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キスが嫌いになったわけ  作者: 山口 にま
第六章
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罪と罰

 クリスティーナの部屋を訪ねると、彼女は私を抱きしめてくれた。

「お姉さんのこと、聞いたわ」

クリスティーナの胸は温かい。私は涙が出そうになる。クリスティーナに促されて私はテーブルに着く。彼女は熱いカモミールティを淹れてくれた。

「私たちは仲の悪い姉妹だった。でも会えないとなると寂しいし、とても彼女が可哀想だ」

私は腿に置かれた自分の手を見ながら言った。話が途切れると、クリスティーナが尋ねた。

「ところでニュージーランドに行く準備は進んでいるの?」

「それが・・・・駄目になりそうなの」

「どうして?!」

クリスティーナは大きな目をさらに大きくした。私はどう答えるべきか考え考え、目を閉じて、

「Becouse I committed a sin.」

私が罪を犯したから、それだけでクリスティーナは大方のことを理解したようだ。悲しげに私を見つめる。

「その罪を姉は知らないはずだ。旦那さんとはずっと別居していたし、彼女が死ぬ前に、私は罪から抜け出していた」

「どうして彼らは別居をしていたのかしら?」

「私の母親が死産した後の姉を強引に連れ帰ってしまったから」

「まぁ・・・」

「その後私たちは罪を犯してしまった。母は私のことが原因で姉が死んだと思っている。だから一刻も早く家を出て行けと。留学費用を使ってアパートでも借りろと」

「あなたの罪と留学のキャンセルに何の関係が?」

確かに何の関係もない。私はついに涙を堪えることが出来なくなり、

「いつだってそうだ。私の夢はいつも叶わない。でもこれは仕方がないんだ。私が罪を犯したのだから」


 涙は後から後から出てきた。クリスティーナが私の背中を優しく摩る。優しくされると途端に私は居心地が悪くなる。敬虔なカソリックの彼女は私のことをどんなに汚らわしく思っていることだろう。私は涙を拭いて、冷めてしまったカモミールティを飲んだ。

「つまり」

クリスティーナは言う。

「あなたの罪に対して、あなたのお母さまが罰を与えるということね」

「そう」

「姉妹が衝突したとき、どちらかに肩入れするのも罪だと思うけれど」

「母は姉のことを愛していたから」

そういった後、

「・・・・本当は姉のことも愛していなかったのかも知れない。口でも愛しているといっていながら、その実、姉が幸せになるのを許さなかった。母は子供が不幸だと生き生きする。姉を定期的に精神科に連れていくのが生きがいみたいだった」

 クリスティーナは腕を組んで、

「そうね。家を出るのも悪くないんじゃない」

「留学はなくなったけれど、あなたがフィリピンに帰るまでここに通ってもいいかしら?あなたのレッスンをどこかで生かせるかも知れないし」

「もちろん。でもどうしてニュージーランドに行こうとしたの?」

「英語が話せれば自分を変えられると思った。将来がばら色になると思った」

私には何もない。特技もなければ頭もよくない。おまけに抜毛というおかしな精神疾患を患っている。留学だけが一縷の望みだったのだ。でもそれも失ってしまった。涙が再び滲んで来る。

「悲しまないで」

クリスティーナの言葉に私は呼吸を整え涙を止めようとする。

 

クリスティーナは続けた。

「ねぇ、私の町の来ない?」

「あなたの町へ?」

「そう。フィリピンでも英語が勉強できるわよ。私の町のダバオに全寮制の英会話スクールがあるの。日中は学校に通って夜は私の家に泊まれば寮費が浮くわ。あなたは二か月でも三か月でも自分が納得するまでフィリピンにいればいい。スクールに入るお金がないならば、とにかくうちに来て。英語の教師をいくらでも紹介する。もちろん私も教えるし、私の妹だって・・・・」

私はクリスティーナの言葉を遮った。

「そこまでして貰うなんてとんでもない」

「あら、あなたの夢だったんでしょう?」

「それはそうだけど・・・・」

人間よりも羊が多い大自然の国ニュージーランド。そこでの留学が一転して、犯罪とドラッグと売春が蔓延するアジアの劣等生の国でのホームステイか。クリスティーナは私が考えていることが分かったらしく、

「安心して。ダバオは治安が良いの。ビーチがきれいでダイビングだって出来るのよ。かつては日本人の移民も多くいて・・・・」

私のように訳アリの日本人が移り住んだ町。これも何かの縁だろうか。

「その話、とても興味ある」

「そうでしょう?ぜひいらっしゃいよ」

「でも一つ問題が」

「何かしら?」

「就職が決まってから行きたいな」

「そうね。色んな問題が解決してから決めたほうがいいわ」

「アパートも決めなきゃいけないし」

「何なら私の後にこの部屋に住めば?エージェンシーに言っておいてあげましょうか」

それは願ってもいない提案だった。

「この部屋の家賃は?」

私は聞いた。

「四万五千円」

「安い」

「三月の初めには私はこの部屋を出る。でもあなたが家にいづらいのならば明日からこの部屋に来てもいいのよ」

そんな図々しいことはできっこない。それでもクリスティーナのやさしさが嬉しかった。

「ありがとう。とても心強い」


 今日はいろんなことが決まる。私は彼女が廃棄する予定の家具や家電をまとめて買い取ることにした。クリスティーナの部屋を出る頃には私はすっかり明るい気持ちになっていた。玄関で彼女に暇を告げるとき、私は気になっていたことを聞く。

「あなたは私を軽蔑しないの?」

「軽蔑?どうして?」

「私は罪を犯していたし」

クリスティーナは少し考えてから、

「自分の気持ちに嘘をつけない時だってあるわ。それにあなたはあなたなりに責任を取っている」

「これでいいのかしら?」

私は不安な気持ちで聞いた。クリスティーナは言う。

「神様しか分からない」

ここで私は思うのだ。簡単にハッピーエンドにはならないと。


 帰宅するとすでに両親は夕食を済ませていた。就職してから琴音の帰宅はいつも遅かった。一応炊飯器にご飯は残っている。今日のおかずは私の嫌いな鳥の水炊きだ。水炊きには口をつけず、佃煮でご飯を食べていると、母が

「一体いつになったら出ていくのよ」

と言ってきた。

私は箸を置いて、まっすぐに母を見つめながら

「明日にでも」

と答えた。母は一瞬たじろぐ。母は本心から私を追い出したいわけではないのだ。「出ていけ」と言えば、行き場のない私が母に泣いて縋り付くと思っているのだ。しかし出ていくことが物質的にも精神的にも可能となった今は、母は私をコントロールすることがもはや出来なくなっていた。母は言った。

「別にあんたが留学したかったら行ってもいいのよ」

何を今更。もうとっくに辞退の意向を大学に伝えてあるのだ。母にはもう手持ちのカードは残っていない。

「水炊き食べないの?」

母の問いに私は頷いた。

「艶子や琴音ならばおいしいおいしいって言いながらなんでも食べてくれるのに」

「私、酸っぱいものが食べられない」

「えっ」

母は聞き返す。母は子供のことは何にも分かっちゃいないのだ。


 引っ越しは簡単だ。家具のほとんどはクリスティーナに譲ってもらったので服や本を宅急便で送るだけだ。後は自転車に乗って目的地に向かえばいい。土曜日の午前中、私は家を出た。

「じゃあ私行くわ」

私は台所の母に声を掛けた。

「お父さんが庭にいるから挨拶をしてから行きなさい」

こんな時だけ母親ぶるんじゃないよと私は心の中で毒づいた。それでも自転車に乗る前で庭に回って父に会いに行く。父は一人で庭をいじっていた。艶子の告別式の夜、母と琴音から罵倒の限りを受けていたというのに、彼は一度も諍いの場所には来なかった。

「今までお世話になりました」

私は頭を下げた。父はしゃがんだままだ。

「お父さん」

私は父親の背中に向かって言う。

「私、どうしても大学を卒業したいの」

「うん」

「四年生の授業料の納入期日が五月で・・・・何とか払ってもらえないかな?」

私は涙声になっている。考えてみたら、この家で私が泣く原因はいつも金だ。

「分かっている。大丈夫だ」

父は答えた。本当に大丈夫だろうか。それでも信じるしかない。

「どうもありがとう」

私は涙を拭いて礼を言う。

「じゃあお願いしますね」

父と娘の別れの会話としては変だ。しかし私と家をつなぐのは金の話しかないのだ。私はもう一度礼を言って自転車に跨る。


 さあ私のアパートへ。

これからはもう自分に嘘をつく必要はない。謝りたくないときは謝らなくてもいい、金の事で泣かなくてもいいのだ。 


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