眠らずの悪魔
そもそもどうして眠れなくなってしまったのか。
幼いころの私は、遊ばない、食べない、そして眠らない、三拍子そろった異常な子だった。私には何かの障害がある、それは物心ついた時から自覚があった。二つ上の姉たちはベッドに入るとすぐに寝息を立てるというのに、私はどうしても眠れないのだ。もちろん母は私を寝かしつけようと体をさすったり優しく叩いたりする。眠れない苛立ちを私は母にぶつける。
「ママ、向こうに行ってよ。眠れないよ」
不眠の私は小さなモンスターで、母に自由な時間を与えない。母も眠らない私に苛立つようになった。
「あんたが夜眠れないのは、昼間元気に友達と遊ばないからよ」
母はそう言ったが、元気に遊ぶって何だろう。私は誰かと一緒にいて楽しいと思ったことがない。私は人に興味がなかった。それどころか人がいると私は緊張する。元気に遊べ、自由に遊べと言われることが一番嫌だ。強制的に遊ばされてどうやって元気を出せと言うのだ。自由に遊べと言うけれど、遊ばないことを選ぶ自由はない。自由に過ごして良いのならば遊ばすにさっさと家に帰りたい。
「ねぇ成長ホルモンって知っている?成長ホルモンは夜に寝ないと出ないのよ」
母はいもしない幽霊の存在を警告する口調で私を脅かす。
そうだ、背を伸ばすためには絶対に寝なくては。私は成長ホルモンを出すために頑張って眠ろうとする。寝れなかったらどうしよう、背が伸びなかったらどうしよう、ベッドは私の戦場だ。布団の温かさは私に不安を駆り立てる。私ってどうしてこうなんだろう。みんなが普通に友達と遊んだり、夜は眠ったりするのに、どうして私一人はみんなと同じようにできないんだろう。どうしよう、どうしよう。私の鼓動が布団に響き、まるで布団自らが鼓動をしているようだ。疲れたら寝られるかも、私はオナニーをするようになった。そのオナニーは母に目撃されてしまい、それ以降母は私のパンツを触れるのを嫌がるようになった。
背を伸ばすこと、それは幼い私にとって、人生のメインテーマだった。
私が母の気に食わないことを言ったりしたりすると、母は艶子と琴音の方を振り返り、言うのだ。
「体の成長の遅れた子って、知能も遅れているのね」
母は私を攻撃する為には手段を選ばず、私には何の慈悲もない。母にとって私は実子ではなく、無理やり押し付けらえた縁もゆかりもない孤児と同じようなものだった。
確かに知能が遅れていたのは認める。幼いころから私は「できない子」だったのだ。幼稚園にすらついていけない私は保育園に移ったが、母にはそれで一件落着。とにかく母の目の前から「ついていけない」状況が見えなくなればいいわけだ。しかし、小学校でも私はついていけなかった。もう逃げ場はない。母は今度は「この子は早生まれだから」という逃げ道を見つけ、それを言い訳にした。彼女は決して私の困難さに向き合おうとしなかった。
私は勉強ができないことが恥ずかしい。「塾に行きたい」「公文に行きたい」「そろばんを習いたい」そのような私の願いは、
「公文にはサトウユウコ(母は何故か同じクラスのこの子を嫌っていた)がいるから」
「学校の先生が塾に行くことを反対したから」
という謎の理由で即却下だ。そもそも公立学校の教師にとって塾は敵だ。普通に考えたら教師が通塾に異を唱えることは当然ではないか。なお我が家はそんなに困窮していない。私は姉たちが通っているという理由だけでバイオリンやピアノや水泳に通っていたからだ。それらの進度が遅いということで、母と姉たちの三人がかりで放課後も虐められるのだが。
私が小学校低学年の頃、ピアノの教師が母にこんなことを言った。
「唯恵ちゃんはレッスン中に困ると人の顔をじっと見る」
母は教師の言葉を額面通りに受け取り、
「唯恵は人の顔をじっと見る変な癖があるって先生から言われた」
とこれまた艶子と琴音に笑いながら言いつけるのだ。
しかし教師の本意は別のところにあったのだろう。「唯恵ちゃんがレッスンでピアノが弾けずに困っていますので、毎日ちょっとずつ練習させて下さい」
母に嫌味や言外の意は通じない。そもそも楽器の習得には毎日の練習が必須で、母親が子供を励まして毎日練習させるものだという認識すらない。もちろん毎日の練習が必要だと分かっていても、懶惰そのものの母が子供を毎日ピアノの前に座らせることなど出来はしないだろうが。
小学校の中学年になると、レッスンで困らないためには事前の練習が必要だと自分で気づいた。自発的にピアノに向かった。すると晩酌で酔っ払った母が艶子と琴音に言うのだ。
「この子の下手糞なピアノ、何とかしてよ」
艶子と琴音は私を嘲るように大げさに噴き出した。母は更に
「テレビが聞こえないじゃない」
と私を責める。子供がレッスンで指が動かずに困ることなんて気にしない、彼女はテレビを観たいんだから。
母は私に無関心であったか?無関心であったらどんなに有り難かったか。
母は私に多大なる関心を持った。ただ関心の向け方が変なのだ。散々書いたように、母の関心は私の低身長と皮膚疾患だ。その二つをやっつけるためには千里の道をも物ともせず、東に名医あらば駆けつけ、西に大学病院あらば馳せ参ずるといった体だった。ここまでだったら優しい母親だろう。
ただ問題は、病院通いのために母が私の小学校を休ませたことだ。初診で一日がかりなる。そこで検査を受け、検査の結果を聞きに一週間後に再診。その後は定期的に通院。再診ではそんなに時間はかからない。せめて病院が終わった半日でも学校に行けたはずだ。しかし生来の怠け者の母は私を学校に送り届けることもなく一日欠席させてしまうのだ。それが月に何度も。
当然さらに授業についていけなくなり、ついにテストで零点を取ってしまう。バッテンだけがついたテスト。私は学習机の裏側にそれをくちゃくちゃに丸めて隠した。
しかし専業主婦で時間を持て余していた母は、すぐにそれを見つけた。母は艶子と琴音が見ている前で、それを丁寧にしわを伸ばしてテーブルに置いた。
「まさか自分の子がテストで零点を取るなんて」
母は嘆いた。艶子と琴音はここでは笑わらなかった。零点を取るのは知的障害がある子ぐらいだからだ。私と零点のテストを気味の悪い目で見比べた。原因は分かっている。母親が私を学校に行かせなかったからだ。ここで母親がとるべき今後の対策として、零点を取った原因を探り、間違った問題を子供と一緒に解いて、しばらくはつきっきりで学校の宿題を見れば良いのだが、地道なことや根気のいることが苦手な母親はそれもしない。零点を取るような子供の母親はやはり母親としても零点で、
「困ったわ、困ったわ」
と同じく小学生の上の娘たちを相談相手にして、(その時の母は四十歳前後だったはずだ。その四十の女が小学生の艶子や琴音に相談してしまうのも変である)零点のテストを道具に私をいじめることしか出来ないのだ。