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キスが嫌いになったわけ  作者: 山口 にま
第三章
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お母さんの欲しいもの

 五月。もうすぐ母の日だ。一年のうちでこの日と母の誕生日は二大嫌な日だ。母はこの日は自分が主役で、何をやっても許されると思っているようだった。


 小学生一年生の母の日。私は貯金箱の金を使い、母親にカーネーションの一輪挿しを贈った。母は言った。

「切り花はすぐに枯れるから嫌い」

私の小さな胸は鉛を飲み込んだように重くなる。やがてその重みに耐えられなくなり、涙が出てきてしまうのだ。母は自分が大人だということを時々忘れてしまうようだ。小学生と一緒にいると彼女の精神年齢は小学生並みに下がってしまう。


 翌年、私はカーネーションの鉢植えを贈った。母は礼を言うどころか、

「カーネーションは嫌いなの」

私はこらえ切れずに泣き出してしまう。母はさすがに私を哀れに思ったか、しゃがみこんで私と目線を合わせ、

「お母さんを喜ばそうと思ったのね。ありがとう」

そして付け足した。

「でもお母さんカーネーションが嫌いなの」


 さらに翌年。小遣いを握りしめて近くの園芸店に行き、

「長く花が咲く鉢植えの花を下さい」

店員は

「母の日用?じゃあカーネーションは?」

「お母さんはカーネーションが嫌いなんです」

「珍しいわね。バラはどうかしら?」

しかし鉢植えのミニバラは私のひと月のこずかいの三倍だった。じっと値札を見る私に店員は、

「じゃあサボテンは?長く楽しめるわよ」

赤い花をつけているサボテンはカーネーションの鉢植えと同じ値段だった。私はそれを買い求め、母に渡した。母は言った。

「なにこれ?」

それだけだった。


 翌年、私はもう何も贈らなかった。姉たちも同じ気持ちだったらしく、夕方三人でテレビアニメを見ていると、

「今日は母の日なのに何にもないのね。私もプレゼントが欲しい・・・・」

と泣き出した。私たち三人は顔を見合わせた。大人の涙って汚いと思った。しかしお母さんが泣いてただで済むはずはない、絶対に何か仕返しをされる。私は震えた。ただ姉たちは愛されている自信があるのか、私のように怯えているようには見えなかった。


 それからは私は母の日と誕生日にプレゼントを贈り続けた。母が喜ぶかどうかは関係ない、贈ったという事実が大切なのだ。これは母の報復から逃れる祈祷料だ。


 私が中学生になったころ、近所で葬式があり、母親が手伝いに行ったことがある。帰って来るなり母は言った。

「私だけエプロンを持っていかなくって恥ずかしい目に遭った」

それから間もなくの母の日。私はイブサンローランの高価なエプロンを母に贈った。

母は包みを開けて、顔色を変えた。

「これ、どういう意味?」

「この前のお葬式でエプロンがなくって困っていたから」

私は少し誇らしい気持ちで答えると、

「女性にエプロンを贈っちゃいけないんだよ」

間違い探しを見つけてやった、と言わんばかりの母の口ぶり。

「エプロンを贈るのは、女は家事だけやっていろって意味なのよ」

とフェミニストみたいなことを言い出すのだ。しかし、本当に日本にフェミニズムが浸透し男女平等になったら、母のように学歴がなく、働いたことさえない専業主婦は路頭に迷うのではないだろうか。

普段は「内助の功」「子供のただいまを聞くのが母親の役目」などと言って自分が働いていない事を正当化しておきながら、私を攻撃する為には男女平等主義に鞍替えするのだ。


 今年も母の日が近づいて来た。私たち姉妹は母にプレゼントのお伺いを立てる。母はバックが欲しい、ゴルフウェアが欲しい、と具体的に言う。私たちはお金を出し合って母の要求に叶うものを探して贈る。そうして母の日当日。包みを開けた母の第一声はこうだ。

「これじゃないのに」

その後、

「アーノルドパーマーは好きじゃないの」

更には

「私はまだ若いつもりなのに、あんたたちにはこんな色が似合うようなおばあさんに見えるようね」

と考え付く限りに悪態をつくのだ。毎年毎年ふざけるな。私は思うが黙っている。母は金づるだ。万が一の時には留学費用を借りることもあるだろう。母を怒らせるわけにはいかない。艶子と琴音は、

「これがいいと思ったの」

と平身低頭だ。母はさらに高圧的に

「こんな色似合わない。体にぴったり過ぎで太って見える」

「じゃあ違う色に交換してこようか」

琴音がとりなすように言うと、母は「それはいい」と断る。

 そもそも母はゴルフウェアが欲しいわけではないのだ。自分が主役の日に横暴にふるまうのが好きなのだ。母が欲しいのは、子供たちの傷ついた顔、そしてそれでも健気に母の機嫌を取り続ける子供たちの恭順さだ。虐めても虐めても反撃してこない、そうやって母は自分への愛情を確認する。愛情は一方的に捧げるものでも奪うものでもない。互いに積み重ねて行くものだ。母にはそれが分からない。もっと欲しいもっと欲しい、子供みたいに駄々をこねている。幼児性の裏の凶暴性を垣間見て、私はますます母親が嫌いになっていった。


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