一話
幼い頃に拾った本は僕の見ている世界を劇変させた。
手に入れた当時は見知らぬ記号が記されているだけで、内容を理解するどころか読むことすら叶わなかった。
いくらかして学校に通うようになり、平仮名や片仮名、数字を習ってようやく何が書かれているのか分かった。
ボロボロで色鮮やかなその分厚い本には、この世界では知ることが許されていない『世界について』がたくさん記されていた。
『僕は日本に住んでいる』、『日本は海という塩っぱい水に囲まれている』、『日本は丸い形をした地球というものにいくつもある、国というもののうちの一つ』、『地球には重力というものがあって、重力のおかげで僕たちはその場に立っていられる』、『重力のせいで手に持っていたものを離すと下に落ちていく』。
書かれている事すべてが新鮮だった。一通り読み終わった後、僕は思ったんだ。
「もっとこの世界を知りたい。」と。
大きな出来事は何の前触れもなく、突然起こるものだ。
一応豊かだといえた日本において、突然死が大量発生した。
当時原因不明だったこの人口激減現象を食い止めるべく、かつての日本政府は国民救済を名目に兼ねてから取り締まりたいと思っていた文芸作品や芸能、インターネットなどのあらゆる娯楽を禁じ、勉学や労働を推奨して、生きていく事だけを専念させた。
しかし、人口減少の勢いは衰えることを知らず、遂には何千年と続いていた天皇制までも崩壊してしまった。
象徴を喪った日本はそれでも諦める事なく、あの手この手で人口減少を解決しようと努めた。
やっと人口減少に歯止めがかかった頃には日本にかつての面影はなかった。
人不足解消の為に実用化が急務とされていた人型アンドロイドがすっかり全国に普及し、今まで人間が行なっていた労働のほとんど全てをアンドロイドが行なってくれるようになった。
人間が働く必要がなくなったのだ。
娯楽の一切存在しない世界で仕事をなくした人々は、他人との関わりを出来るだけ絶つようになり、自らの世界に引きこもったのち、何もしなくなった。
世界がそんな状況になってから、政府は人口減少の原因に気がついた。
それは人間関係にあったのだ。
人と人の間には必ず何かしらの問題が発生する。
その人間関係の仲が良かろうが悪かろうが。その問題によるストレスに人の心は耐えられなかったのだ。
それほどまでに人々の精神は弱体化していた。
政府は人口減少の理由が人間関係にあったと正式発表し、再度大規模な人口減少が起こらないようにする為に法律を一新した。その時には既に『選民』が日本を支配していたのだ。
大きく改正された法律によって、まず公正な刑罰が存在しなくなった。
違反すれば処刑。政府直属軍が好きなように処罰する。もちろん反対する者も現れたが、全て処刑された。
次に政府は国民から『知る権利』を剥奪した。生きていく上で必要不可欠な最低限の事だけ知ることを許し、それ以外の知識を得る事、教える事を禁じた。
過去を記録した書物や電子データを全てこの世から消し去り、これから先の事、未来を記録する事も禁じた。
こちらも反対する者が現れたが、先頭に立つ者たちを処刑してしまえば、反対する者たちはすぐにいなくなった。
さらに0歳から15歳までの子供は親元を離れて共同生活をする事を義務付けた。
といっても、同じ建物で寝泊まりして、毎日同じような運動を一緒にするだけの生活だ。この法律の目的は子供のうちから他人の免疫をつける事だ。
これに反対する者はいなかった。単純に反対する事でもないからかもしれなかったが、国民にはもう反対する力は残っていなかった。
力を失った国民は政府から必要以上の日用品や食料品などが支給され、一人ひとりは間違いなくかつての日本での生活より豊かになった。だが、その生活は非生産的で無気力な毎日へと変わっていってしまった。