第1話 24歳のダイヤモンド
数多ある作品の中から本作を見つけていただき、ありがとうございます。
本作『Null-Operations ~ヌルテクの魔術師~』は、近未来の東亜を舞台にした物語です。しかし、ここで描かれるのは、血で血を洗う泥沼の戦争ではありません。
主人公・日高凌が手にするのは、物理法則の因果を書き換える未知の技術『ヌルテク』。それは、敵を殲滅するための兵器ではなく、相手が拒絶できないほどの「最適な環境」を提供し、世界のシステムを書き換えるための交渉手段です。
「望まれた場所に、最適な秩序を」
圧倒的な技術的優位を背景に、静かに、そして冷徹に世界をアップデートしていく男の歩み。その第一歩となる、若き日の「ダイヤモンド」のエピソードから物語は始まります。
緻密なミリタリー描写と、その裏側に潜む知的な駆け引きをお楽しみいただければ幸いです。
最初に「おかしい」と思ったのは、爆発だった。
観測中に気づいた。
着弾したはずの榴弾が、爆ぜない。
乾いた音だけが遅れて鳴り、
土煙も炎も上がらず、
地面の一部が四角く、
静かに抉れて消えた。
焦げ臭いがしない。
破片が飛ばない。
ただ、そこにあったはずの土と岩が、輪郭ごと存在を失っている。
「間違いなく……命中、してます」
観測手の声が、わずかに揺れた。
「してるな......確かに」
日高は双眼鏡を下ろさずに答えた。
距離は三百。
風、弱。
照準は狂っていない。
砲班の腕も問題ない。それでも、結果だけが成立していない。
「再装填。二発、間隔詰めて撃て」
「了解!」
号令が飛び、砲身がわずかに沈み込む。次の瞬間、二発、ほぼ同時に着弾した。
やはり、爆発しない。
代わりに、地面が削除される。四角く、切り抜かれたように。
「……は?」
誰かが息を漏らした。恐怖なのか、理解の放棄なのか、判別はつかない。ただ一つ確かなのは、この戦場がすでに通常ではないということだった。
「小隊長、これ……」
隣に並んだ真壁曹長が、言葉ではなく視線で問いかけてくる。
四十代後半。
無駄のない体格。
顔に浅い古傷。
目は細く、常に周囲を観測している。
この部隊に配属されて三週間、
日高はこの男が声を荒げるところを一度も見ていない。
その真壁が、いま、黙っている。
それだけで状況の異常さが伝わった。
「観測データを寄越せ」
端末が差し出される。弾道ログ、着弾位置、気象補正。すべて正常だった。
正常で、結果だけが壊れている。
「……地下施設の入り口、あそこだな」
視線の先。
なだらかな丘陵の中腹に、不自然な開口部がある。
コンクリートの縁取り。
崩落しかけた外壁。
黒く口を開けた搬入口。
その周囲だけが、妙に静かだ。
砲撃音も、風の音も、何かに吸い込まれるように弱まっている。
「上からの命令は観測だ」
真壁が念を押す。
「交戦は最小限、接触は回避、データを持ち帰ることが優先」
日高は頷いた。
「もちろん暗記しているよ。......だが、あの中を覗かずに書く報告書に、何の価値がある?」
視線は命令書から離れている。
観測。
その言葉の軽さと、現場の異常が釣り合っていない。
これだけの現象が起きている場所を、データだけ回収して帰れという命令の意味を、日高は三十秒かけて分解した。
二通りある。
上が状況を把握していないか。
あるいは、把握した上でそう命じているか。
どちらにしても、現場で判断するしかない。
「前進する」
「小隊長」
真壁の声に、珍しく抑制しきれない何かが混じっていた。
「こういうのは......」
言葉を選ぶ。経験に根ざした慎重さで。
「ろくな終わり方をしない」
断言だった。
根拠を示さない、
示す必要もないという種類の確信。
三十年近い現場が、そのまま声になっている。
日高はその言葉の重さを受け取った。
受け取った上で、答えた。
「理屈にないから、見に来た」
真壁が日高を見る。値踏みではない。何かを確認するような目だった。
真壁の視線が施設の入り口へ戻る。
「……了解です、小隊長」
それだけだった。
反論も、再度の制止もない。
ただ、ライフルのグリップを一度握り直してから、真壁は隊列の位置に戻った。
スタック。
壁際に隊列が組まれる。最後尾から合図が前へ流れる。
日高は施設の入り口を見る。
黒い闇が、静かに口を開けている。中からは何も聞こえない。気配すらない。
「前進」
踏み出す。
五十メートル、接近する。
三十メートル。
空気が変わった。
温度ではない。
質が変わっている。
粘度のようなものが増している気がするが、測定できない種類の感覚だった。
「足元確認しろ」
「了解」
二十メートル。
施設の入り口が視界に入る。
そこで日高は止まった。
地面が、歪んでいる。
水面のように揺れているのに、そこには何もない。
ただ、空間が「ずれている」。
直線のはずの地平が、数センチだけ位相がずれたように見える。
「止まれ」
手を上げる。全員が止まる。
「触るな。その先に近づくな」
理由は言えない。
ただ、触れてはいけないと分かる。
論理ではなく、条件として理解している。
「小隊長、あれは……」
後方で音がした。
振り向く。
一人、隊員が消えている。
声もない。
悲鳴もない。
足音が途切れた形跡もない。
踏んでいたはずの地面に、靴跡だけが残っている。
誰も動かない。
真壁が消えた場所を見ている。
その目に、初めて日高が読めない表情が浮かんだ。
「……記録」
日高の声は、自分でも驚くほど静かだった。
「座標を固定しろ。今の位置、全ログ保存」
「は、はい!」
端末の操作音が、やけに大きく響く。
消失。
爆発でも崩落でもない。結果だけが消えている。
「これは」
真壁が呟く。
日高は前を見たまま答えた。
「……理屈は後だ。今、目の前でこれが起きている。今はそれだけでいい」
断定に近い声音で。それ以上は言わなかった。
日高は端末を開く。
着弾座標、消失座標、隊員の最終位置。
三点を結ぶ。
一直線だった。
施設の入り口を中心に、影響範囲が広がっている。
爆発しない着弾も、消えた隊員も、目の前の歪みも——
すべてが同じ中心から出ている。
日高は端末をしまった。
真壁がその一連の動作を見ていた。
数字を見て、線を引いて、端末を閉じるまでの十秒。
問い返さない。
ただ、ライフルを構え直した。
「行くぞ」
日高は迷わなかった。
ここで引く理由は、消えた隊員と一緒に消えた。
足を踏み入れる。
その瞬間、視界が白く揺れた。
温度が消える。
重さが曖昧になる。
音が、遠くへ落ちていく。
それでも足は止まらない。
奥。暗闇の中に何かがある。機械。巨大な構造体。
だがそれよりも先に目に入ったのは——
人間だった。
少女。装置に繋がれている。
目は閉じている。呼吸は分からない。
その瞬間、少女の目が開いた。
ゆっくりと。こちらを、見た。認識した。
何かが、ずれた。
空間が、わずかに軋む。
日高は理解する。これは機械じゃない。兵器でもない。
これは——成立条件を維持しているものだ。
背後で何かが崩れた。施設が、世界が、どこかで限界に触れた音。
日高は一歩、前に出る。
引くという選択肢は、すでに存在していない。
そして彼は初めて、この戦場を理解した。
これは事故ではない。
暴走ですらない。
設計されている。
意図的に。
その結論だけを胸に、日高凌は奥へと進んだ。
第1話をお読みいただき、ありがとうございました。
物語の始まり、まだ東亜連邦軍の三等陸尉(小隊長)であった頃の日高凌の視点はいかがでしたでしょうか。
この時点では、彼はまだ巨大な軍組織というシステムの中の一片に過ぎません。しかし、現場の指揮官として「最適解」を求める彼の冷徹なまでの合理性は、のちに彼を独立組織J-CEDのCEO、そして「提督」と呼ばれる存在へと押し上げていくことになります。
本作における戦闘は、単なる破壊の応酬ではなく、常に対象地域への「インフラ展開」と「交渉」のプロセスの一部として位置づけられています。一人の若き三尉が、いかにして世界のOSを書き換える「環境の提供者」となっていくのか。その軌跡を、これからの連載を通じて描き出していければと思います。
次回、第2話の更新は【設定したスケジュール】を予定しています。
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システムが世界を書き換えるその瞬間まで、どうぞお付き合いください。




