青年の正体
全ては夜琴の夢の中。青年の名はそこには無し。
そして今日も私は夢の中にいた。また。
そして今日も青年は目の前にいた。また。
ここは地下牢。鉄と黴の匂いのする冷たい空間。
そこに私と青年とあと数えきれないくらいの人数の汚れに汚れた油にまみれた裸の人間。
私は一瞬自分も裸なのかと思ったが、そうではなく、白い服で。
青年は黒い外套を羽織り、またフードも被っていて。
あの時と同じように、顔が、見れない。
ああ、人々がうめき声を上げる。苦しい。くるしい。なんだかもう。
青年だけがあまりにも高潔だから、じわじわと自分が汚れていくようで。
怖いんだ。ただひたすらに怖いんだ。目に涙が溜まっていく。
青年がこっちを向いた。静かにしろ、声を上げるな、と言いたげに。
しばらくすれば、そこには冥界の女王、とでも言えそうな、赤い目をした黒髪の、遺伝的にはあり得ない容姿の、女が立っていた。
「今日は新しい客がやってきたね、さあ、少しでもお前らの魂が清められたか、見てやろうじゃあないか」
乱暴な物言いをする人だ。しかもなんだかセリフが痛い。
女はグラスを取り出し、いつの間にかいた、顔を黒いヴェールで覆った人が白ワインのようなものを注ぐ。人々は首をうなだれてここに並ぶ。
「何をちんたらそこに立っているんだ! 初めてだからと言って行動を乱すな!」
私は女に叱られた。青年は、腕組をして、そこに立っていた。
「ふん、お前はまだまだだな! さっさと牢に戻れ!」
1人ずつ、女は人々にグラスをかざす。するとたちまち血のような深紅にワインのようなものが変わる。人によって濃かったり、薄かったりする。ざわざわと胸が騒ぐ、苦しくなる。怖い、怖いんだ。
ああ、ついに来てしまった、私の番だ、ついに。指先が痺れる。震えて仕方がない。
「ほう、…? ああ、間違いだ、帰れ、帰れ。ここにいては汚れる。帰れ。ここは無限回廊。無限牢。お前が来るところではない。さっさと行け、上に怒られる、行け」
この人は何を言っているのだろう。帰れるならもうすでに帰っている。
「じきに分かる」
苦々しい顔で女は言い、青年にグラスをかざしていた。
いつの間にか白い光に包まれ、視界が途切れる。最後に見たものは、青年の凍った眼と、グラスの中の液体が無色透明になっている所と、女が唖然としている顔だった。
待って、待って。私は貴方と離れたくない。貴方と離れたら、何もかもが怖い。分からないの、ここから逃げ出したいの。悪い夢に囚われてるの。やめて、やめて。死んじゃう、恐怖で死んじゃうよ。いやだよ、嫌だ。助けてよお。怖いの、怖いの、やめてよ、どこかに消えないで!
ふと目の前には、重々しい扉。なんだか城の扉みたいな。青年はいない。見当たらない。でもここ以外行けそうにないから進むしかない。というのも、この空間はあの階段と同じように全部白塗りだから。
開きそうもない扉を押す。
「ギィ」
という音がした。案外楽に開いたものだ。杞憂していた自分がバカみたい。
急にふと声がした。
『ほら、気をつけてよ。NOX。あの青年は貴女の味方。ただし、ね。気を強く持たないと貴女はおかしくなっちゃうよ?』
この声は紛れもなく、アリスの声だ。分かってるよ、忠告しなくていいよ、私は、もうすでにかなり精神消耗してるからさ。本当に、これまでの悪夢でさ、なんにも話してくれない青年にすらしがみついてるんだから。馬鹿だよ、私はそこはかとなく嫌というほど愚かだよ。
そして扉を完全に開ける。そこには、厳しくて優しそうな60代くらいの女の人と、賢人のようなオーラを出している老人がいた。そして、フードをとった青年も、いた。助かった、と思った。
実はこれが絶望の極地だなんて、その時は考えもしなかったのに。それは、別の話。話。
全ては、繋がっているのでした。