ぴゅああっぷる
明日から新学期だというのに、全く何にもやる気が起きません。
夏休みの課題なんてとうに終わってるし、休みが終わることが寂しいということではなくて……。
ただただ来夢の泣き声が、言葉が脳裏から一切離れないのです。
もう花火大会から結構経ちましたがそれでも俺は来夢のことを引きずっています。振った俺が引きずるなんておかしな話ですが、あんなにまっすぐで純粋で、それでいてとても強い気持ちを打ち明けられたのは初めてでございまして……。
朝の10時、太陽から降り注ぐ光を上等な遮光カーテンに遮らせた薄暗い部屋の中で一人俺は中々ベッドから抜け出せずにいたのでした。
「ごらぁぁぁぁぁ!!!!!くそ弟ぉぉぉ!!!!」
そんな負のオーラが漂う部屋に、ドアを蹴り破る勢いで入ってきたのは杏華のお姉様でした。
姉貴は部屋に入ってくるなりカーテンを乱暴に開けベッドの上で丸まっている俺の体に垂直落下式エルボーを炸裂させやがりました。
「ドゥフゥゥゥウウウウ!!!!!」
アルティメット理不尽バイオレンスッッッッッ!!!!
「何振ったてめぇがいつまでも落ち込んでるんだこのクソカス! 慰めて欲しいのか? 構って欲しいのか? ああん!? 心配して下さいってアピールしてるみてぇでうぜぇんだよ!!」
「辛辣スギィ!」
「いつまでもうじうじしやがってこのゴミクズ、泣きてぇのは来夢の方だろうが馬鹿が!」
「ぐぬぬぬ……」
「お前がそんなだから人様がこうやって心配して来てくれるんだろうかが。ほら、おめかしの準備だばかやろう!」
姉貴が俺の部屋の扉の方を顎でくいっと示したので、そちらに視線を向けますと……。
「おはよう、今日もいい天気」
眠たげな目をした柳が立っていました
タンクトップの上に薄いカーディガンを羽織って、デニムのハーフパンツを履いた、まだまだ夏姿の柳が俺の部屋の入口に立っていました。
「せっかくだから気分転換してこい。明日から新学期だぞ? ああん?」
姉貴は終始悪態をつきながら俺の部屋を出て行きやがりまして。姉貴が部屋を出て行く時柳の肩をトンと叩いていて、それに対して柳はサムズアップして「任せて」と無表情で答えていました。
「おはよう、祐亜」
「うん、おはようございます」
「という訳で着替えて今すぐ」
全身気だるくて正直動きたくないのですが、そんなこと言っても柳が許してくれる訳がございません。
渋々ベッドから体を起こすことにしました。
「じゃあ、着替えるから下で待ってて下さい」
「どうぞ、お構いなく。私のことは気にしないで着替えていい」
変態! 超変態! ド変態! 変態女!(釘宮ボイスでお届け)
柳をなんとか部屋から追いだして、適当に外行きの格好に着替えて顔を洗って寝癖を直して一緒に外に出ました。
「あっつ……ぃぃいですねぇ……」
「日傘、祐亜も入る?」
外に出るとまだまだ強い残暑の熱視線がギラギラと降り注いで、しばらくぶりに外に出た俺の体力とやる気を一気に削いでくれました。
「そんな小さな日傘じゃ、二人はきついですね」
「そう言われれば、そう」
ちょっと得心したような表情の柳はとても可愛らしかったです。
「それではどこに行きますか? 行くあてとか……」
「祐亜が行くとこならどこへでも」
そう来ると思ってましたよ。
「それじゃあ……水族館でも行きましょうかね。涼し気でなんかこういい感じじゃないっすか?」
「うん、いい感じ」
柳は俺の言葉に微かに微笑んで頷いてくれました。
ほとんど俺と柳の貸切みたいな感じの電車で揺られて、隣街の水族館に来ました。
二人分のチケットを買って早速れっつらごーという訳で中に入ると、流石に夏休み最終日ということもあって人の姿はまばらでした。
「なんかさっきから人が少なくて、俺と柳しかこの世界にいないみたいな感じですねー」
「そうなったらきっと大変」
二人で他愛のない会話を交わしながら歩いています。
青色のどこか幻想的な世界、そこをゆったりと泳いでいる魚の群れを見ているとなんだか心が癒されます。
「あー、魚になりたいですねぇ」
「祐亜が魚、おいしそう。じゅるり」
「……前言撤回しますね」
ムードもくそもございませんね、本当。
きっとこの大きな水槽を彼女は超巨大な生簀かなんかだと思ってるんじゃないでしょうかねぇ……。
けど、柳といるとあまり気を使わなくてなんだか心が楽です。
けど……。
『嘘でいいから好きって……愛してるって言ってよ……』
俺はこんなことしてていいのかな……。
あの日の来夢の泣き顔や声が頭から離れません。またあんな風に……誰かを。
「祐亜?」
はっとなって横を見ると、柳が心配そうな表情を浮かべてこちらを見つめていました。
「あ! すいませんすいません! ちょっとボーっとしておりましてね! 久しぶりに出歩くといかんなぁー!」
「ううん、大丈夫。それより行こう。いるかしょー。いるかのしょーやってるらしい」
柳は無表情で首をふるふる振って、俺の手を握り前へぐいぐい進み始めました。せっかく柳が気を使って連れ出してくれたのに、俺は何をしてるんだ全く。
夏休みも最後だし、せっかくだから楽しまないとですな。柳に手を引かれながらそんなことを思っていました。
それからはもうめちゃくちゃに水族館を楽しみ、水族館内をぐるぐるし、二回もイルカショーを見ました。もう一度来たいですね。
「おぉ、シャチ」
目の前の空間を優雅に泳いでいくシャチを見て、柳が目だけをやたらとキラキラさせています。
「かっこいい、とても」
俺の手を掴みながら必死に訴えかけてきます。小学生かおのれは。
「ふむ……ついでにゆうあもかっこいい」
「……それはどうも」
無表情で言われてもとても怖いんですが。
それからしばらくまた館内を見て回った後、柳がお腹空いてるアピールをやたらし始めたので(しきりにお腹に手を当てる、無言で数秒こちらを見つめる、小声でぐー、ぐーと繰り返す)水族館を後にして食事にすることにしました。
時刻は3時を過ぎたあたり、もうどこもそんなには混んでいないでしょう。
「柳、何か食べたいものでもありますか?」
涼しげな青い空間から出ると、外はまだまだ蒸し熱く雲一つない空の下降り注ぐ日差しのせいでアスファルトの上には蜃気楼がうっすらと上がっています。
柳は自分の日傘をさすと、俺の方をまっすぐに見つめてきて今にもよだれをこぼしそうな感じです。
「お寿司が食べたい」
こいつ……水族館に行った後に寿司ってムードもくそもございやがりませんな……。
「まぁ、円運動を定期的に行ってる方の寿司屋だったらいいですけど……近くに一皿100円の倉庫寿司があったはず」
「ふむ、くるしゅうない」
柳は空いているほうの手で俺の手を掴むと、ぐいぐいと前に進んでいくのでした。
「おー、すーし。素晴らしいね」
さっきまで大きな水槽を生き生きと泳いでいたお魚たちがバラバラにさばかれた挙句、しゃり玉の上に乗せられてぐるぐると回転している様を見て何故そんなことが言えるのか。
別に動物愛護だとか、ベジタリアンとかそういう訳ではないのですがね。なんといいますか、タイミングが悪いですよね。非常に。
まぁ、カウンター席に座ってうきうきしてレーンを眺めている柳の姿を見ているとなんかどうでも良くなってきました。
柳は目が離せない、ずっと世話を焼いていたい、妹のような存在ですなぁ。
「満腹、満腹」
「30皿ってお前……」
倉庫寿司を出て、二人で少し日が傾きかけた街並みを駅に向かってゆっくりと歩いています。
この小さな体のどこにあれ程の量を詰め込んでいるのか、胃液がウツボット並の溶解液かなんかじゃないと納得できません。
「今日は楽しかった。とてもとても」
夕日を小さな日傘で遮りながら横を歩く柳がこちらに視線を送っています。その声色はどことなく楽しそうで。
「俺もですね。水族館に行くなんて何年ぶりだったかなぁ……」
俺がそう返すと、柳は日傘を短く握ってその顔をこちらから見えないように隠してしまいました。
「良かった。祐亜も楽しくて。同じ気持ちで、良かった。最近祐亜元気なかったから」
柳があまりにも優しい声でそんなことを言うから、ちょっと驚いてしまいました。
「祐亜に何があったのか聞いても私はきっとなんて答えてあげればいいのかわからない。私。こんなんだから。アドバイスとか、気持ち伝えるのは苦手」
横のガードレール越しを過ぎて行く車の騒音にかき消されてしまいそうなぐらい小さな声で、俺だけに届けばいいってぐらいの透き通るか細い声で柳は続けます。
「祐亜は私のことどう思ってなくてもいい」
「けど、私は祐亜が悲しかったら側にいてあげたい。祐亜が笑ってたら嬉しくなる。私にとって祐亜はそんな感じ。きっと、そんな感じ」
「だから、今日は大成功。よかった」
茜色に染まる世界の中で、全部オレンジ色に染まっていく中で、それでも日傘の下に見えた柳の顔は林檎みたいに真っ赤で。
俺は嬉しさや照れを覚えながらそれでもやっぱり胸を引き裂かれるような、そんな感覚を感じてしまうのでした。




