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最後の夏

作者: 清顕

 軋んだ金属音を立てて、市電の小さな車両がゆっくりと動き出す。発車を告げるチャイムの音が、耳に少し煩かった。まだ6月だというのに、西日の差し込む車内は肌にまとわりつくような暑さで満たされている。汗で湿った背中にシャツが張り付いて鬱陶しく、図らずもため息が一つ漏れた。

 例年ならば、北国にあるこの街は今の時期、もう少し涼しい筈である。それが今年は嘘のような暑さだ。地球温暖化が叫ばれ始めて久しいが、これもその影響の一端であろうか。

 夕陽で朱に染まる街を、車窓からぼんやりと眺めた。古びた鉄路に車体が呻き、ギィギィと音を立てる。朝から赤本やら問題集やらを解いてばかりいた脳は、何を考えるでもなく空っぽだった。ここのところ、学校のない日はずっと市の図書館に籠っている。大学受験は、確実に迫っていた。この3ヶ月弱が、地元で過ごす最後の夏だ。

 家には、晩飯までに帰ればよかった。あと1時間半ほどは図書館にいることもできたが、今日は何だか気乗りがせず、早めに切り上げてさっさと家路についてしまった。この暑さで、やる気のほうもすっかり参っているんだろうと、そう結論付けることとする。無論図書館内は冷房が効いているので、そんなものはまやかしに過ぎない。

 図書館から出たはいいが、家に帰る気にはならなかった。どうせ、何時ものように母と姉が喧嘩でもしているに決まっている。先月末くらいから家の雰囲気はピリピリしていたが、今週に入ってから、毎日のように家に帰ると母と姉の二人が言い争う声を耳にした。自分とは関係のない争いだったが、家にいると落ち着かなかった。肉親の、互いに罵り合う声など、聞いていても吐き気がするだけだ。父は元々おらず、姉も母と顔を合わせづらいと見えて帰宅しても部屋に引きこもっているので、晩飯はいつも母と二人で食べた。とても静かな、そして冷たい食卓だった。台所の隅にある、ラップのかかった姉の晩飯が冷えていくのを、咀嚼しながらいつも眺めていた。

 歓楽街の真ん中にある市電の終着駅で降り、そのままチェーンの喫茶店に入った。アイスコーヒーを一つ注文し、それを持って二階へ上る。腰掛けた窓際の席。繁華街の灯が、目に眩しかった。

 アイスコーヒーの苦味を舌の上で転がしながら、街をゆく人の流れに目を遣る。赤ん坊の乗ったベビーカーを押す母親。父に肩車をしてもらって燥ぐ息子。転んだ弟を気遣う姉。老いた両親の手を引き歩く青年。…………

 繁華街を行く人々は、私が求めていた「家族」らしい家族の様を映し出していた。心から欲しているが、手に入り得ないものが、そこに無数に転がって、キラキラと光っていた。

 私の心は、寂しさと喜びとが同居した、奇妙な感情を抱いていた。私の求めるものは、確かにこの世に存在していたという喜び。そして、それが手に入らないという寂しさ。どうしようもなかった。交差点を見下ろす喫茶店の片隅で、私は一人、泣いた。空には、夏の淡い月が少しずつ光を増していた。

問題のない家庭なんてないと思います。どんな家族でも喧嘩は起こるし、嫌な部分も見えてくる。どんな態度でいるのが正解なのでしょうね。

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