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ムーンライト・ラブ・パラノイア 上

あぁ………なんということでしょうか。




あの徳永くんと修学旅行で同じ班になってしまうなんて、心臓に負荷がかかって寿命がきっと数年単位で縮まってしたのではないかと思ってしまう程です。




私、南梨乃はバスの席になんだか上機嫌に座った徳永くんの横顔を、薄い修学旅行のしおりごしにこっそりと盗み見みます。

うわーまつ毛がとっても綺麗とか、鼻筋が綺麗とか、結局教室で思ってることと全然変わらないのですけれど、今日に関しては距離が今までのそれとはもうびっくりする程段違いで、あぁー徳永くんなんでこんなにいい匂いがするんだろうなんて、まるでお風呂上りみたいにぽわぽわとした頭で考えていると、不意に声をかけられました。




「うん? あれ、顔になんかついてますか!?」




「うわひぃ!! な、ななななんでもありません!!」




こっちを見て不思議そうに首をかしげる徳永くんに驚いてしまった私は、驚いた猫みたいに身を固めて軽く飛び上がってしまい、急いで視線をしおりの方に戻しました。




あぁ、もう最悪です……。完全にただの不審者じゃないですかこれじゃ。せっかく今までで一番お近づきになれるチャンスで、出鼻から変なやつって絶対に思われてしまいました。

いや、別に徳永くんとどうこうほにゃららになれるなんて思ってないですけど!!




徳永くんとは一年生から同じクラスでした。徳永くんは私のこと全然知らないと思いますけどね、あはは……。

徳永くんは手足もすらっとして長くて、多分メイクを施したら私なんかよりよっぽど美人になってしまうぐらい綺麗な顔をしていて、それからちょっと変わってて。

そしてとってもあったかくて、とてもとても優しいのです。




別に私が徳永くんに何かをしてもらったり、劇的に助けてもらったとかそういうことじゃないのですけど、そうですね、雰囲気なんです。他の男の子とはこうなにか雰囲気が違っていて、上手く言えないんですけど、女の子に対する言葉遣いとか目線とか気配りとかそういうのが他の男子とは何か違ってて。

調理実習の時間に他の男子たちが女子に任せっきりで後ろから見ていた中で、一人だけ黙々と手際よく作業している姿もすごく印象的で。




気付けば教室にいると、私はいつも徳永くんを視線で追っていたような気がします。

一度意識してしまってからはもうあっという間で、日向の方にしつこく顔を向ける向日葵みたいな感じでした、私。




『「思いだす事などの」の中に思いだす事が、日を経れば経るに従って色彩を失うのはもちろんである』




夏目漱石さんがそんなことを言っていました。

それはまだ17年ぐらいしか生きていない私にはよくわからない一節でした。

だって私は一年前の徳永くんのことを見つめていた日のことをカラフルに思いだせるからです。

その時の空の色から、校庭の喧騒、教室の窓から入り込んできたちょっぴりきつい金木犀の匂いとか。




仲良くなりたいとか、喋ってみたいとか、触れてみたいとか、付き合いたいとか全然思わないっていったらそんなのただの強がりに思われるけど、不思議と強く思いませんでした。




それは多分私にとって徳永くんが、水面に浮かんだ月のような、穏やかで悠然で、美麗でそれからちょっぴり親しみがあって、そしてやっぱりどうやっても絶対に手に入れることができない超然的なものであるって確信しているからだと思ってます。




私みたいな地味で本ばっかり読んでる暗い女の子がきっと徳永くんの目にかなうなんて到底思えないですし……。




それに私は徳永くんを見ただけで胸があったかくなるというか幸せになるというか、その日どれだけ嫌なことがあっても『徳永くんに今日も会えた』なんて他の人から見たらとても下らなくて些細なことで、幸せな思い出に上書きされるぐらい単純な構造になってしまっているので。




そんなセンチメンタルで、少しつついたらきっと金切り声を上げて崩れ去ってしまう脆い私のすぐ横に、徳永くんがいるなんて!! こんな異常事態にさっきから私の体はもうずっとエマージェンシーを訴え続けています! 

それはそうです! 月はやっぱりあれぐらい適切な距離にあるからこそ、綺麗に見えて、楽しむ余裕がある訳で手を伸ばしたら触れてしまう位置に月があったらもうそれはそれはとてもとてもとてもとてもとても大変ことになってしまう訳ですからうわぁー!引力であばばがrがrぎrgjけrl!!!




激しくて狼狽して気を失ってしまいそうになってしまうのをごまかすために、私はしおりを丸めて急いで鞄にしまうと、暇つぶしに持ってきたもう何回読んだかわからないくらい読んだ、角がすっかり潰れてしまった文庫本を一冊取り出して、それに視線を落としました。




「……バスの中で本読んで、酔いません? 大丈夫っすか?」




「はぅ!!??」




文庫本を顔にあてて、視線だけ横に向けると徳永くんなんだか心配そうな表情でこちらを見つめてきていました。

あわわわ……直視しないでください!! 溶けますから!!




「の! ……乗り物酔いは滅多にしないので大丈夫ですぅ……」




やっとのことで喉から飛び出した声は第一声が裏返ってしまってあぁ……もう!!




徳永くんは少し苦笑いを浮かべた後、




「なら、良かった。ちなみに何読んでるんですか? ライトノベル? 今大人気の異世界でダンジョンでチートでニートでハーレム系?」




徳永君はそんなクトゥルフ神話の召喚呪文みたいな意味不明なことを言いながら私が顔にあてていた文庫本の方へ興味深そうな視線を向けてきました。なので私は本の表紙を徳永君の方へゆっくりと向けました。




「えっと……室生犀星の『或る少女の死まで』です」




私がタイトルを小さな声で読み上げると、徳永くんは笑顔のまま数秒程固まってしまいました。

あわあわわわわ!! ドン引きさせてしまいましたか!!?? 




「なんかおっかないタイトルの読んでますね? サスペンスもの?」




「いやいやいやいや! 全然そんなんじゃないよ! 恋愛小説……とは少し違うけど、とても綺麗で繊細な感じの……」




「おおう、やっぱり南さんは文学少女でしたか! 俺なんて教科書の『こころ』読んで文学少年気取ってるレベルだから……けどあれは一部分だけどなんかすごいグサっときたっすねー!」




「こ、こころは読みやすいからおすすめだよ! 漱石さんは王道だけどやっぱりすごいというか……」




「でも先生ってあれだよね、ぶっちゃけダメ男っていうかなんていうか……あの時代ってああいうダメンズが流行りだったんですかね?」




「あははは! 確かにダメ男かもです。あの時代だったらこの作品の主人公は……」




矢のように過ぎて行く窓の外の見慣れない景色も、他の席から聞こえるいつもより浮ついた同級生の声も、それが全部窓一枚隔てた世界に感じるぐらい、まるで私と祐亜くんしかいない、そんな不思議な感覚の中で、私は徳永くんと信じられないことに会話を成立させていました。




昔、おすすめの小説を読みたいと言われた同級生の女の子に、あまり好きな事を話すきっかけがない私は熱く語り過ぎてしまってひかれてしまったことがありました。返ってくる言葉は「うん」とか「あぁ……」とか「おもしろそー」とかそんな言葉ばかりで。




けれど横にいる徳永くんは全然小説の知識なんてないはずなのに、相槌をうつだけじゃなくて会話の節々に自分の感想とか、これはどういうこととか、まるで私が気持ちよく話せるためのお膳立てをしてくれているような、そんな感じがしました。




あぁ、なんかすごいお父さんに似てるなー。

私がこんな感じで小説の話をした時、お母さんは目を点にしてぽかーんとしてたけど、お父さんは首を立てに頷かせながら、けれど話を躓かせないようにその場その場で最低限の言葉を挟んで……。




そんなお父さんだから、私が17歳になった今でもお母さんはお父さんにべったりで。こっちが胸やけするぐらいです。




話していてなんだか分かった気がしました。私が徳永くんに勝手に感じてた安心感というかシンパシーというか、それの理由が。





最初どもって、緊張で顔が真っ赤になっていたのが嘘みたいに言葉がぺらぺらと出てきて、小説以外のことも普通に話せて、なんだか徳永くんと一気に仲良くなれたような感じがした時には、バスは空港について動きを止めてしまいました。




一時間を10分ぐらいにぎゅっと圧縮してしまったような、それぐらい濃密で楽しくて終わって欲しくない時間でした。あぁ、もうなんだかとても満足で、このまま修学旅行がここで中止ですって言われたって、私はこの時間のことを思い出してずっとニヤニヤして過ごせます。




「あぁーやっぱ自分の知らない事知ってる人と喋るの面白いっすねー! ありがとうございました!」




バスの席から立ち上がりながら徳永くんは足元に置いてあった手提げ鞄をひょいっと持ちあげてニコニコ笑いながら、そんな私の顔が一瞬で真っ赤になってしまうような言葉を口にしました。




「い、いやこちらこそ徳永くんと話せて……」




「あ、祐亜でいいですよ。隣のクラスにその名字と同じ暴力女お姉ちゃんがいるんで」




徳永くんはそう言って苦虫を噛み潰したような表情を浮かべました。

あぁ、そう言えば徳永くんのお姉さんはあの美人さんの生徒会長でした。

なんという美男美女姉妹なんでしょうか! でも生徒会長は品行方正で、全然暴力女なんて感じしないですけどね。




「まぁ、学校にいる時の姉貴はビクザムばりの厚い装甲で覆われてますからね……まぁ、いいや。さっさと飛行機に乗ってレッツゴー関西ですよ! イエーイ京都!! ふー!」




徳永くんはそう言ってとても上機嫌に鼻歌を歌いながら、さっさとバスを降りていってしまいました。




徳永くんが横からいなくなって初めて、バスに乗っている間ずっと徳永くんと話していた、そんな今までの私の歴史ではありえないぐらいの異常事態が発生したことを改めて実感して、それからあれが果たして本当だったのか?なんてどこか白昼夢みたいな感じもして、そうしたら急に私の小さな心臓がバクバクと悲鳴を上げ始めました。




「やるじゃん! 梨乃!! コミュ障の梨乃ちゃんが憧れの徳永くんとずっと話せるなんて! いや、この場合は徳永がすごいのかな?」




一人夢見ごごちで居た私の席の後ろから、ひょいっと顔を出して後ろからほっぺを摘まんでぐりぐりしてきたのは一番仲良しの野尻あきちゃんでした。

私とは正反対の活発で明るい女の子で、私はいつもあきちゃんに引っ張ってもらってる感じで。




「あきひゃん、いふぁいよ」




「いやー後ろから観察させてもらってましたけど中々ポイント高かったですよ? でももうちょっとこうグイグイ言っても良かったかなー? 梨乃のライバル達は超強力だからね?」




「ラ、ライバルとか!!?? 全然そんなんじゃないから!?」




「いやいやあると思うよー修学旅行マジック? まぁ、いいや。うちらも行こうか」




あきちゃんは自分の言いたいことを好き勝手述べた後、私より先にバスを降りて行ってしまいました。




修学旅行マジック……ごくり。








いやいやいやいやいやいやいやいや!! 私が徳永くんとなんてそんな恐れ多い!! 

私にとって徳永くんは見てるだけでいいというか手の届かない触れてはいけないというかそういう……そう! 天然記念物みたいな感じだから! トキみたいな! そう私にとってとくながくんはトキながくんなんだから!




けど好きな人と付き合うってどんな感じなんだろう……。

クラスの女の子やお友達の女の子は修学旅行前に彼氏が出来たっていう子が結構多くて、勿論その前から付き合ってるみたいな人もいて。

彼氏とこんな所に行ったとか、彼氏とあれやこれやをしたとか、それこそ私には刺激が強すぎる生々しい話を聞くこともあるけれど。

全部どこか、それこそ文学小説に出てくる、官能的な描写や要素みたいな、自分とは全然関係のない別の時代の空想や妄想の話みたいなそんな感じがしていて。




うん……もし自分の身にそんなことが起きたとしたら、




……鼻血が出てきました。




そんなこんなで仲の良い女の子グループで空港の搭乗口までの広い通路を歩いていると、少し前に徳永くんの姿を発見しました。




他の男子と楽しそうに話している徳永くんをまたぽぉーっと眺めていると、私の横を誰かが小走りで走り抜けて行きました。




肩より下まで伸びた長い綺麗な淡い桃色の髪が揺れていて、そんな綺麗な髪の持ち主の彼女は、徳永くんの少し後ろ辺りで一旦止まった後、勢いよく、そして完全にわざと徳永くんにぶつかっていきました。




「いたっ!! どこに目つけてやがるんですか! このあんぽんたん! あぅ!」




「少なくとも後ろにはついていないんだよなぁ……来夢ちゃんよぉ」




あぁそうだ。彼女は副会長の姫神さんです。

姫神さんはいいから頭を撫でてよ! と飼い主に体をすり寄らせる子猫みたいな感じで徳永くんの横に行って、腕を引っ張ったり、自分の持ってる鞄を徳永くんの体に軽くぶつけたりしています。




「あう! 来夢の鞄持ちをさせてやらんこともないですよ! ふん! ほら! ほらほら!」




「お、そんなあなたにぴったりな便利スポットが見えてきたぞ。あれゴミ箱っていうんだけど、邪魔だったら鞄突っ込んできたらいいよ」




「なるほど……ってばか!!」




なんか息のあった夫婦漫才をまざまざと見せつけられてしまった私の脳内ではさきほどのあきちゃんの




『梨乃のライバル達は超強力だからねー』




という言葉が延々とリフレインされていました。




超強力なんてもんじゃありません。私が竹やりを装備した一般兵だとしたら、姫神さんはゲイボルグを投擲するクー・フーリンです! 勝負になってません! 一方的な虐殺ですこんなの!




姫神さんは可愛らしくて、男子からも人気があって、華があって、私よりも胸が大きくてあぁあああもう!!!!

勝てる要素がありません!! 勉強だったら多分私の方が順位上だけどそんなの恋愛で加味される要素じゃありませんし、って恋愛とか何を言っちゃってるんでしょうか私!!




けれど私が見た、この光景は、つまるところまだ序章に過ぎず、私はこの旅の中で、徳永くんがどれほどの女の子たちに深い愛を持って慕われているのかを、身を持って知ることになるのでした。

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