市原の出来事
[011101] 市原の出来事
ついこの前まで日中は暑かった日々も終わり、快適な期間は一瞬にして過ぎ去り最早朝晩は肌寒ささえ感じる季節になって来た。
学校が位置する丘の木々も紅葉真っ盛りで赤から黄色が体勢を占め、緑はごく僅か点々と孤立しているような配色になっている。
今日は十一月入って初めての日曜日、午前中はソフト部の練習を行い午後から二時間ほど由紀の相手をし終了となった。
いつものように練習実績ノートに本日の成果を綿密に記入を済ませ、時間に余裕があるのでスローペースで帰途についた。
地獄坂を自転車で駆け下りて行くと、由紀が一人で歩いて下っている。
「どうした?自転車じゃなかった?」
「今日は商店街まで御使いなの。だから帰りはバスね」
「えっ、商店街ってまさか市原の?」
「そうよ、あそこの生地屋さんとか色々」
商店街って言ってもアーケードがあるわけでもなく、単に商店が数十軒並んでいるだけの昔ながらの町通り。ただここからは徒歩だと軽く一時間はかかってしまう。由紀は足が長いので五十分程度に短縮されると思うが・・・
「はい、後ろ!乗って」
「えぇっ、いいよぉ。あそこ逆方向だし、また帰るの遅くなっちゃうよぉ」
「で、はいそーですかって帰れると思う?」
「あたし、けっこう遅く学校出たつもりだったんだけど・・・まさか、まだいてるなんて思わなかった。これじゃぁ確信犯みたいじゃない」
(えっ そうじゃないのか?)
どうもこう言うパターンになるのを気にしてたことはたしからしー
しばらくすったもんだした挙句。
「観念せいっ」
と言って俺は由紀のスポーツバッグを前籠に入れベルを鳴らした。
「ごめんねぇ」
バツが悪そうに由紀はいつもの乗り方では無く横向きに女の子らしく荷台に腰掛けた。坂を一気に下り市原への舗装された一直線の農道を快適にペダルを漕ぐ。いつもと違って昼間の自転車相乗りはだれかに見られていそうで何となくはずかしい気分がする。
「寒くない?」
「だいじょうぶよぉ。背中あったいから」
(そりゃそーだろ俺は必死で漕いでるしー熱いくらいかも)
そして由紀の徒歩より遥かに短縮し市原に到着した。この近くには市原高校があり商店街周辺はその学校城下町を成していた。
平日なら多くの学生が行き来してそうだが、今日は日曜日である。市原高校は歴史も古く学校の学力レベルも我が志賀高より上なのは周知の事実。て、言うか高校受験で公立を受験する者の上位半分が市原で残半分が志賀と言う住み分けになっている。よって市原の最下位は志賀のトップとも言える。
何分田舎の学区、近場の公立となるとこの二校しかないのである。島内には七つの高校があり実質的に通学できるのはそれ以外に商業と私立が一校づつしか無い。
中学から高校への進学時にほぼ完全に篩にかけられ、多少も混じること無くあるレベルで上下に分離されるのであるから、だれから見ても優と劣、可と不可・・・なのである。
由紀は商店街の目的とされる店を三軒ほど回り手続きをし、書類や伝票を貰ったり用事を済ませていった。
「おまたせ。これでおしまいっ。ねぇレコードショップでも見ていかない?」
なにせ田舎のことなのでレコードを売っている店自体少ない。この商店街にあるのも本業は電気屋で家電製品のショールームの半分にレコードを展示している。近場では唯一の店舗なのである。
レコードはこの時代、二曲収録されているシングルとアルバムと言われる十数曲が入ったLPの二種類である。CDなんてまだ無い。
二人は各々好みのジャンルや歌手を順番に掘り出し物が無いかレコードジャケットを物色して回った。
「あっこれ!」
急に由紀が逸品を見つけたとばかりに『こっちこっち』と手を振る。
「なんかあった?」
「これこれ、サザンの最新ベスト版だよねぇ」
たしかに。つい最近発売されたばっかりの、しかも普通は予約しないと入手できない話題のLPであった。
「だれかキャンセルでもしたんだろうなー」
「ラッキーだと思わない?」
由紀はそう言うと財布の中身を確認し始めた。
「ダメだぁ二千円しかないっ」
このころのLPは三千円が相場である。ただ消費税なんてものは無い。一般的な高校生の一月の小遣いが五千円前後だったのでレコードは早々買えない。けっこうな決断と事前の節約が必要だ。
好きな楽曲は友達どうしでカセットにダビングして交換し、コレクションを増やしていくのが常識と化していた時代。
「なら、これで行けるだろ」
俺は自分の財布から千円を出して由紀に差し出した。そしてこれ以上無い事を示すため逆さまにして振った。
「だめよぉ。来月まで待つから」
「そのころには絶対売れてるぞ。明日あるかも怪しい」
「でもどっちにしてもたりない」
「バス代要るから使えるのは千五百円、あきらめるわぁ」
そうだった。普段由紀が乗るバス路線から離れている。ここ市原からその路線の接続駅まで別料金が必要だった。
なごり惜しそうにジャケットを眺める顔は何か寂しそうである。小さな子供のようにダダを捏ねるのなら無視もできるが、何も言うことなく買ってもらえないと分かっていて耐えている子供の顔と同じで余計に沁みる。
これは女性の特権かもしれない。男とはそんな時多少のムリも許容してしまうものである。前世もそうだ。付き合った彼女に買ってと言われるより、いらないと言われつつ本当は欲しいことが分かっていた場合は負担がおおきくても願いを叶えてやりたかった。いや、叶えてきたつもりだ。
「由紀、なんとかなる。とりあえず買おう」
「なるわけないよぉ。たりないんだから」
「だ・か・らー 三千円あるし」
「そしたら帰れなくなる」
「・・・・・・・・・・・・・・」
しばらく沈黙が流れる。
「まさか、それだけはダメ!ますます帰るの遅くなるっ。ここまで付き合ってもらったのだって迷惑かけすぎ」
「なら、ついでのついでだ」
「毒を食らわば皿まで」
「一人殺すも二人殺すもおなじ・・・」
えっなんか変になったきた。
「まぁこのアルバムは俺も欲しい。だから努力は必要だ」
(実際はそんなに興味のあるアルバムではなかったが)
渋る由紀からなんとか二千円取り上げ、合わせて三千円でレジのところへ持っていった。
青いビニールの専用袋に入れられたレコードを渡すと、由紀は更に悲しそうな顔になった。
「いつもそうなんだからぁ」
「素直によろこべよ」
「そんな単純じゃないよぉ。あたしの為にここまでしてもらったら・・・」
「んなこたーない。由紀が千五百円、俺が現金千円と肉体労働五百円で丁度半分づつ」
そんなこじつけで納得するはずもないが。
「ありがとぅ」
「うん、それでいい」
電気屋を後にし、商店街の外れまで来た時、そこにあるスーパーの前に露店がだされていた。一つは天津尼栗、もう一つは大判焼きの店である。
商品は二種類だが、おばさんが一人懸命に慣れた手つきで大判焼きを作っている。大判焼きとは今川焼きのことで中の餡はつぶ餡である。
両方からは、なんとも香ばしく甘味な匂いがこれでもか、と押し寄せてくる。由紀も俺も持ち金全部使い果たしたところなので、もう何をどうしようと買えるはずがないのは当たり前。
でも、二人のお腹はそんなことは気にしてくれないようだ。
「美味しそうな匂いね」
「今度ばっかりは手も足もでない。無念・・・」
露店を見ず、できる限り何もなかったのごとく早急にその場を通り過ぎようとする。
「なんとかなるかもぉ」
由紀はスポーツバッグに付けていたリリアンのお守りを外している。そして。
「まっててぇ」
と言うなり駆けていき大判焼きの屋台の前で。
「おばさんごめんなさい一個なんだけど」
そして紙に包まれた大判焼きを持って、ニコニコしながら帰ってきた。その笑顔は、そうオリンピックで金メダル取った選手の顔だった。
「お守りの中に百円入れてたの」
「はいっどうぞ」
と、大判焼きを半分に分け大きい方を俺に突き出した。
「す、すまん。ありがとう」
今度はこっちが悲しい顔になる番だった。悲しいのではなくまったく正反対なのだが・・・
顎がしびれるほど美味しかった。うれしかった。
「どうかした?甘いの苦手とか、つぶ餡キライとか?」
「いや、ネコ舌だから・・・」
そう言って誤魔化すのがやっとだった。そのネコ舌は本当で中の餡子がアツアツなのも事実。けど、それよりもっと熱いものが心に刺さったのだから。
商店街から裏道に出たところで市原の生徒たちと遭遇してしまった。クラブ帰りなのだろう。お揃いのスポーツウエアを着た男女六人組みである。
こっちは制服で男子はどこも同じ学生服だから区別はつかない。しかし女子になると志賀はブレザーで市原はセーラー服だから簡単に見分けられる。
志賀の中には通学以外で制服を着たがらない女子が少なからずいる。帰宅すると外出するにも志賀と判る制服は脱ぎ捨て私服に着替えるのである。
嫌な予感がした。ちょうどすれ違った時のことだった。
「志賀の連中がこんなとこでデートか?」
「アホが移るからあんまり来んといてほしもんやなー」
(アホが伝染病なら飛びついて移してやるが)
こうした市原の志賀に対するあからさまな蔑みは既に常態化しており、これから何十年と続き志賀高校が廃校となるまで続くのを知っている。
前世において少子化の影響で全国の多くの高校が廃校や統合となった。二千八年志賀と市原も形式上発展的統合と言うことであったが、これは事実上志賀高校の廃校であった。
なぜ単独廃校としなかったか?簡単なことである。部活やコンクール等で稀に上位になった時、遠征や諸々で資金が必要になる。その時母校の卒業生に対して寄付を募ることができる。このキャパシティ確保の為であることは明らかである。
また、そうなると大きな問題が発生した。それまでの市原と志賀の同窓会統合である。両校とも今度は新生市原の卒業生と言うことになる。
そのような中、問題はおこった。市原の同窓会が主催するWeb BBS掲示板で市原卒業生による書き込みである。その要約は。
『自分は苦労して勉強し、市原に入った。それが志賀の卒業生と同じ学校の卒業生として扱われるのは屈辱だ』
と、言うものである。同様の投稿書き込みはかなり多くあり掲示板管理側は削除し沈静化を図ったが、それまでに多くの志賀卒業生の目にも入り、その多くは統合ではなく廃校による同窓会消滅、そして以後無関心にて何の興味も失ったのである。
しかし、ここで何か反論したり、言い合いになっても得るものは無い。二人とも何も言わず、ただ早足で去るのみである。
「本当のこと言われたからって逃げることないわなー」
「あっそんなに恥ずかしいんだ」
更に追い討ちをかけてくる。二人ともしばらく無言で彼らが遠ざかるまで歩いた。由紀は下を向いたままで歯をくいしばっているのが判る。
「なー由紀、本当の勝負は社会に出てからだと思わないか?いくら勉強ができたって、あんな心の腐ったやつに負ける気しないんだけど」
「うん、そうよね」
「だから、こんなしょうもないこと、さっさと忘れて、もっともっとがんばらないとなー」
自転車に乗れる道まで来たので由紀を載せ、乗り継ぎのバス停まで裏道をただ黙々と走った。
荷台に座る由紀が俺の背中に当てたホッペの温もりが感じられる。お互い何もムリに話そうとしないが、静かな闘志のようなものが感じられる。
やがて三十分程度でバス停に到着した。ここは幹線道路なのでバスはすぐ来るはずである。
「今日は色々あったけど、楽しかった。ありがとうね」
「うん、俺も楽しかった。また今度、堂々と市原行こう。何も恥じることないんだから」
「そうよね。じゃあまた明日」
バスが丁度止まった。ドアが開き由紀はスポーツバッグを前籠から取り出しバスのステップを駆け上った。
「気をつけて帰ってね」
「そっちもな、明日学校で」
ドアが閉まり、由紀は見えなくなるまで小さく手を振っていた。さて、これからまたかなりの距離をサイクリングだと思い籠を見た。
(あれ、忘れたか?いやそんなはずは無い。あいつ、わざと残していきやがった)
前籠には今日買ったレコードがそのまま残されていた。スポーツバッグを取る時に判ったはずである。
由紀は、自分より俺に先に聞かせてあげたい。たぶんそう言う心遣いなのだろうと思った。
次の月曜日、レコードとダビングしたカセットテープを由紀にわたした。
「あたし、忘れちゃったんだよね。慌てん坊だから。カセットも録音してくれたんだぁー感謝感謝」
(また俺は計画的犯行に嵌ったのかもしれない。女は得だなー)