幸せそうなものだ。
初めて会ったころには完全に「ですます」調だったその言葉も、今ではすっかりこんな風だ。一人称も、なんだか武士や自衛官みたいな堅い調子の「自分」から、ほぼ「私」に変わってきている。
あれは恐らく、どうしても言葉遣いに現れてしまう性差をどうにかしてごまかすための止むを得ない選択だったのだろう。だから今のこの状態が、彼女にとってはもっとも自然な在りかたなのだ。
「そうだ。買い物に行きたいよね」
「え?」
「年末年始の買い物だよ。今日はお休みだったよね?」
「あ、……ええ」
「引越しのときは春先で、冬もののインテリアやなんかはあまり買えなかったし、お金もなかったし」
少し虚を突かれた風な彼女の顔を見て、僕は少し笑ってみせた。
「僕は大学、休みに入ったけど、君はこれからが書き入れ時なんでしょう。こんど時間が合うのはいつになるか分からないし、ちょうどいいよ。今日、出かけない?」
キャンディさんの紹介で近くのゲイバーで働くようになった彼女は、いわゆる「夜の蝶」というやつだ。年末年始はクリスマス会やら忘年会などで、その店もご多分にもれず、要するに繁忙期という状態のはずだった。
今日はその前の、彼女の最後のお休みのはず。それなら、今のうちに必要な買い物に行っておかなくては。
「え、でも……一緒に……?」
恐る恐るといった感じの彼女の顔を見て、僕はあきれた。
「なに言ってるの。当然でしょ」
この人は相変わらず、色々と心配性だ。
心と体の性の乖離した状態で生まれてきたこの人は、自分があまりにも女性とはかけ離れた容姿であることをずっと気にしつづけている。僕が、「そういう君が好きなんだよ」と何度いっても、ふさわしい自信がつくということはないようだ。
「そういえば、これまであまり一緒に出かけたことってなかったよね。引越しのときも、僕の研究発表と重なったりで。部屋の内装だとか、君のほうがずっとセンスあるもんだから任せっきりにしちゃってたし」
「あ、……いえ。その――」
もごもごと、美麗はまだ何か言いたそうだ。言いたいのだけれど、それをうまく表現できないような顔をしている。
「なに? どうしたの」
あれやこれやと逡巡した挙げ句、美麗はやっとこう言った。
「あ……の。男性の服、作業着以外はほとんどなくって」
「え?」
「あとは、マサさんからいただいたパーカーとか、ジャージとか……。もちろん、それは感謝しているんだけれど、お出かけの服装とはちょっと、ちがうのかなって……」
僕は多分、かなりきょとんとした顔になっていただろう。実際、彼女が何を言わんとしているのかが分からなかったのだ。
僕はしばし考えてから、やっと彼女の言葉の真の意図にたどり着いた。
「え、まさか君、男の格好をして行くつもりなの?」
今度は美麗が変な顔になった。
「……だって」
いわゆる「オカマ」と仲良さげに歩く男だなんて、周囲の人たちが興味津々でじろじろ見てくるに決まっている。
自分は今でこそこうだけれど、ちゃんと男っぽく振舞おうと思えばそうできる。店の仲間に頼んで、体格の似た人からスーツか何か借りてくれば、俊介さんと歩いても、ただの男性の二人連れに見えるようになるだろう。
ぼそぼそと小さな声で彼女がそう説明するのを、僕はだんだんと不快な気持ちがこみ上げてくるのを覚えながら聞いていた。
「……なんでそんな。君は、君のしたい格好で堂々と歩けばいいんじゃないか」
「でも」
「でもじゃないの。僕にそんな遠慮はしなくていい。君が好きなのは、やわらかい色目のワンピースとか、ふわふわしたスカートでしょう。なんでそれを、わざわざ好きでもない男もののスーツにしなきゃならないの」
「だって……」
「そりゃ、悔しいけど君のほうが、そういう格好もびしっと決まっちゃうだろうけどね。でもそれは、いま君がしたい格好じゃない。そうでしょう?」
「…………」
美麗はしばらく困ったように沈黙していた。
けれど、やがて顔を上げて少し笑った。
「……わかった。でも、それなら俊介さんも何か着るものを考えなくちゃね」
「え?」
今度は僕が、あっけにとられる番だった。