移転作業、完了です……
「え?」
「ふぁ?」
結衣の間の抜けた声と葵の気の抜けた声が重なりました。
あぁ、なんてこった。なんてこったい。こんな時どういう顔したらいいんでしょうか、これってトリビアになりませんか、よろしくお願いします。
うわあああああああああああああああああああああああああああああああ
あらん限りの力で悲鳴を上げそうになるのを必死にこらえて、俺は自分のあまり優秀ではない脳をフル稼働させましてこの状況を打破する最善策とやらを思考してみました。
うん、ない(断定)
「えっと……葵……ちゃんだよね?」
「ふわ? そんなあなたは神村結衣さん?」
なんだか奇妙な冒険的な邂逅をしている二人を見て、俺はそうだ姉貴がいたと! そう思ったのでした。なんかこう話がややこしくなる前に姉貴に説明してもらえば良いのだと!そう思ったのでした。ザ・スタイリッシュ他力本願。
「そこ祐亜の部屋だよね……? なんで葵ちゃんが下着姿で……?」
ほらほらほらほらほらほらほらほらややこしい方向に飛んでいっちゃいそうですよ!!お姉ちゃぁあああああああああああああああああああんんんんん!! ハリー!ハリー!ハリー!カモォオオオオオオンンン!!
「うん?……あぁ、昨日はなんだか寝苦しくてそれで脱いじゃってたみたいです」
お口チャック!! お口YKK!!
「いや……そういうことじゃなくて」
暗雲が立ち込めてきちょるばい……。
「お姉ちゃーーん!! 起きて!! お姉ちゃん!! 真実をありのまま伝えて!!」
姉貴の部屋のドアを全力で叩いていますと、部屋の扉がゆっくりと開きました。やったこれで……!
「むむぅ……あさからうるさぁーいぞぉ……ふわ」
寝ぼけ眼の姉貴は普段とは180度違うゆるふわ的なキャラで部屋から出てきて
あぁもうこれダメだ。
そして寝ぼけた姉貴はそのままフラフラと俺に抱きついてきやがりました。
「ふぅ……あら? ゆうあ、なんだかいい匂いがするなぁ」
ダメだ、こりゃ。どんがらがっしゃーん。
「これは……一体……」
結衣が頭を抱えてフラフラしています。
「ストップ! 結衣! 一回思考を全てストップさせて下さい! 俺があますことなく矛盾することなく自分の身の清廉潔白さとこの状況の説明を致しますのでとりあえず下についてきてもらってよろしいでございますか!? 是非そうして下さい!」
「う、うん……い、一応聞くだけ聞いてみてようかな……」
やっと見えてきた一筋のフラグの光をここで消す訳にはいかんのだ!!
「あ、じゃあ私も行きますー」
「うん? じゃあ俺も……」
足もとがかなりフラフラしてる女の子と、緊張感の欠片もない半覚醒の女の子と、寝ぼけてる女の子を連れて俺は居間へと向かいました。
テーブルの向かいに姉貴と葵を座らせ、その向かいに俺と結衣が座りました。
さながら興奮しているたてこもり犯を説得する敏腕ネゴシエーターのような、浮気の疑惑を晴らすために妻に必死に言葉をつむぐ旦那のような、一言一句接続詞語尾に至るまでに一切の誤解が生じないように細心の注意を払って結衣に事の経緯を話しました。ついでに俺と姉貴と葵が古くからの幼馴染であることも。
「ふむふむ……そしていかがわしいことは一切なかったと」
「当然でございます!! このヘタレが女の子に手を出すことが本当に可能でしょうか!!?? いや、可能ではございません!!」
俺が席から立ち上がり自分の胸に手をあてながら熱弁しますと、結衣は俺の出した麦茶を一口飲んで微かに笑ってくれました。
「まぁ、だよね?」
Tres bien(やったぜ。)
葵はそんな俺たちを見て同じく麦茶を飲みながらニコニコ見つめてきました。
「あれ? 二人って付き合ってるんでしたっけ?」
「ゴフッゲフッ!」
結衣がむせました。うーん、この……。
「付き合ってない……俺の……うん、片思いだから」
「けほっ!けほけほけほっ!! な、ななななにを言ってるんですか祐亜さん!!??」
俺がバカ正直に答えると結衣はむせて、そしてかなり慌てた感じで俺の肩をポカポカと叩いてきます。
すごい脈あり感を感じる……なんだろう、建ってるフラグ確実に、着実に俺たちの間に。中途半端はやめよう、とにかく最後までやってやろうじゃん。俺の横には結衣がいる。決して一人じゃない。信じよう、そして頑張れ俺。葵とか葵とか邪魔は入るだろうけど流されるなよ、俺。
テーブルの向こうでは葵が頬杖ついて、もう片方の手で自分の髪をくしゃくしゃとかきながらつまらなそうにこちらを見つめています。
「ふーん。あ、私は祐亜に片思い中でーす」
その横では突っ伏してなんだか夢見ごこちな姉貴が口もとをむにゃむにゃさせています。
「はーい……あたしも祐亜のことが大好きでーす……んにゃ」
何故か姉貴が便乗してきました。なんだ、あの可愛い生物。
「で、結衣さんは?」
ピタっと。空気が凍りつくのを感じました。
あかん!出過ぎです! 自重して下さい!結衣はまっすぐ葵の方を見たままピクリともしません。横から見てるんですが、耳真っ赤っすね。
「わ、私は……」
「私は?」
葵の綺麗な瞳が絶対に逃がさないぞというような感じで結衣をまっすぐに見据えております。蛇に睨まれた蛙とはこのことかと、結衣を見るとはそう思わずにはいられない次第です。
「ゆ、ゆうあは……」
「祐亜は?」
すると結衣は机で両手を思いっきりテーブルに叩きつけて立ち上がりました。その拍子に、後ろから突然大きな音がしてびっくりした猫みたいに姉貴が跳ね起きました。
「だ、大事な相方です!! それじゃあ失礼します!!」
そして結衣は俺の手をひいてその場からそそくさと退場しようとしました。俺はいきなり結衣に手をひかれた拍子に結構な勢いで膝をテーブルの裏に叩きつけてしまいました。
「アウチ!」
食卓を後にする時葵の声が聞こえたのですが……。
「大事な所で逃げ出すタイプ、か。自分の気持ちと向き合えないか、わからないのか……クスクス」
なんだかとても耳に痛いお言葉でした。
まぁ、それから俺は一旦部屋に戻って気持ちおしゃれをして部屋を出まして、ほとんど無理やり結衣に引かれる形で家を飛び出していく次第になった訳でございます。
結衣は俺の手を何も言わずにグイグイ引っ張って前へと進んでいきます。
その姿はなんだか昔のような飄々とした感じがなくて、どこか余裕がないように感じられまして。
「結衣さんや! 一体どこに向かわれているのでしょうか?」
「このままどこか遠く!!」
そんなハイロウズ的な返しをされるとは思っていなかったので俺のほうも少々面食らってしまいました。
それからしばらくいった人気のない公園で結衣はやっと歩みを止めてくれて、とりあえず目に付いたベンチに隣同士で腰を下ろしました。
うろこ雲が青空に散らかっているさわやかな朝ですが、横に座っている結衣は自分でもなんだかよくわからないというか、ひたすらクエスチョンマークを頭の上に浮かべているようなそんな感じです。
なんか葵が現れてからというもの結衣のペース乱されまくりですね。こういう結衣も嫌いじゃないけれど俺が好きな結衣はやっぱり……。
俺はボディバックからノートを一冊取り出しそれを結衣の方に差し出しました。
「今度の大会用のネタ、書いてみました。この間の夏の反省も踏まえてみまして!」
結衣はノートを手にして目をパチクリとさせています。
「次の大会はこの前と違ってトーナメント制なんですよね? なら、是非とも勝ちたいっすね! 」
「祐亜……」
結衣はノートを胸に抱えてこちらを見ています。その頬には微かに赤みが差しています。
「結衣は? 結衣はどうっすか?」
俺がそう聞くと結衣は最高の笑顔で頷いてくれました。
「当たり前じゃん!!」
あぁ、これなんだ。これが俺の大好きな結衣なんです。
「じゃあ早速祐亜くんのネタを見てやろうかなー? ダメだしばっかりだと思うけどねー」
そういって結衣はいたずらっぽく笑って、俺の差し出したノートを食い入るように読み始めました。
俺が好きな結衣は可愛いだけの結衣じゃなくて、好きなことを一生懸命に頑張ろうと、それを一生懸命楽しんでいる結衣なんだ。
クリスマスプレゼントの包みをあける子供みたい表情を浮かべている結衣の横顔を見ながら、俺はそんなことを思っておりました。
それからは近くの喫茶店に行きまして、二人でネタに関してあぁでもないこうでもないと議論は繰り広げておりました。
「今回は100人が見て100人がわかるネタにしないとね? 今更だけど私ソールドアウト知らなかったもん」
「え! マジっすか!?」
二人でコーヒとサンドイッチをつまみながら、向き合っていつまでも喋っておりました。こんなに自然に楽しそうに笑う結衣をきっと他の男子共は知らないだろうなと思うとひたすらに誇らしい気分でございます。
店内に流れるBGMは体にすっとしみわたってくるようなお洒落で優しい音楽。
今流れてるのはジャズの有名所「someday my prince will come」この超絶ジャズギターはジョーパス先輩だと思われます。本当にギター一本なのかと思うような凄まじい音の広がりです。
未来なんてこなくていい、よくそんな台詞を聞きますが俺は未来が欲しいと、この先がもっと見たいなって思います。
結衣が本当に恋人になってくれていつか俺の目の前でこんな風に笑ってくれるなら、これ以上に幸せそうに笑ってくれるなら、そんな未来がきてくれるなら俺はやっぱり見て見たいなとそう思うわけです。
「どうしたの、遠い目しちゃって?」
結衣がノートとペンを片手に俺の方を不思議そうに見ています。
「なんでもないっす」
「変なの。あ! ところで祐亜この部分なんだけどね! 」
こちらに向けて身を乗り出してくる結衣を見て、本当に子供みたいだなって頬がだらしなく緩みそうになって、俺はやっぱりこの人のために頑張りたいな、ってそう思わずにはいられない訳です。
それから外がオレンジ色に変わったぐらいにやっと俺たちが来週やる漫才のネタが出来上がりました。
そうだなぁ、この漫才の大会が終わったらもう一回本気で気持ちをぶつけてみようかな。
ガラスの向こう側、みんながみんな家路に急ぐ夕方の風景をなんとなしに眺めながら、俺はぼんやりと、けど強くそんな一大決心をしたのでした。




