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キスが嫌いになったわけ  作者: 山口 にま
第五章
16/26

春にして君を離れ

 春という季節は何かと人の生活に変化をもたらす。私は三年生になった。疎遠だった莞爾と再び縁ができる。

 私と彼はグループ制作の一員として同じ課題に取り組むことになったのだ。これで三年次の成績は少しは良くなるかも、私は内心ほくそ笑む。私は莞爾のもとを駆け寄り、餌を貰える子犬よろしく尻尾を振り振り、

「同じグループになったよ、よろしくね」

「はいこちらこそ」

莞爾は抑揚のない声で答える。

「莞爾の足手まといにならないようにするからね。一番を目指して頑張ろうね」

私たちのグループは五人だ。他のメンバーも集まって来る。一年の時から付き合いのあるレイ子も一緒である。莞爾は聞いた。

「唯恵は何かやりたいことはあるの?」

「展覧会とか博物館の展示デザイン」

私が答えると、あ、それでいいんじゃんとメンバーも賛同。

「いやいや私の一存じゃ決められないよ。みんなは?」

私がメンバーを見渡すと、彼らの視線は莞爾に集中。莞爾が決めてくれと言わんばかりだ。教室の隅の席に五人で向かい合い、それぞれの案を出し合うことを提案しても、皆「急に言われても・・・」だけだ。莞爾はともかく、みんながやる気がないことだけは分かった。

「莞爾は?老人ホームの設計で賞を取っていたよね」

私は莞爾に話を振った。

「グループ制作でまで老人ホームとか病院をやりたいとは思わない。今はショールームのデザインとかに興味があるんだよね」

「ショールーム?何の?」

「今のところはノーアイデアだ」


 そのうち、一人二人と、「サークルがあるから」「バイトが」と言いながら席を立っていく。

 教室には私と莞爾二人きりになった。

「文学館の展示なんかどうだろう?」

私は思い切って言ってみる。

「一年の時にレイ子と一緒に沢木耕太郎展を観たじゃない?あんな感じで」

「誰の展示をしたいの?」

「有名処。手塚治虫とか太宰治とか夢野久作とか」

「夢野久作・・・」

莞爾は腕を組む。

「好きな人は好きだけれど、いかんせん資料がないからなぁ」

「じゃあ太宰治は?作品数も多いし、研究書も揃っているわ。ほら、青森に太宰の生家がまだ残っているって言うじゃない」

「斜陽館?」

「そう、あたかも斜陽館の中で展示をするような感じでできないかしら」

「そうだねぇ・・・・」

「これを見て頂戴」

私は手持ちのスケッチブックを取り出す。暇を見つけては訪れた美術館や博物館の内部を簡単にスケッチしたものだ。

「君、ずいぶん回ったね」

「私もデザイン学科の学生だからね」

私は鼻の穴を膨らましつつ、言った。

「斜陽館の中身をそっくりそのまま持ってこなくてもいいよ。『人間失格』の中に印象的なシーンがあるじゃない。例えば、誰も食事中に誰もしゃべらないとか。お父さんの機嫌を取るために、お父さんの部屋に忍び込んで、手帳にシシマイと書き、自分があたかも獅子舞のおもちゃを欲しがっているように演じるとか」

「そういう描写があったね」

「だから、だだっ広いだけの薄暗い座敷とか、家長たる父親の部屋とかを再現して、そこで太宰の写真とか作品を展示したいの」

莞爾は身を乗り出して私のスケッチブックを繰っている。

「できないこともないかなぁ」

「でも莞爾だってほかにやりたいことがあるんでしょ?だからみんなでまた話そうよ」

「まあそうだね。でも俺としては太宰治展のデザインは面白いと思うよ」

「ありがとう」

「ところでこれは?」

莞爾はスケッチブックのあるページを開いて私に聞いた。

「これは大阪の民族博物館に飾ってあった干し首」

握りこぶし大の人間の頭部だ。いぶされて真っ黒に変色し、口と目が縫い合わされている。

「なんでこんなのをデッサンしてきたの?」

莞爾はあきれた顔だ。

「大阪まで遠征した記念に」

私は頭を掻き掻き答えた。

「肝心の斜陽館も見に行けたら良いんだけれど。ゴールデンウイークに行ってこようかな・・・・でも時間とお金に余裕があるかしら」

そろそろ留学の選考試験対策に本腰を入れなければならなかったし、留学資金もまだ貯まっていない。

「無理しなくていいよ。斜陽館の内部写真はいくらでも手に入るし」

 莞爾は時計を気にしつつ、

「ゼミ室に顔を出してくる」

と立ち上がった。私も図書館で英語の勉強をしたいので、ともに教室を出る。口には出さなかったが、時計の針が戻ったみたいだと思う。莞爾と共に武道の鍛錬をしていた頃のように。

 

春になって、もう一つの変化があった。それは艶子の妊娠だった。


 今度の今度こそ、お母さんは艶子を怒るかな?未婚で妊娠するなん教養のない人たちとおんなじだ。艶子は大手企業に就職が決まり、それも母の自慢であったのに、妊娠を理由にあっという間に退職することになって。


 しかし母親は艶子を叱らなかった。十二歳の少女が初潮を迎えるよりも、二十歳すぎの未婚の女が妊娠する方が恥ずかしいと思うのだが。母親には独自の価値観があるようだ。


 ショットガンマリッジ。こめかみに銃を突き付けられた聖一にもはや選択権はなかった。そのまま結婚になだれ込む。

 五月の週末が結婚式だ。こんな形で聖一と再会するとは思わなかった。私は聖一と二度と会いたくない一心で東海新幹線の車内販売のバイトを辞め、東北新幹線に鞍替えしたのだ。親や艶子は披露宴に陸も呼ぶようにと言い、陸もその気だったが、辞めておいた。どのような形で聖一との関係が露見するか分からないからだ。私は一張羅の振袖を着て結婚式に臨む。

「またこんなのを着て」

と母。

「だってこれしか持っていないもん」

「何でこんな着物を買っちゃったんだろうね。これは艶子や琴音の振袖の半額以下だったんだから」

また始まった。だったらもう艶子が結婚するのだから、艶子の振袖を私に寄越せと思う。


 式も披露宴も身内とごく親しい友人しか呼ばない質素なものだった。しかも数年前に起こった遺産相続の争いが尾を引き、式に呼んでいない親戚もいるぐらいだ。母御自慢の娘である艶子の結婚式なのに、盛大な華燭の宴にはならなかった。何故なら急いで結婚をしなければならない事情があるのだから。就職も駄目になった、豪華な披露宴の夢も潰えた、おまけに正式なプロポーズもなし。普段お高く留まって、自分が何か特別な存在であるかのように振る舞っていた艶子、しかしこれが現実だ。手持無沙汰の私はいつものように酒を煽り退屈を紛らわす。私は頬杖をついて高砂の二人を見つめた。

「肘をつかない!」

母が叱責をする。私は頬杖をやめ、その代わりうつむいてあくびをする。披露宴のフィナーレはお涙頂戴、花嫁からお母さんへの手紙だ。

「お母さん、お母さんはいつでも私たち姉妹の味方だったよね。私が夜中にぜんそくの発作を起こした時の事、覚えている?お母さんは慣れない夜道を運転して病院に連れて行ってくれたね。」

ここで艶子は手紙から顔を上げ、母をまっすぐに見つめ、

「お母さん、生んでくれてありがとう」

そして、筋書き通り、母号泣。

 くだらない茶番を見させやがって。私は忍び笑いを漏らす。母は病気の子供を看護する優しい母親の私、が大好きなのだ。案外子供に毒でも盛ってぜんそくを起させたんじゃないか。ここで心配なのが、私も陸との結婚式ではこんな猿芝居をしなければならないのだろうか?でもしなくてはいけないのだろう。母を怒らせたら、何かよからぬことが起こる。例えば相続で不利になるとか。

 生んでくれてありがとう?私なんて生まなければ良かったのに。


 母には私の出産前後それぞれに中絶の経験があった。なぜ私がそれを知っているか?それは母が私に話したからだ。堕胎は合法であるし、女性の権利でもある。では私も手紙でこう書くか。

「生んでくれて、本当にありがとう」

すんでのところで私も医療廃棄物になるところだった。都合の悪い時にできた子供はおろして良い、それが母の価値観であり、その価値観はいつも揺らがないし恥ずかしいことでもない。だからこそ私に言えたのだろうが。私は運が良いのだろうか。少なくとも母にとっては、場合によっては死んでもらう子、であったことは否定できないところだ。

 

披露宴が終わり、私たち親族は会場出口で参列客をお見送りだ。一度タキシードの聖一と目が合った。せいぜい不幸になればいい、私は目を反らした。



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