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キスが嫌いになったわけ  作者: 山口 にま
第一章
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男体山

 年明け、日光で水垢離があった。「励まし」と称して姉の恋人から口づけを受けて参加したあれである。日光駅で部活の仲間たちと待ち合わせた。もちろん莞爾も水垢離に参加予定だ。駅前にも雪が積もっている。冷たい風に晒された鼻先は早くも凍りそうだ。

日光の柔術道場には他大学の柔術部員も集まっていた。

「水垢離で死んだ奴はいないから安心するように」

先輩はからかうように言う。私たち一年生は暗い気持ちになるばかりだ。

「実際そんなに辛くないぜ。ランニングで体を温めて、一気に水に入れ。心臓まで水に浸かると体温が奪われるから最初は腹だけ水に漬けろ。手はなるべく水に入れないように。手が凍えると水から上がった後に濡れた水着が脱げなくなる」

先輩の助言の意味がいまいち分からない。私たちが気のない返事をしていると、彼は

「水に入ればすべて分かる」

とだけ言った。

 夜は早いうちに床に就いた。莞爾たち男性陣は道場に布団を敷いて雑魚寝、女性たちは近くの民宿泊だ。「どうせ朝になったら水に入るから」という理由で私たちは入浴しなかった。


 午前四時、先輩に文字通りたたき起こされる。外はまだ暗い。水着の上にTシャツと道着を着こみ、宿の前からマイクロバスに乗り込んだ。目指すは近くの黒川の上流だ。バスを降りるとすでに莞爾は河原にいた。緊張と寒さで私は歯の根が合わないが、莞爾は普段通りに涼しい顔だ。体を動かせば少しは温かくなるかと私は無駄に飛び跳ねる。


 総勢百人、全員が揃ったところでランニングだ。私は莞爾の後に続いた。一キロほど走り、体が温まったところで河原に戻る。道着を脱ぎ、女性は水着とTシャツに、男性は上半身裸で下は海水パンツだ。勇気を出していざ出陣である。

「わっしょい、わっしょい」の掛け声で全員が水に入る。あれ、ぬるい。それが最初の感想だった。気温は氷点下、水温は少なくとも一度以上なので水がぬるく感じるのだ。普賢三摩耶印ふげんさんまやいんと呼ばれる、左右の手を組み人差し指を合わせて立てる印を胸の前に結び、「きえー!」と叫んで気合を入れた。丹田に力を込め水の中にしゃがむ。さすがの莞爾も目を吊り上がらせて叫び続けていた。水中で体温は奪われて行き、水の冷たさが肌を刺す。もはや限界だ。恥を忍んでリタイアするかと迷っていると、焦らすだけ焦らしてやっと指導者が水から上がるようにと命じる。私たちは強く印を結んだまま水から出た。体を激しく震わせながらテントに入りTシャツを脱ごうとするも、手がかじかんでいつまでも濡れたTシャツが脱げない。先輩が言っていたのはこういうことか。


 着替えを済ませ、道着でテントから出る。同じく着替えを済ませた莞爾は震えながら焚火に当たっていた。

「どうだった?」

私が聞くと、彼は

「何度も挫けそうになった・・・・」

と精も根も尽きたように呟いた。振る舞われた熱い甘酒を啜っていると、莞爾が空を見上げ

「夜が明けたんだな」

と静かに、そして安堵したように言う。東の空は薄衣のような淡い朱色だ。

「あれが男体山か」

莞爾が指さす先には、雪を被った霊峰・男体山が朝日を浴びて赤く燃え上がっている。

 私と莞爾は黙ったまま男体山を見つめた。自分の中の穢れや罪が洗い流され、清らかな世界へと導かれているようだった。私はもう聖一の唇の感触を思い出すことは出来なくなっていた。





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