取り残された母と娘
留学費用百万円を貯めることが当面の目標となった。私は新幹線の車内販売のアルバイトをするようになっていった。時々東京駅に陸が迎えに来てくれてバイトの帰りはそのままデートだ。
「大学の卒業式を終えたその足で区役所に行ってもいいんだぜ」
陸はそんなことを言って私を喜ばせた。結婚相手は陸以外に考えられない。
莞爾とは疎遠になっていった。莞爾は二年生になっていくつかの校外コンペで入賞したり、その時に出品した老人ホームの模型が工学部のロビーに展示されたりと、相変わらずの教授の寵愛ぶりを発揮していた。
「すごいじゃない」
そんな簡単な賞賛の言葉さえ莞爾は私から受け付けようとはしなかった。莞爾は学園祭で卒倒したことを深く恥じているのか、その場に居合わせて人間すべてから距離を置きたがっているように見えた。
クリスティーナとは楽しく過ごしていたが、トーフルの点数は伸び悩んでいた。年末に行われた交換留学の選考で私は選ばれなかった。
「失望しないで。来年があるでしょう」
クリスティーナはそう慰めるが、私の気持ちは晴れない。いつも何かが私の行く手を阻んでいるように感じてしまうのだ。それは不眠であり、抜毛癖であり、生来の能力の低さである。
後期の試験が終わり、大学は長い春休みに入った。私の周りは急に静かになる。卒業を控えた艶子と琴音はそれぞれ卒業旅行と称する長期の旅に出かけて行った。陸は陸で私を置いてオーストラリアに旅立った。
二月の小春日和、私は陸を見送りに成田空港へ出向いた。陸のダウンジャケットの下は半そでのTシャツだった。南半球は今真夏である。
「行ってくる」
陸は言った。
「言葉も通じない外国で、自分がどこまでできるか試して来る」
陸の目標はオーストラリア横断だ。陸の道連れはいない。出国ロビーで私たちは口づけを交わして別れた。
私の休みはアルバイトと英語と、美術館巡りに費やされた。
不機嫌なのは母親である。最愛の娘たちがいなくなって、どうして一番気の合わない末娘だけが居座り続けるのか。艶子に次いで琴音が家からいなくなった翌日は私の二〇歳の誕生日だった。普段通り夕方にアルバイトを終えて家に帰ると、晩御飯は私の嫌いな鳥の水炊きである。母親はすでに酔っていて、不機嫌な顔で言った。
「あんたはてっきり外食して来るかと思ったわよ」
「そういう予定はないけれど。陸は日本にいないし」
「ケーキは買っていないわよ」
「別にいいよ」
「あんた何歳になったの?」
「はたち」
「うげー」
と言って母親は吐く真似をする。成人を迎えたこの日は醜く年老いていく一里塚だ。五〇に手の届くあんたは棺桶に片足を突っ込んでいるけれどね。早く死ね。私は心の中で毒づく。
「唯恵もお酒を飲むかい」
と父親はとりなすように私にビールを注ぐ。この人はその程度のことしかできない。まずい酒だ。母親はいつもそう、みそぼらしいものを私に与えて、「これがお前にお似合いだ」とばかりに、与えたもののみそぼらしさをいつまでも口にする。名前も、工業団地で買った安い振袖も、この欠陥だらけの私自身も。じゃあ生まなきゃいいのにね。
父親も同窓会旅行で留守にしていたある夜、母の苛立ちは最高潮だ。母は妬みの神だった。自分以外が楽しく過ごすことに我慢がならない。そして自分と同じく置いてけぼりにされるのは、自分と同じように友達もいなければ楽しい予定もない、ある意味似た者同士の魯鈍な末娘だった。
その夜食卓に上ったのは、これまた私の嫌いな湯豆腐だ。寂しい夜、母は手酌でビールを煽っている。私は申し訳程度に湯豆腐を一椀だけ片付け、あとは納豆でご飯を食べている。
「艶子と琴音ならおいしいおいしいってご飯を食べてくれるのに、あんたは何にも言わないのね」
「おいしいよ」
「とってつけたように言わなくてもいいのよ」
この人は私がポン酢が苦手だと知らない。子供が食べ物の好悪を口に出したら母は「じゃあ食べるな!」と逆上する、それが我が家の食卓風景だった。彼女は子供の味覚一つも把握できない母親不適合者だ。
「私、あんたのことで許せないことがあるのよ」
母は酒で顔も眼球も真っ赤になって言った。
「何?」
「私とおばあちゃんが喧嘩をして、私が悲しんで泣いている時、艶子と琴音はすぐに飛んできて私を慰めてくれたのに、あんたと来たら、『お母さんはヒステリーだ。今お母さんはおばあちゃんの悪口を言っているんだよ』って言ってきて。何で我が子にこんなことを言われなければならないんだろうって、情けなくって余計涙が出て来たわよ。覚えている?」
私も覚えている。保育園の頃の話だ。よくもまあそんな古い話を。
その話には伏線があった。私は幼いころからいつも疎外感を抱えていた。母が艶子や琴音と仲良く話していても、私は決して入れないのだ。特に仲良くしているのは母が誰かの悪口を言っている時。そうだ、私も悪口を言えばお母さんと仲良くできるんだ。そこで私も悪口を言ってみた。ただ私が愚かなのは、あろうことか母方の祖母を悪く言ってしまったことだ。母が艶子たちと楽しく悪口を言っていたのは常に父方の祖父母や叔父叔母だったのに。
果たして私が祖母を悪く言ったら_____。普通の母親だったら、そんなことを言うものじゃないとたしなめるか、児童心理に関心がある母親ならば、その悪口の訳を聞いてくるだろう。しかし私の母親はそうじゃない。とても子供に対するとは思えない剣幕で
「あ、そう!そういうこと言うの!?じゃあ今からおばあちゃんちに電話して、唯恵が悪口言ったって言いつけてやる!」
と受話器を持ち上げたのだ。五歳か六歳の私は声の限り、
「やめてー!やめてー!」
と泣き叫ぶしかなかった。母はそばでことの成り行きを見ていた艶子と琴音に目配せをした。そして薄ら笑いで言った。
「この子ってヒステリーなのね」
そんなことがあった後、祖母の家で母と祖母が喧嘩になった。母はだらしのない女性だった。そのだらしなさに対して祖母が嫌味を言ったのだ。(祖母と母親はそれはそれは仲の悪い親子だった)
「そんなことを子供の前で言わないでよ!」
母親は金切り声を上げた。祖母も負けじと言い返す。母は五歳の私と同じように泣き叫びながら別室にこもり、大きな音を立ててドアを閉めた。この人もヒステリーだ。
三人の子供たちは母を追いかけた。母は暗い部屋で、これまた子供のように布団をかぶって泣きじゃくっている。
「おばあちゃんはひどいでしょう?おばあちゃんはいつだってそう。いっつもお母さんをいじめるの」
そう子供たちに訴える。この人は何なんだ。私がおばあちゃんの悪口を言ったり、その悪口を言いつけられるのを恐れて泣いてしまったことを「ヒステリー」と言ったくせに、自分だって同じようにおばあちゃんの悪口を言って、泣き叫んでいるじゃないか。私にむくむくと復讐心が湧いて来た。仕返しをしてやるならば今だと思った。そして、言った。
「お母さんはヒステリーだ」
「子供は空気が読めないところがあるから。お母さんごめんね」
私は謝った。ここで母親を怒らせたら大学の授業料を払って貰えなくなる。大卒の資格を手にして、定年まで働けるような会社の正社員となり、陸と結婚してこの家を出ていくこと、それだけが私の夢なのだ。大学を卒業できなかったら私の夢は叶わない。金のためならば私はいくらでも頭を下げることができた。これは売春だ。
大学を卒業せずに陸と結婚するか?
それもごめんだ。自分の収入を確保しておかなかったら、今度は陸が私を金の力で隷属させるだろう。母に限らず人間はみんなそう。金のある者は金の力で相手をコントロールする。金がなければ誰かの奴隷になるしかないのだ。
では就職したら、陸との結婚を待たずに家を出ることは?それも出来れば避けたい。結婚以外で家を出るのは、母に対する謀反とみなされる。謀反なんか起してみろ、報復に私に不利な遺言書を書かれるに決まっているではないか。
私が殊勝に頭を下げても、母の機嫌は直らない。なお私を攻撃してくる。(母は酒乱なのだ)
「結局あんたの留学話はどうなったの?」
「今回は駄目だった。次回頑張る」
「あんたの出来の悪さ、誰に似たんだろうね」
それはあなたに似たのですよ。私は心の中で言い返す。母はさらに言葉を継ぐ。
「艶子が言っていたけれど、あんた、髪の毛を抜く変な癖があるんだって?」
この人は本当に私の母親だろうか。目の裏側でわっと涙が湧いてくる。泣くもんか。私は目を見開いて冷めた湯豆腐を睨み付けた。
「そんな変な癖があるから、何をやっても失敗するんじゃないの」
普通に考えたら子供の精神疾患は親に責任がある。それなのにこの人は自分を顧みることもなく、私の病さえも私を攻撃する材料にする。私がこんな変な病気で人生がうまくいかないのはあんたのせいじゃないか。私は顔を上げて母親を睨み付けた。泣いたらまたそれもあざ笑われる。泣くまいと思っているのに顔を上げたとたんに涙が溢れ出てくる。
「何?泣いているの?」
案の定笑いを含んだ母親の声。殺してやりたいと思った。この女の髪の毛を掴んで思いっきり窓ガラスに顔を打ち付けてやり、割れたガラスの中に顔を突っ込んで息の根を止めてやったら。(私が武道サークルに入った理由も、母や艶子達を殺せる力を手に入れたかったからだ)。
私は泣きながら食器を台所に片付け、洗面所へ。そして引き出しを開けて、母親のランジェリーにぼとりと唾を落とした。それだけでは飽き足らず、それを床に落として何度も踏みつける。
今すぐにでもこの家を出たい。でも今出たら負けだ。高卒のままではろくな就職先はないだろう。私は自分の部屋に戻って、またいつものように髪の毛を抜いてしまう。一生こうだ。こうやって髪の毛を抜きながら、人生を呪い、四〇歳になって五〇歳になって、髪を抜くおばあさんになっていくのだ。デパスを何錠も飲んだが、今夜はいつまでも眠気は訪れず、私は空が白むまで髪の毛を抜き続けるのだった。




