悲しみの向こう側ですよ
「うーん……祐亜てめぇ朝っぱからどこに……うにゃ……」
家に帰るとパジャマ姿の姉貴がリビングで眠たそうに目を擦ってました。姉貴は低血圧なんで朝弱いんっす。
まぁ、学校に行くときは5時ぐらいから起きてるんで、こんなに無防備な状態の姉貴に平日は遭遇しませんけどね。
「今日は休みだからまだ寝てればいいじゃないっすか?」
姉貴は非常にフラフラとした足取りで冷蔵庫に向かいながら、心ここにあらず的な口調で喋ります。
「今日は体育祭の運営についてぇ……うんちゃらかんちゃら……って俺が言っちゃったような気がするぅ……」
この娘さんに生徒会長なんて大役やらしちゃって俺たちの学校は大丈夫なんでしょうか?
「んぐぅんぐぅ……牛乳うまーい」
「こらこら、はしたない。女の子が口の端に牛乳なんてつけてたら……ちょっとダメです」
姉貴の口を俺はティッシュですかさず拭い取りました。土日の朝だけは姉貴が大人しいんですよね……あぁ、この娘さんずっと寝起きだったらよろしいのに!!
「ゆうあー髪の毛やってー」
「まず制服に着替えなさいって」
俺がそう指摘すると姉貴は非常に頼りない歩き方で二階へと上がっていきました。
姉貴が階段を登り終えたのを見届けてから、俺は冷蔵庫から野菜ジュースを取り出しリビングで一息つきました。
つけたテレビからは今日も暗いニュースが延々とたれ流されています。もうアメリカに対抗して、日本の総理大臣もサンコンさんにしようぜ? なんて思う今は8:30。
柳との約束にはまだ大分時間がありました。
「あぁ、ねみぃ……ちっ! だりぃな、おい! 祐亜、さっさと三つ編みにやれよ、おら」
ブラウスの上にベスト、スカート姿のすっかり制服姿に着替えて降りてきた姉貴は、すっかりいつも通りになっちゃってました。
「へいへい……」
「へいは一回だ、あほが」
リビングにある椅子にどかっと座った姉貴の後ろに回って、適当に髪を結い始めます。昔から姉貴の奴隷だった俺は女の子の髪の扱いがいつの間にか上手くなっちゃってました。
「ったくよ……湿気たニュースばっか垂れ流しやがって」
テレビにぶつくさ汚い言葉で文句を言う口調とは打って変わって、姉貴の髪は驚く程綺麗で。こいつアジアンビューティーなんじゃね? 的な勢いです。
「なぁ、姉貴?」
俺は姉貴の髪を結いながら、ぼんやりとした口調で話しかけました。
「なんだ? WWEのDVDならいつでも貸してやるぞ?」
海外のプロレスになんか興味ねぇつうの……。
「あ……葵と連絡とか、取ったりしてんの?」
なんでこんな事聞いたんでしょうかね、自分でもよく分からないんです。
ただ昨日の沢木なんとかさんのせいで、今まで忘れてた葵との思い出が蘇ってきて、ありゃりゃりゃって感じです。姉貴は体が一瞬ピクッとなった後、なんでもない事のようにいつもの口調で言いました。
「そりゃあ……メールを時々する程度だな。近況報告ぐらいなもんだ。なんだ? お前が葵の事を口にすんのは久々じゃねぇか」
姉貴と葵は親友同士で。
今でもこのようにメールのやり取りをしているそうです。俺も姉貴からアドレスを聞けば連絡を取れるのでしょうが、俺にだけ教えてくれなかったことを考えると、姉貴から聞き出すことはなんだかはばかられました。
「なんでもねぇ……これでよしと。ほら、完成したっすよ」
俺は姉貴の髪を三つ編みに結い終わりました。なんということでしょー。あれほど凶悪だった杏華お嬢様が、匠の手によって休み時間、教室の端でカントの哲学書とか読んでそうな優等生に早変わりー。
「なぁ、祐亜?」
「なんだよ姉貴」
ニュースを見ながら机の上にあったパンをかじっている姉貴が、俺とは視線を合わせずにボソッと話しかけて来ました。俺はまだ姉貴の後ろに立っていて、結った髪を何の気なしに触ってます。
「お前、誰が好きなの?」
「はっ? 何言っちゃってんの!?」
「結衣か? それとも亜弥、柳? それか……まだ葵が好きなのか?」
姉貴の言いたい事がよく分かりません。てか、そんなん俺もよく分かりませんし。前までは結衣だったけど、最近はなんか漫才ばっかりでもうしんどいし……。
沢木なんとかさんと柳は多分俺のこと仲のいい男友達ぐらいにしか見てないだろうし、葵は……もう過去の人ですし。
「そんなん俺もよくわかんねぇっす」
俺が笑って適当に誤魔化すと、姉貴は振り返ってこちらをチラッと見た後またすぐにニュースへと視線を返しました。
「ったく……チンカス野郎が知らねぇ間に出世しやがって、ボケ。……こないだ二人でギターやったろ?」
「うん」
「あの時チラッと見ちまったんだが、亜弥と柳……物凄い恋する乙女チックな視線でお前の事見てたぞ?」
乙女のおの字の要素もない姉貴にそれを見分けられる力があるなんて到底思わないです、なんて言ったら垂直落下式ブレンバスターの餌食になるので言いません。
「葵だってたまにメールしてもよ……いや、これはいいか」
「えっ!? 葵がなんっすか!?」
俺が食いつくと姉貴は椅子からガタッと立ち上がって、わざとらしく自分の携帯で時間を確認し始めました。
「あっ、もうこんな時間だ。じゃあな、夕方頃には帰ってくっから。あばよ、下僕」
そう言って姉貴は逃げるようにして玄関へと行ってしまいました。ったく、一体何なんだったんですかねぇ……。てか結衣だけフラグが一切立ってないこの異常事態はどういうことですか?
姉貴が出かけていった後、俺はリビングのソファに横になりました。
姉貴は何が言いたかったんだろう……。
あれかな? フラグのたてすぎに注意しろってことですかね?
でも今は別に誰にもときめいてないし……まぁ、若干結衣の事はまだ好きかもですが。
まぁ……もう寝てしまいましょう。そのうち祐亜は考えることを止めたってやつです。柳との約束の時間までまだありますからね。
俺はゆっくりと目を瞑り、そのまま遠い世界へと飛んでいってしまいました。
気づくと、俺は自分家の玄関に立っていて横に結衣がいます。目の前には自分のお腹をさすっている沢木なんとかさん。
「私気づいたんだ。祐亜はずっと私のことを待っててくれた」
えっ? 何これ? なんの展開?
「もう、迷わないよ」
結衣はそう言うと、うっとりとした目で俺を見つめた後にその麗しき唇を俺のそれに押し当ててきました。
すごく……マシュマロです。
というか沢木なんとかさんがいるのに……あっ! 沢木なんとかさん走ってどっか行っちゃった。
いきなりところ変わって家のリビングです。沢木なんとかさんからメールが来ました。
うん? なんだ?
『すまない
さよなら』
振り向くと、出刃包丁を持った沢木なんとかさん。
「がっは!!」
「自分だけ結衣と幸せになるなんて!! ぎゅーん!! 許さん!!」
沢木なんとかさんは俺からマウントを取ると、手にした出刃包丁で俺の体を滅多刺しにしました。
グシャ、ビチャ、グチャ
飛び散る鮮血と涙で歪む沢木なんとかさんの顔を眺めながら、俺の意識はゆっくりと遠ざかっていきました。
これ……なんて……なんとかデイズ?




