Loose
春色の街。
風は透き通って、ミズキの白い頬を優しくすり抜けた。
晩春。
暑くて、陽射しが攻撃的な日である。
ミズキの首に、少しだけ汗が滲む。
黒いトップスのシャーリング・チュールのTシャツは程良く胸もとが開いていて、袖口にフリルが付いている。
フェミニンなのに、黒いからカジュアルになり過ぎていないのがお気に入りだ。
ワイドサイズの着込んで色褪せたデニム・パンツには経年変化ならではの味がある。
白と赤のナイロン加工のベルトはボーイズライクで、全体のアクセントになっていて。
黒いサンダルには、薄いピンクの大きなリボンが誂えてある。
黒髪で、さらりと真っ直ぐに伸びたショート・ボブの髪型にはよく似合っている。
「あー…何が食べたいかわかんない…」
昼時のストリート。
アスファルトの道に坐りこみ、コンクリートの壁にもたれかかって項垂れる。
「何それ。お腹は空いてるんでしょ?」
横に立って、先程テイクアウトで購入した、透明のプラスチックカップに満たされたヘーゼルナッツ・カフェオレを喉に流し込みながら、友人のアヤが呆れた様に呟いた。
こちらは、水色の扇状にプリーツが入ったノースリーブのブラウス…首元と肩口から袖口まで、レースが控えめに施される…を羽織り、同じく水色のスウェットパンツを少しリラックス出来る程度に余裕をもたせたサイズで履いている。
足首から覗く、黒色の編みソックスと水色のパンプスが大人っぽさと可愛らしさを兼ね備えていて、琥珀に近い茶色のウェーブがかった髪型にもよく似合っていた。
「空いてるけど…ここら辺のお店って、あいつと行った所が殆どだからさ。変に感化されちゃって、何処行っていいのかわかんなくなるよ。言われてきたきつい事とか思い出しちゃうしさ」
ミズキが、大きく溜息をついた。
それを聞いたアヤは「まあ、あんな別れ方したらそうなるのも解らなくはないけどさ…。あ、それでもさ。男の子が行かなさそうなところでさ、そこで食べながら話すのは良いんじゃない?ほら、前に言ってたあそこのお店、行ってみようよ」と言った。
風が、少しだけ強く駆け足になり、ミズキの着けていたスクエアとボール状が縦に連なったクリアスケルトンのイヤリングが、からんと音を立てて揺れる。
アヤが言う店は、確かにあいつとは行った事が無い。
良いかもしれない、と、ミズキは思った。
ローズマリーと一緒にオーブンで焼いた、香ばしいチキンサンドイッチ。
ミルク味の厚めのサブレを粗く砕き、キャラメルアイスと生クリームがディップされているキャセロールには確か、クランベリーが添えられていた。
ロードベルガモットのアールグレイ。
「良いね、それ」
ミズキが、風の早足に乗って笑った。
深みのある、カシス色に塗ったオイルリップのしっとりとした質感の唇が可愛い、とアヤはミズキを見つめて、同調するみたいに微笑みを作った。
「じゃあ、行く?」
アヤが、空になったプラスチックカップをマットなネイビーに染めたネイルで施した指先で弄びながら言う。
「うん。…うーん…」
ミズキが、少し笑った後に首を上下させて、腰を浮かせかけて考え込んだ。
「………ごめん、やっぱりもう少しだけ、此処に居させて」
灰色のストリートに、再び腰掛けるミズキ。
リボンを施したサンダルが、デニム・パンツの裾を踏んでいた。
「…まだ、もうちょっと…動けないや」
苦笑して、誤るミズキ。
「…ん。わかった」
アヤが、頷いた。
ミズキのこういうところが面倒だな、と、アヤは思う。
あれみたいなものかな、と、アヤはミズキの近くにある電柱に視線をやった。
「Loose」と、ミントグリーンのスプレーで落書きされている。
ゴミの様な落書きではあるが、字の形と色合いが妙にアートしていて…。
面倒で迷惑なんだけど、ね。
アヤが視線を空に向ける。
「え?何?」
ミズキが、問いかける。
「んーん、別に。今年も暑くなりそうだね。もう、寒くはないよ」
だから、さっさと食べに行こうよ。
忘れる為の、時間を過ごしに。
それでも、ミズキは其処に座っていた。
風が濁り、陽がオレンジになる迄。