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キスが嫌いになったわけ  作者: 山口 にま
第四章
13/26

六道珍皇寺

 翌朝陸から返事が来た。

「おはよう。昨夜は熟睡していてメールに気が付かなかったよ。京都に行くの?行ってらっしゃい!楽しんで来いよ。もうすぐパースに着く。ケアンズから入った大陸横断の旅は終わりに差し掛かっている。当初の目的は果たせそうだけれど、やり残したことはまだある。ああ俺の旅よ、終わらないでくれ! 陸」

行ってらっしゃいって本当に行っていいの?私はあなたが止めたら行くのをやめるのに。私は再びメールをした。

「そうだね。楽しんでくるね。あなたも楽しそうにしているし 唯恵」

「楽しいけれど、お前に会えないのはつらい 陸」 

「私が誰と京都に行くかとか、気にならないんだね 唯恵」

「どうしたの?何かあったの? 陸」

私は返信をしなかった。


 数日後、陸からメールが来た。

「スカイプで話そうよ。今日の午後九時半(日本時間)にパソコンの前にいてくれ 陸」

言われた通りに午後九時半にパソコンを開いていると、スカイプの呼び出し音が鳴った。受話器のマークをクリックすると、音声も画像も乱れているが、陸と話が出来た。

「今どこなの?」

私が聞くと、陸は私の知らない地名を言った。

「オーストラリアの西に来ているんだ。元気?」

「元気よ」

「この間のメールで様子がおかしかったから、気になっちゃって。誰と京都に行くの?」

そんなことを聞いてもらいたいんじゃないのに。私は胸が詰まって、何も言えなくなってしまった。

「どうしたの?」

不安そうな陸の顔。

「何でもない」

「何でもないわけないだろう」

泣くもんかと思っていても、涙がこぼれてしまう。

「何で泣いているの?」

陸は聞いた。

 はたちの誕生日に実の母親に嘔吐の真似までされる私と、真夏のオーストラリアでみんなに誕生日を祝ってもらえるかれんちゃん。そして陸はかれんちゃんの方にいた。でも私にも意地がある。母にも恋人にもごみくずみたいな扱いをされことは口に出せない。

「陸はいつ帰って来るの?」

「三月二十五日の飛行機で」

「ずっと先だね」

「ごめん」

「いいよ。オーストラリア横断が夢だったんでしょう?夢を叶えてきてよ」

「でも・・・・」

「旅の仲間にも恵まれて、楽しそうじゃない」

「お前、そのことを気にしているの?」

「そういうわけじゃないけれど」

「俺のフェイスブックを見たの?」

「見た」

「ケアンズのドミトリーでみんなと知り合ってさ、それで旅の道連れになっただけさ。そりゃ女の子もいるけれど、あの子たちはそういう対象じゃないし、俺には唯恵がいるし。だから心配するなよ」

「私、バースディケーキのことが気になっているんだけど」

私はかれん嬢の誕生日のことを口にした

「ああ、あれ?あのケーキは俺が用意したんじゃないぜ」

「私も二月が誕生日だったんだけど」

あっという顔をして、陸は黙る。

「ごめん」

「いいよ。私がオーストラリアに行っていいって言ったんだから」

しかしその時は、陸が自分の殻を打ち破るための苦しい旅をするかと思っていたから許したのだ。それに私も誕生日を迎えた日に、自分の母から嘔吐の真似をされるとは思わなかった

「本当にごめん。帰国したら埋め合わせをするから」

「いや、もういいよ。残りの日程を楽しんでね」

「唯恵、愛している」

「ありがとう」

「ところで誰と京都に行くの?」

「デザイン科の友達と。でもまだ未定」

私はうそをついた。


 スカイプを切った後、私は午前中に京都に着く新幹線を探した。何をためらっていたのだろうかと思う。陸はひと月以上も男女のグループでオーストラリア横断の旅をしていて、私はたった半日兄のような男性と国内の観光地を巡るだけではないか。陸は言った。「あの子たちはそういう対象じゃない」と。私だってそうだ。聖一はそういう対象じゃない。


 金曜日の夜は睡眠薬を飲んで早めに床に就いた。土曜日は午前八時半の新幹線に飛び乗り、十時半には京都着だ。あの男、どうせ途中で怖気づく。約束の場所には現れないだろう。それでもいい。私は町の風景を写真に撮り、撮影禁止の場所ではデザイン科の学生らしくスケッチを描くだけだ。

 しかし男は予想に反して、京都駅で私を待っていた。彼はジーンズと黒いダウンジャケットといういで立ちだ。スーツ姿よりもより一層背が高く見える。今日はこの人と二人きりか。頬が赤らんでいくのが分かる。私は彼の前に立つと、ぺこりと頭を下げた。武道家の私は何でも礼に始まり礼に終わるのだ。それに私は自分の顔を聖一に見られるのが恥ずかしい。

「今日はよろしくお願いします」

「こちらこそ」

「私を悪漢から守ってくださいね」

私は冗談を言って、何とか自分の緊張をほぐそうとする。

「分かっているよ」

「私を置いて逃げては嫌ですよ」

「そんなことはしないよ。さあ行こうか。最初は六道珍皇寺でいい?」

「はい」

「じゃああの世に響く鐘を見に行こう」

私と聖一はタクシーに乗って寺に向かう。三月初旬の京都は寒い。雲が空を覆っていて、太陽は見えない。私は赤いニットのワンピースの上にキャメル色のコートを合わせている。


 タクシーはほどなくして六道珍皇寺に着いた。寺の前には「あの世への入り口 六道の辻」と書かれた提灯がぶら下がっていた。しかし肝心の山門は閉まっている。

「今日は休みなのか・・・」

力なくつぶやく聖一を尻目に、私は門の脇のインターフォンを押し、自分の名前を名乗った。

「c中尊寺と申しますが」

間もなく山門が開き、中から作務衣を着た中年男が現れた。瞠目する聖一にそっと、「事前に申し込みをしておいたんです」と耳打ちした。

 男は六道珍皇寺の住職だと名乗った。住職は私たちを境内に招き入れ、寺の謂れを説明する。

「この寺は京都では、六道さんと呼ばれていて、開基は弘法大師の師にあたる慶俊僧都きょうしゅんそうずです。でも開基には諸説あって、空海とも小野篁おののたかむらともいわれています」

住職の言葉は滑らかな京都弁だ。

「そしてこちらがその小野篁像です」

彼は閻魔堂前に私たちを導いた。閻魔堂の小窓からのぞくと、閻魔像とともに小野篁の立像が見えた。見上げるように大きい。

「小野篁の身の丈は六尺二寸、一九〇センチ近くあって、剣術、馬術など武芸全般に秀でていて、和歌も詠めば漢詩も詠む、言うなればスーパースターみたいなものですな」

確かに立像の姿は威風堂々たるものだ。

「この篁にはいろいろ伝説があり、昼は朝廷に出仕し、夜は閻魔庁につとめていて、この寺の境内にある井戸を通って毎晩地獄に通っていたそうです」

「毎晩?」

聖一は素っ頓狂な声を上げた。

「その井戸は今でもありますよ」

住職の言葉に私と聖一は顔を見合わせた。

「ほれ、その井戸があそこで」。

住職の指さす先には確かに井戸があった。

「残念ながら今は埋まっていますが」

「それで良いんです」

私は胸を撫で下ろしつつ、言った。

住職は白壁の建造物の前に立ち、

「そしてこれが鐘楼」

「え、これが?」

「鐘は地下に埋まっていますから、ここからは見えまへん。この鐘は毎年盂蘭盆にお先祖様の霊をお迎えするために撞きます。だからお盆の時期は京都中の人がこの鐘楼に集まって、三時間待ちで鐘を撞くんですよ」

私と聖一はまじまじと鐘楼を見る。

「この鐘が変わっているのは、普通の鐘は橦木しゅもくを押して鐘をつくのに、この鐘はこのひもを引っ張って撞くんですわ」

鐘楼の壁から綱が一本覗いている。住職は綱を手に

「ひとつ鳴らしてみまひょうか」

「いえ、結構です!」

私と聖一は同時に叫んだ。しかし住職はその手を止めなかった。鐘は地下に埋め込まれているらしく、地鳴りのような鐘の音が足元から響いて来た。

これ以上禍々しい鐘の音を私は知らない。死者も悪霊も、この世ならぬ不吉な魂が覚醒する音だ。私たちは何か取り返しのつかないことをしてしまったような気持ちになった。私と聖一が抱いた恐怖をよそに、住職は涼しい顔で、

「これで一通りの説明は終わりです。後はご自由にご参拝下さい」

と言って、寺務所に帰ろうとする。

「あの、拝観料は・・・・」

私は住職の背中に呼びかけた。住職は振り返り、

「お布施ならば本堂の賽銭箱にどうぞ」

だけだった。


 私と聖一は靴を脱いで本堂に上がり、本尊の薬師如来に合掌した。私は千円を賽銭箱に投じる。

「しょっぱなからすごい所に来ちゃったね」

聖一は私に身を寄せてそっと囁く。私は無言で頷いた。

 せっかく来たのだからと境内を散策し、デジタルカメラで写真を撮って回った。鐘楼の写真を撮っていると、

「唯恵ちゃんの写真も撮ってあげようか」

と聖一が私のカメラに手を伸ばす。私はカメラを彼に預け、鐘楼の前に立った。聖一は二回シャッターを切る。私はその場で撮った画像を確認した。

「あらら、二枚とも目を瞑っちゃったわ」

「あ、本当だ。ごめんね」

聖一は画面を覗き込んだ。

「なんだかまるで・・・・」

まるで死んでいるみたい、私は自分の不吉な言葉を飲み込む。

「もう一枚撮ろうか?」

聖一の申し出を私は断った。次の写真も目を瞑っていたら、それは偶然では済まされない。私と聖一はそそくさと寺を後にした。


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