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九話

拓は生まれて初めて「よく寝た」と感じた。

よく考えてみれば、今までいつの間にか寝ていて、いつの間にか起きていた。

寝るという行為に対した意味などなかったのだ。起き上がり、周りを見渡すと見慣れない景色がそこにはあった。

世界を全く違うものへと変えてしまった昨日は夢じゃなかったんだ。

今でも信じられない。政府軍エレクトに襲われ、危ないところをNon NAMEに助けられて、保護とか勧誘だとか言われてNon NAMEの本部で連れてこられて、最終的には自分の意志でNon NAMEに入ることを決めた。

昨日一日は今まで生きてきた十数年よりも濃密な一日だった。

ワニとはっぱ、いや、凛と御坂はまだぐっすりと寝ている。

それぞれ個別の部屋はあるものの、同じ部屋で生活している。

久々に共同部屋で暮らすのも悪くないと思ったのだ。三人の総意だ。

二人を起こさないように静かにベッドから立ち上がると、何か口にするために食堂へと向かった。

食堂に着くと、そこでは昨日助けに駆けつけてくれた二人、遥と仁が朝食を食べていた。

「あぁ、拓くん。おはよう。よく眠れた?」

「おはようございます。遥さん、仁さん。はい。よく眠れました。ありがとうございます。」

毎朝学校で繰り返していたはずの挨拶も全く違うものに感じた。

「拓もご飯取ってきてここに来いよ。世間話でもしようぜ、初めてだろ?」

何か飲むだけのつもりだったが、お腹も空いているし、仁の誘いにありがたく応じて、拓は朝食を持って二人の近く隣に座った。

「改めて、昨日は助けにきてくれてありがとうございます。気になってる事があるんですけど、聞いて良いですか?」

「何なりと。答えられる事なら答えますよ。」

「じゃあ…どうやって僕たちの事を見つけたんですか?まさか最初からエレクトに襲われると分かってたんですか?」

「いやいや。最初から分かってて遅れて登場はひどすぎるでしょ。私たちはエレクトが一般宅を襲撃しようとしてるって情報を得て出撃したの。そうしたら拓くんたち三人がいただけ。たまたまだよ。」

拓は朝食を食べながら聞いていたが、危うく口にした朝食が美味しすぎて聞き流してしまうところだった。

今までこんなに美味しいものは食べたことがない。目の前に置かれているごくごく普通の、平凡な朝食を拓は感動の目で見つめた。

「俺たちからも質問良いか?」

「あっ…はい。僕に分かる事なら。」

「君たちが知識を手に入れるために読んだ書物。あれをどこで手に入れたんだい?どうやらNon NAMEの事も記されていたみたいだし。過去の情報からつい最新の事まで網羅している。とても普通の民間人、それも学生が手に入れられる物とは到底思えないんだ。」

「それははっぱ…じゃなくて、御坂が持っていたんです。確か、彼の里親が命に代えて御坂に残した書物だとか……」

「割り込むみたいにごめん。その、御坂くんって一体何者なの?」

今度は遥が拓の言葉を遮った。

何やら気分が高鳴っているように見える。

「何者…ですか…。僕と凛と御坂は0歳から15歳まで一緒に共同生活してました。政府の方針でです。その時は僕らと何ら変わりない少年でした。でも、ある日突然変わったんです。共同生活を終え、里親と暮らすために帰った時、彼の両親は既に亡くなっていたんです。それから彼は暗い性格に変わっていき、数日前、突然話があると言われて書物の話をされました。その時にはすっかり流暢な日本語を話してました。」

遥と仁は静かに頷くだけで何も答えない。しばらく沈黙が続いた。

「もしかして、神道の血筋なのかしら。」

「かもしれないな。もう一度あの家に戻ってみるのも良いかもな。何か分かるかもしれない。」

二人のつぶやきは朝食に感動していた拓には届かなかった。

「ありがとう、拓くん。また後でね。」

「とりあえず部屋でゆっくりしてな。興味がありそうな本とか部屋の本棚に置いておいたから。」

「あっ、ありがとうございます。また後で。」

拓は二人を見送ると、残っていた朝食を味わいながらゆっくりと食べた。

部屋に戻ると、凛と御坂はまだ寝ていた。

仁に言われた通り、部屋の本棚を見てみると、そこには夢のような世界が広がっていた。

一段ぎっしり、十数冊並んでいる。

どれも面白そうだった。どれを読もうか決められず、一番端の本を一冊取って、備え付けの椅子に座って読み始めた。

物理の本だ。内容に興味はあったが、文章が難しくて読むのに苦戦していると、凛と御坂がゆっくりと起き上がった。

「おはよう。凛、御坂。よく眠れた?」

「ふぁぁぁ。おふぁよ…。」

「んー。はんよ。」

二人のこんな寝ぼけた姿はかつて十五年間一緒に暮らしていたのに初めて見た。

「その様子だとよく眠れたみたいだね。よかった、よかった。」

しばらくベッドでボーッとしていた二人だったが、目がちゃんと覚めると朝食を食べに行く事になった。

既に拓は食べたが、二人について行く事にした。今度の食堂では兼憲が一人で黙々とご飯を食べていた。その様子は軍服に身を包み、整えられていた昨日の姿とは打って変わって、寝癖で髪はボサボサ、目も完全に開いてなく、今にも寝てしまいそうだ。

「おはようございます、兼憲さん。」

「んん。おはよう。」

兼憲とは少し離れた席に三人は座り、凛と御坂は朝食を食べ、拓は手に持っていた難しい物理の本を広げて眺めていた。

やはり全然何が書かれているか分からない。

すると、朝食を食べ終わったのか兼憲が拓の背後に立って、本を覗き込んできた。

「仁の選んだ本かな。」

「は…はい。」

拓は突然声をかけられたので驚きながらも返事をした。

「それ…読める?私は典型的文系だから、理系は苦手でねぇ。」

「ちょっと文章が難しくて…。読めない字とかもありますし。」

「そうか。昔の本だと『漢字』とか『英語』とか使ってるもんねぇ…。」

それだけ言うと兼憲はゆっくりと歩いて食堂から出ていってしまった。

食堂から部屋に戻ってしばらくしてから。

「拓、凛、御坂。桜井だ。話があるから談話室に来い。」

インカムから桜井の声がした。それを聞いて、歩いて談話室に向かうと、談話室には桜井が足を組んで座って待っていた。

「遅い!部屋から談話室まで1分もかからんだろ。何分かかってんだ。まぁ、ついこの間まで時間を気にせず生活してたんだから仕方ねえが、今後俺以外にも誰かに呼び出されたら歩くな。呼ばれた瞬間に準備して走れ。分かったな!」

人生で怒られた経験のない三人にとって、年上の人に怒鳴られるだけで相当恐怖を感じる。

「は…い。」

「返事も素早く一回!っと、そろそろ本題に入るぞ。」

桜井は立ち上がると手に持っていた機械のボタンを押す。すると壁からスクリーンが現れた。

「Non NAMEについて、まだ何をやっているのかもよく知らないだろ?今から説明する。」

スクリーンに「Non NAME」と大きく文字が映し出される。

「まずNon NAMEとは政府軍エレクトと対立している民間人による結社だ。言ってみれば民間軍だな。リーダーはかの有名な十氏家の一つ、八重家当主の八重兼憲だ。リーダーになった経緯とかは本人から聞け。」

桜井がもう一度ボタンを押す。

すると組織図がスクリーンに映し出される。

「一言で『Non NAME』と言っても部門のようなものがいくつもあるからやってることが違う。だだ、一般的に『Non NAME』と言えば実行部隊諸君、君たちの事である。唯一対外活動をしているからね。そのNon NAMEが対外的に何をやっているかと言うと、簡潔に言えば、人々に『娯楽』を提供している。具体的には芸能活動と文芸活動だ。話について来れてるか?」

『娯楽』や『芸能活動』、『文芸活動』という単語自体は知っている。

全てかつての日本に存在していたものだ。

それが消えてしまった理由も知っている。

だが、それがどういうものなのか。それは三人とも知らなかった。

「言葉は知ってるが、それがどういうものなのか知らない感じだろうな。一つずつ説明しよう。まず『娯楽』っていうのは簡単にいうと『人を楽しませるもの』だ。今からどれほど前なのか、どの記録にも載ってないから詳しい時期は分からんが、かつての日本で娯楽は突然禁止された。それから人々からは幸せが消えたなんて言われているよ。よく思い出してみろ。お前ら幸せだったか?」

三人は今まで歩んできた日々を思い出した。

その日々は心が満ち足りたものだっただろうか。

いや、そんな日々ではなかった。

幸せなんて感じた事がない。

「お前らにはそもそも『幸せ』の概念がなかっただろ。悲しい世界になっちまったなぁ。次は『芸能』だが、これはなかなか説明が難しい。そうだなぁ…『大人数向けの娯楽』とでも言っておこうか。対して『文芸』は『言葉で作り上げられた娯楽』と説明しておこう。」

よく理解出来たわけではないが、全く訳の分からない話でもないので三人はゆっくりと頷く。

「言葉で説明するより実際に目で見て、耳で聞いて、体で感じた方が理解出来る。まずは今度の任務で兼憲たちが実戦を交えながらNon NAMEの対外活動がどんなもんか見せてくれるだろうから、今後もし任務指示がインカムから聞こえたらすぐに走って作戦司令室に集まれ。分かったな。」

三人は深く頷く。

しかし、桜井はその反応が不服だったのか、もう一度念を押した。

「分かったか?返事!」

『は…はい!』

返事を聞くと、桜井は満足げに談話室を出ていった。三人はせっかく談話室まで来たので、すぐには帰らず、談話室でゆっくりしていた。

しばらく雑談をしていると、部屋の外から足音が聞こえた。

「あぁ、拓くん。ここにいたのか。探したよ。」

足音の主は遥だった。

「探したって、どうしたんですか?」

探される理由は思い当たらない。遥は答える事なく、手の平ほどの大きさの木箱を三つ、拓に渡して談話室を出ていってしまった。

「なんだろ…。」

凛と御坂も興味津々に木箱を見つめる。そのうちの一つを慎重に開けてみると、中には一枚の折りたたまれた紙と眼鏡のようなものが入っていた。紙を開いてみると、短い手紙だった。

『古賀拓也くんへ

熱心な君へプレゼント。名付けて翻訳眼鏡だ。

凛くんと御坂くんにも渡してやってくれ。

八重兼憲より』

どうやらこの眼鏡をかければ読めない文字が翻訳されて読めるようになるようだ。

試しにかけて、談話室にあった明らかに難しそうな分厚い本を開いてみた。

予想通り、全く訳の分からない文字の並んでいる本だったが、文章と文章の間の行に読めるように訳や説明が見える。

「すごい…。こんなものがあるんだ。」

この感動を二人にも伝えるために、二人に翻訳眼鏡を渡し、かけて本を読むように勧めた。

案の定、凛も御坂も驚き、興奮した様子だった。

しばらく感動を口々に言い合った後、三人はいつの間にか話すことをやめ、読めるようになった本に集中していた。

三人とも手にしていた本をほぼ同時に読み終わり、顔を上げると、少し離れたところから仁、染やん、結衣の三人がジーッと拓たちを見つめていた。

「どうしたん…ですか?」

拓が遠慮気味に聞くと、仁は恥ずかしがるように目をそらした。それを見た染やんと結衣が微笑む。

「いやぁー、すごく集中して読んでるなーって思って。拓くん。その本、誰が書いたか知ってる?」

染やんの質問の答えを探るために本の表紙を見るが載っていない。

「実はねぇ、それ、仁が書いたんだよ。」

拓は驚いた。この素晴らしい本を書いた人が目の前にいることに。

仁は恥ずかしがって、拓に背中を向ける。それを冷やかすように染やんと結衣が見る。

「ついでに、凛くんが読んでるのが兼憲隊長が書いた本。法律についての本かな。おもしろいでしょ。んで、御坂くんが読んでるのが私、藤城結衣が書いた本。人間心理学とか哲学とか、あんまり日常生活じゃ必要ない事しか書かれてないと思うよ。あまりオススメしない。うん。」

凛と御坂はまじまじと本の表紙を見る。

おそらく拓と同じことを思っているのだろう。

長文の本を読んだ事自体がこの間初めて。

そんな三人にとって『本を書く』というのは過去の偉人だけが為せる技であり、現代人が『本を書く』という概念はないのだ。

「談話室にある本は全てNon NAMEメンバーが好きな事について書いた本だから。どんどん読んで、何か質問があればどんどんしてくれ。」

染やんが手を大きく広げて言った。

その手が仁に当たる。わざとだ。

仕方なく仁は振り返り、口を開いた。

「おう…。どんどん読んでくれ。…恥ずかしいが。」

未だ恥ずかしがる仁を染やんと結衣は再び微笑んで、今度は拓たち三人も冷やかすように見た。

「そうそう。みんながどんなの書いてるか知ってた方が良いよね。兼憲隊長は法律関係。家柄的にその分野だと世界最高峰だしね。遥副長は主に小説を書いてるかな。仁は物理、染やんは化学についてとかいう難しいこと書いてる。で、私が人文系という全く役立たんもんばっか書いてる。オススメしないよ、さっきも言ったけど。」

「いや。私は結衣さんの書いた本おもしろいと思います。好きです、こういう考え方。なるほどと思う事も多くありましたし。」

御坂の予想外の反応に結衣が動揺した。

「えっ…。あぁ、珍しいね。私と気が合うなんて。今までそんな人に出会った事ないから。うれしいよ、ありかと。」

談話室が和やかな雰囲気になってきた。

そんな中、突如警報が鳴り響いた。

微笑んでいた仁たち三人は急に真剣な面持ちになる。何が起こったのか分からない拓たちは取り敢えずインカムから何が指示があるのを待った。

「Non NAME諸君!任務だ。」

談話室の雰囲気が一瞬にして鋭くなる。

「染やん、結衣、拓、凛、御坂。急ぐぞ。」

仁の指示で作戦司令室まで走る。

司令室では兼憲、遥、桜井、友理奈が待っていた。

「よし。全員揃ったな。任務概要を話す。」

壁のスクリーンに地図が映し出される。その地図が日本の地図である事は拓たちにも分かった。

「先ほどエレクト中央基地から二個師団が西へと出撃した。目的はおそらく検閲と道徳再矯正だろう。エレクトが目的地にたどり着く前に撤退勧告をして、従わず、武力で対抗してきたら攻撃して構わない。兼憲、編成はどうする?」

「出発するのは私、染やん、結衣。それと拓、凛、御坂。ついて来い。対応は染やんと結衣で頼む。私は三人に色々と説明しながら後方援護する。遥、仁は万が一に備えてここで待機。分かったな。」

『はい!』

Non NAME全員の返事に拓たちは圧倒された。

その返事に殺気に近いものを感じたからだ。

先ほどまで一緒に談笑していた人たちとは別人。

あの人たちではない。そんな感覚までした。

「行くぞ。」

兼憲の合図と共に結衣が指を鳴らした。

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